第22話 ガパオライス
「…いや、これ貰っても…」
8月中旬の金曜日の宵の口、男は困っていた。
ここはいつもの酒屋で、男は予備のウイスキーを買いに仕事帰りに来ていた。
店内のレジ横には3kgの米袋がある。
「そう言わずに。最高級のジャスミンライスだよ」
と酒屋の店主が言う。
レジ横にあったのは、タイ米(インディカ米)の中でも高級なジャスミンライスだ。
男は入店早々、酒屋の店主にこの米を押し付けられようとしているらしい。
話を聞くと、商工会のビンゴ大会で父親が当ててきたらしい。
ただ、当たったは良いが、両親ともタイ米が好きではなく、自分一人しか食べないため、3kgだと多いようだ。
男は、まぁ良いか、と思いつつ、
「分かりました。でも私も一人暮らしですから、1kgで勘弁してもらえませんか?」
と返した。
「ありがとう、なら小さい袋に入れとくよ」
店主がジャスミンライスを持ち、店の奥に行く。
その間、男はジャスミンライスを使った料理について算段をつける。
「ジャスミンライスだし、タイの料理か。簡単にできる料理となるとガパオライスだな…あと酒は…」
と、男は色々考える。
そうしているうちに店主が戻ってきた。
「はい、これ1kg。あ、お酒、何買うんだっけ?」
店主が小さな米袋を渡しつつ、聞いてきた。
商売を始める前にジャスミンライスの話をしたのでまだ買い物ができていない。
「あぁ、いつものウイスキーと…あとタイの酒ってありますか?」
男が聞く。
「タイね…ビールならあるよ」
店主が答える。
「なら、そのビールをお願いします」
と男が答える。
こういうの好きだねぇ、と店主にからかわれつつ、会計を済ます。
「今日はありがとうね、タイ米も貰ってくれて。あ、ついでにそのお酒と米、一旦預かる?どうせこの後スーパーで買い出しでしょ?」
と店主が言うので、男は酒屋に酒を預けた。
自分の動向は把握されているのか、と複雑な気持ちになりながら、男はスーパーに向かう。
スーパーではガパオライスに必要な食材をカゴに入れる。
パプリカ、豚挽き肉、ナンプラー。そして、もう一つ重要な食材があるが、日本ではあまり売られず、当然このスーパーでも見当たらない。
男は念の為に、と近くを通りかかったスーパーの店長を呼び止める。
「すみません、ホーリーバジルってありますか?」
と男が聞く。
重要な食材とはホーリーバジルのことだ。
タイではガパオと呼ばれる。ちなみに現地でガパオライスと注文するとバジルと米だけの注文になるらしい。
「すみません、昨日で売り切れてしまいまして。スイートバジルならございますが…」
と店長が返す。
売ってたんだ、と男は逆に驚いた。専門店でしか売っていないと思っていたからだ。
「なら、スイートバジルで大丈夫です。野菜売り場のところですよね?」
と聞き、店長がそうです、と答えると男は野菜売り場に向かった。
スイートバジルを手に取り、レジへと向かう。
いつものレジ打ちの女性は、カゴの中を見て、
「ガパオライスですか」
と言った。
男は少し驚いた。いつもは具体的な料理名まで当ててくることは無いからだ。
「ええ、分かります?」
と男は聞いた。
「はい。と言っても、ナンプラーと挽き肉を使う料理がそれしか思い浮かばなかっただけですけど」
と女性が返す。
なるほど、と男が言う。
ナンプラーがある時点で東南アジアと推測は付く。そこに挽き肉とあれば確かにガパオライスが思い浮かびそうだ。
女性は自分の予測が当たり、今日は良いことがありそうだ、と思いつつ、いつも通り会計を済ませた。
ちなみにその"今日"もあと数時間で終わるが。
会計後、男は酒屋に戻ってビールとジャスミンライスをを受け取る。
ちなみに酒屋の店主からも、
