第26話 モロヘイヤの冷奴
「…うぅ、胃もたれが…」
いつも疲れた顔の男が一段と怠そうに歩いている。
9月中頃の金曜日夕方、男は職場からのいつもの帰り道を歩いていた。
胃もたれ、と言っているが何故なのか。
「やっぱり唐辛子味噌、作りすぎたなぁ」
先週の唐辛子味噌にハマった男は土日でそれを使い尽くし、月曜日に大量に作り直した。
その際、神楽南蛮ではなく、隣に並んでいたハラペーニョやハバネロを使った。
案の定、辛すぎて胃腸への刺激が強く、胃もたれを引き起こした。
自業自得、男はそんな声を聞いた気がした。
「そんなのは百も承知だよ」
男は静かに言った。
だが、自業自得と理解しても、現在進行形で進んでいる体調不良がマシになる訳ではない。
「…今日はお腹に優しいもので飲もう」
男が導き出した答えだ。
体を労るのは結構だが胃もたれでも飲もうと考えるのだから、ある意味重症と言える。
「酒は…梅酒だな、水割りで」
胃が弱っている時に刺激や度数の強い酒は禁物だ。
炭酸の酒は勿論、温かい酒も胃には刺激になるので避けなければならない。
その点、梅酒の水割りは吸収しやすい糖分が多く、薄く作れば度数もそこまで高くない。
「で、何をアテにするべきか…まあ、スーパーで決めるか」
この考えはいつでも変わらないらしい。
そのまま、フラフラとスーパーへと吸い込まれていく。
スーパーでは、普段スタスタと歩き回る男が入り口の野菜コーナーをいつまでもウロウロしている。
胃もたれから精肉や鮮魚のコーナーに行く気になれないらしい。
男が目線だけを動かしていると旬も過ぎてきた名残のモロヘイヤを見つけた。
「ネバネバしたのは胃に良いって聞いたことがあるな…よし、今日はこれを叩きにして冷奴で頂こう」
男の今日の献立が決まった。
男はモロヘイヤをカゴに入れる。更に移動して、豆腐と天然水もカゴに入れた。冷奴のため、男はちょっと値の張る絹豆腐を選んだ。
そのままレジへと向かう。
いつも通り、レジ打ちの女性は暇そうにしている。
女性は男を見かけて、いつもよりも怠そうにしているのに気付く。
「大丈夫ですか?」
女性が聞く。
「大丈夫ですよ、ちょっと胃もたれしてるだけで」
と男が答える。
「そうですか…お体に気をつけてくださいね」
と言いつつ、女性は長く引き止めるのも悪いと考え、いつもよりも早めにレジを打っていく。
男もそれに気付いてか、気遣いを無駄にせんと素早く会計を済ませ、家路につく。
家に着き、男は早速台所に食材を並べる。
・モロヘイヤ
・豆腐
・麺つゆ
男のいつものモロヘイヤの仕込み方は叩きである。
包丁で叩きにしたモロヘイヤを麺つゆや酢で軽く味付けし、山形だしに入れたり、ご飯にかけたりするのがいつもの食し方だ。
今回はそれを豆腐にかけて冷奴風にするようだ。
豆腐は冷蔵庫で冷やしておき、早速モロヘイヤの仕込みに係る。
叩く前に茎の太い部分を切り落とし、それ以外をサッと湯通しする。すぐに萎びてくるので30秒ほどで十分だ。それをザルに上げ、流水で冷ます。
ここから叩きに入る。
冷ましたモロヘイヤをまな板に上げ、ざっくりと切り、後はひたすら包丁で叩く。
この男は気分によってどれくらい叩くかを変える。
時にペースト状になるまで叩くときもあれば、軽く粘り気が出た時点で止めるときもある。
今回は割としっかりと叩いたようだ。
叩いたモロヘイヤを器に入れ、麺つゆを入れる。
今回はモロヘイヤ1袋分なので大さじ3ほど麺つゆを入れた。
軽くかき混ぜたら、モロヘイヤの叩きの完成だ。
冷蔵庫から出した豆腐を皿に移し、モロヘイヤの叩きをかけて食卓に並べる。
グラスに自家製の梅酒を軽く注ぎ、買ってきた天然水で割って、晩酌の開始だ。
今回は胃を労るために先に冷奴から食べるようだ。
「はむ…むぐ…んぐ…あぁ、喉越しが良い…」
しっかりと叩いたモロヘイヤから良い具合に粘り気が出ている。豆腐自体の滑らかさもあって喉越しが特に良い。
また、良い豆腐を選んだため大豆の味も濃く、香り高い。麺つゆの風味も乗り、とても滋味深い。
男はゆっくりと梅酒に手を伸ばした。
「んぐ…はぁ…この味だ…」
ロックやストレートほど濃くないものの、水割りでも豊かな甘みと旨味は健在だ。
むしろ程良い薄さのために体に負担無くスッと入り込み、また冷奴にも合う。
「たまにはこんな健康的な飲み方も悪くないな」
男は独りごちつつも、ゆっくりと晩酌を続けた。
外では鈴虫が泣いている。
まだ暑くとも、もう秋は始まっているようだ。
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