拡散と浸透

新座遊

あなたは蚊ですか

「あなたの血を吸ってもよろしいでしょうか」

渋谷駅からほど近い公園。

男は公園を見まわして、なにやら風景をスケッチしている少女を見つけて近寄る。

夕闇迫る黄昏時に、男は紳士的な口調で、彼女に声をかけた。


誰ぞ彼は、という表情をして、彼女は目を細めて男を見つめる。最近のナンパはこんな感じなのかな。

男は彼女の反応を待ち続ける。あくまでも穏やかな態度で。


少女はしばらく無言で男の様子を眺めるが、それ以上の反応がないことに戸惑う。さて、どうしたものか。コミケ会場なら知らない人とも話せるんだけどなあ。

「ええと、間に合ってます」

ようやく口にしたのが、押し売りを拒絶する言葉だった。

「おや、もうすでに誰ぞやの眷属になられていると?」

ナンパ慣れしていない彼女は、この手の見知らぬ男との会話には対応しきれない自分を自覚していた。

もうちょっとオタク的な会話ならやりやすいのに、と。

あれ?

待てよ、これってオタク的キーワードが出てきたような気がするぞ。

眷属?血?

「あなた、吸血鬼のつもりなの?」


場所を移して、近くの喫茶店内。

彼女はコーヒーを飲みながら、男はトマトジュースを啜りながら、テーブル越しに対座していた。

「いやあ最近の喫茶店は禁煙になって入りやすくなりましたなあ」

「で、お話はなんでしょうか」

彼女は次の同人誌のネタになるかと思い、男の話を聞くことにした。

オタクモードに切り替えれば怖いことはない。都会の喫茶店であれば、突然襲われることもないだろうし。


「吸血鬼への理解度からすると、あなたはすでにほかの吸血鬼の眷属になってますね。そうなると紳士協定上、血をいただくわけにもいかないのですが、あなたのお友達を紹介していただければ幸いですな」

吸血鬼に血を吸われると、吸血鬼の眷属になり、自らも吸血鬼に変貌する、という話は、一般的常識ではある。

もちろん、それはフィクションとしての常識であり、現実にそれを口にする人間は、遠ざけるべき類の人種だろう。

オタク的コミュニティ以外では。

少女は、ははん、そういう設定ね、と一人頷く。


「そこのところをもっと詳しく。あなたの設定に独創性や瑕疵があるかを見極めたいので」彼女はメモ用のタブレットを取り出し、身構えた。「さあ、どうぞ」


「では、私のこれまでの苦労を聞いてください」

男は語り始めた。


~ 魔女狩りという現象を覚えておいでだろうか。中世から近世のヨーロッパで、あるいはアメリカで、呪術によって害をなす人物を迫害したという現象だ。

もちろん、実際に呪術によって害をなした人がいたわけではない。

常識で理解できない雰囲気の人物を迫害するための理由として魔女という言葉を押し付けただけだ。あるいは、理解できない自然現象を身近な異端人に原因を押し付けたわけだ。

詳細を言えば、異端人ですらない人を対象としていたのだが、それは置いておこう。


~ ざっくり言うと、訳の分からないもの、理解できないものを解釈するための発狂だ。

それは魔女に限らない。

害をなすもの、害をなすと勝手に思い込んだものに対して、人は発狂するのが常だ。

原因不明の病気、対処不能な感冒に対する恐怖だ。


~ 目に見えないものは怖い。

放射線もそうだし、インフルエンザのようなウイルスも怖い。たとえ原因はわかっても、対処の仕方がよくわからない。

放置していると、害が増殖するとなればなおさらだ。

だから魔女狩りが始まる。


「魔女狩りと吸血鬼との関係が良くわからないです。あなたも魔女狩りに遭ったということですか」


~ わかるかい、血を吸うだけで怖がられるのではない。害をなすと思われているから吸血鬼は恐れられているし、排斥されるんだ。鬼殺隊は存在しないが、似たようなものはいくらでもあるさ。

因果なことに、血を吸うと、吸った先の人も吸血鬼になってしまう。増殖される恐怖だ。別に吸血鬼になったところで、物理的な理由では死ななくなるだけで、精神的には普通の人と大して変わらないのにね。まあ吸血鬼の眷属になるっていう点は、増殖性の高いウイルスと同じ意味で、恐怖の原因になるのだろうけども。


「あ、語るに落ちましたよ。それが排斥される原因じゃないですか。増殖させずに、血だけ吸っていればいいんですよ」


~ 地球全体に増殖している人類が口にすると皮肉にしかならないよね。

人類の人口統計グラフを眺めれば一目瞭然。近代から現代にかけての爆発的増殖は、明らかに限度を知らない癌細胞のようなものだ。

増殖は本能だろうけど、限度があるかないかの違いは大きい。

感染症の原因であるウイルスのバカなところは、際限のないところだ。

寄生する生物を滅ぼせば、自分たちも生き残れないくせに、後先考えずに増殖する。

これは癌細胞にも言える。

生き残りたいなら、ある程度のところで増殖を止めればいいのに、本体の生命活動を脅かすほどに増え続ける。

私からすれば、バカの極みだね。


~ その点、吸血鬼は違うよ。

バランスを見て増殖している。増殖したいときも、相手の都合を聞いてから、合意の上で増殖する。


「いやいやいや、合意の上だかなんだか知らないけど、吸血鬼という悪意が拡散し、人体に浸透するってのはウイルス並みにたちが悪いですよ。拡散しないように努力しなさいよ」

彼女は呆れたように、男の語るフィクションを評価する。「それじゃあ、救いようもない話にしかならない」


「私の知り合いに、血を吸っても相手が眷属にならない方法を研究した者がおりましてね」

「お、そういうのを待っていたんです。で、どうだったんですか」

ようやく独創性の片鱗を見せ始めた男を促す。


「血を吸うとき、拡散する種が人体に侵入することで眷属化してしまうことを突き止めたんです」

「いいですね、いいですね」彼女はタブレットの画面をペンで叩きながら話を促した。「それで、種を侵入させないようにしたんですか」


「ある意味、成功し、ある意味、失敗しました」

「なんとなく分かってきました」

「血を吸うと、拡散の種を入れる代わりに、微量の唾液が人体に入ります」

「そろそろ落ちが見えてきましたね」

「そう、その物質に対して相手の体内でアレルギー反応が起こることにより、刺された部分がかゆくなるんです」


数分の沈黙。


男は会話を中断し、少女がどういう反応を示すかを見極めようとした。

沈黙に耐えかねて、彼女は上目遣いに男を見る。


「あれ、これで落ちじゃないんですか?」

「どうも、あなたは誰かの眷属ってわけではなさそうですね」

男はようやく気付いたと言わんばかりに首を傾げた。

「眷属って言葉には大変興味を持ってますが、誰とも付き合ってません」


男は嬉しそうに言った。

「それでは、ぜひ、あなたの血を吸わせてください。眷属になるもよし、かゆくなるだけにするもよし。どちらがご希望ですか」

少女はタブレットを鞄にしまって、席を立った。

「あなたは蚊ですか。叩き潰しますよ」









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拡散と浸透 新座遊 @niiza

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