「お、ガパオライスか」
と言い当てられた。
ガパオライスって日本でそんなにメジャーな料理だったか、と疑問に思いつつも、
「当たりです」
と返して、家路につく。
家に着き、男はビールを冷蔵庫に入れつつ、ジャスミンライスの袋を開けた。
ふわりと香ばしい匂いが立ち込める。
とても良い香りだ。
男は必要な分のジャスミンライスを取り、早速材料を並べる。
・ジャスミンライス
・豚挽き肉
・スイートバジル
・乾燥唐辛子
・パプリカ
・料理酒
・ナンプラー
・オイスターソース
ジャスミンライスは炊く、というよりも茹でる。
パスタのように大量の湯で茹でて、水気を切り、火にかけて水分を軽く飛ばしたら、鍋の蓋をして蒸す、といったやり方だ。
そこに合わせる挽き肉とガパオの炒め物は、全ての食材を混ぜながら火を通すだけ、と言う簡単さだ。
まず、鍋でお湯を沸騰させつつ、米を洗う。
ジャスミンライスは糠が少なく研ぐと香りが無くなるのでザルに取って流水に晒すだけで良い。今回は80gにした。
そして洗った米を沸騰したお湯に入れる。途端に香りが台所中に広がる。
最初は焦げ付かないように鍋底を軽く掬う。
そのまま弱火で10分弱茹で続ける。
ジャスミンライスが茹で上がったので、笊にとってお湯を流し、再び鍋に戻す。
軽く火にかけて、パチパチと音が鳴り始めたら、蓋をして蒸らす。このまま10分放置。
その間、野菜を切っておく。
まず、パプリカ1個。種とヘタを取り、粗めにざく切りにする。
スイートバジルは茎の太い部分だけを切り除く。男は適当に一袋全部使うが、おそらく多過ぎる。
野菜を切ったら挽き肉を炒める。その際、臭み取りのために料理酒を振りかけてから火にかける。
全体的に白くなってきたらナンプラーを3振り、オイスターソースを大さじ2入れる。今回は酒と合わせるため、濃いめの味付けだ。
全体に馴染むように炒めたら、先程のパプリカとバジルそして唐辛子を3つまみ入れ、パプリカが軽くしなるまで火を通す。
このタイミングでジャスミンライスも蒸らし上がる。蓋を開けると先程よりも強く香ばしい匂いだ。
この米と炒めた肉を皿に盛り付けて、完成だ。
冷やしたビールと共に卓上に並べる。
皿からはジャスミンライスの香ばしい匂いとバジルとナンプラーが混ざった独特な匂いが立ち昇っており、食欲をそそる。
男はまず、食欲をぐっと抑えてビールを飲んだ。
「んぐ…んぐ…くはぁー!」
まず感じたのが独特な香りだ。スパイシーな不思議な香りである。
そしてこれまた不思議な苦味。こちらは苦いもののクドくなく、キレが良い。
バジルとナンプラーの香りも相まって男は行ったこともない東南アジアにいる気分になった。
続いてガパオライスを食べてみる。
「はぐっ…むぐむぐ…っ!ケホッケホッ」
唐辛子がちょうど喉に当たったためむせた。
バジルが思ったよりも強い。入れすぎたのだ。
しかし、挽き肉と野菜を濃い味付けにしたため、バランスが取れてちょうど良い。
今度はライスを多めに食べると、調理中に嗅いだ香ばしい匂いが口の中に広がってくる。
堪らずビールをもう一口。
「んぐ…んぐ…ぷはぁっ!」
辛さ、ナンプラーとオイスターソースの濃い味付け、バジルの強烈な爽やかさ、ジャスミンライスの香ばしさ、それら混沌とした旨さをスパイシーな風味のビールが流してゆく。
最終的に全てが力技の晩酌になったが、不思議と良い心地である。
男は余韻を楽しんだ後、また次の一口を頬張った。
部屋に満ちるジャスミンライスの香りが心地良い。
男は、もっと貰ってくれば良かった、と感じつつ食べ続けた。
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