第三講堂に於ける、物理学客員助教授ンバッラ・K・アラヤマによる『時間学』講義の記録(抜粋)

織末斗臣

第1話

 9月27日1時限目。二千人は入れそうな第三講堂はだだっ広くて寒い。階段状の扇形に設えてある、僕はちょうど真ん中あたりの席から正面に教授を見下ろすかたちで聴講している。

 席は三分の一くらいが埋まっていて、そのほとんどは外来者に違いない。


「我々は飛散する種にすぎない」と、教授がいった。そして「それぞれの種がなにを生じさせることになるのかは、また別の問題だが」ともいった。

「それに、それが何処でかということも問題だが」と、僕の隣に座っている男がつぶやいた。男は顔を僕のほうに向けていたので、多分僕にしか聞こえていなかった。僕はちらっと彼を見やり、すぐにまた教授に向き直った。男は僕を見ていなかったし、そいつと意見を交換してやる義務もなかった。


「時間学を受講しようと思った君たちは、既に時間がなんであるのかを知っている。だからこれは単なる確認にすぎないのだろう。そうだね。時間というものが何故あるのか。どうやって時間が生まれたのか」

 そこで教授はタンポポの模型を指さした。それは普通のタンポポの20倍ほどの大きさに作られていて、少し薄汚れた黄色い花びらが球状の中心核の上に等間隔に並んでいた。ここからお決まりの手品が始まる。

 タンポポの黄色い花びらが、白い綿毛を持った黒い種に変わり、同時に中心核を離れて空中に飛散する。種は核と正反対の方向へひたすら進む。何かに触れるまでそれは続く。

「実際、宇宙空間では綿毛の必要はないのだがね。それにタンポポであるはずもない。太陽とタンポポの種は比べようもない。しかし、同じ理論で語ることができる。――さて、時間はどこにある?」

「移動する種に」と、僕の斜め前に座っている黒髪の女性が答えた。

「そのとおり」 そういいながら教授は右手の人差し指を二度振った。

「種が移動を始めたところから時間が生ずる。空間が生ずる。我々が知っているこの宇宙が生まれた。種がひたすら飛散していくおかげで、時間の一部である我々も存在してる。種が、我々に時間について考える時間を与えてくれているということだ。

では、種イコール太陽はいったいどこへ向かっているのだろう。そしてどこから来たのか。この辺はまだまだサイエンスフィクションの分野だが――」


 僕たちの太陽の時間が少しづつ加速している。出発した場所から離れるにしたがって時間の速度が増す。それはおそらく目的地が近づくにつれて、目的地の引力が影響するから。ときおり観測される消滅する恒星は、あるいは目的地に到達したためなのかもしれない。


 時間は戻らない。それに止めることもできない。それは長い間定説だったが、近年になって時間の停止とブラックホールの関係について理解が深まってきた。


「時間の停止は、いわゆる無である」と、ンバッラ教授はいった。

「しかし、時間は停止したままではいられない。時間とは揺れの状態であり、止まった時間も必ずまた動き始める。何が影響するのかはわからないが、時間は止まることがあるのだ。時間の停止は理論上ではわかっていても確認することは不可能だ。気が付くことができない。止まった時間はすぐにまた進んでいく。だがそれが恒星に起きたら。恒星の時間はあまりにも強烈なので、時間の停止という事態は大きな変化をもたらす。ときには時間をさかのぼりだすこともあるに違いない。それがブラックホールを生じると、わたしは考えている」


 僕たちの太陽の行く末を考えて、時間をさかのぼろうとする人たちがいる。飛散する種の出発点を見出そうとする者。ここから飛び立つ者たちは、きっとこの場所やここに留まる者たちのことは忘れないだろう。彼らにとってここは時間の止まった出発点になるのだ。

 でも僕はじきにいなくなった彼らのことを忘れてしまう。

 彼らだけが種なのではない。と、僕は思う。今だってこうしてこの場所に深く根を下ろし,なにかになろうとしている。僕たちの太陽とともにどこかに到達し、何を生じるのかを少しワクワクしながら心待ちにしているのだ。

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第三講堂に於ける、物理学客員助教授ンバッラ・K・アラヤマによる『時間学』講義の記録(抜粋) 織末斗臣 @toomi-o

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