強く、貴く、華々しく!!!!

柳葉うら

00.プロローグ

 澄み渡った空の下、ヘレスツェン王国の王都では、魔物討伐に出征する騎士団の行進でメインストリートが賑わっていた。

 子どもも大人も、平民も貴族も商人も、沿道に集まって彼らに手を振る。


 その中で、黒い騎士服に身を包んだ白金の髪の騎士が現れると、令嬢たちが黄色い歓声を上げた。

 彼女たちのお目当てはグレアム家の令嬢にして第二騎士団の騎士アンジェリカだ。


 すらりと長い足に、鍛え抜かれたしなやかな身体で威厳ある騎士服を着こなす彼女は、背筋を伸ばし凛とした佇まいで、周りの騎士たちよりもひときわ存在感を放っていた。


 鎖骨にかかるほどのキラキラと輝く白金色の髪にはまったく癖がなく、涼しげな目元で煌々と輝く赤い瞳は、見る者の言葉を奪うほど美しい。合わせて、整った鼻梁や薄く形の良い唇が、眉目秀麗な貴公子を彷彿とさせる。


 まるで恋愛小説の挿絵に描かれる騎士を現実に再現したかのような容姿である。


 伏目がちでどこか物憂げなところがまた令嬢たちの心を掴み、彼女が溜息を零せば傍にいる令嬢たちは目を奪われるのだった。


「アンジェリカ様! 遠征頑張ってくださいませっ!」

「毎日お祈りしますわ!」

「早く王都に戻って来てくださいな!」


 次々と声を掛けてくる令嬢たちに、アンジェリカは柔らかく微笑む。


「ありがとう、私の可愛い小鳥たち」


「「「「きゃ〜っ」」」」


 彼女の微笑みを見た令嬢たちは感激のあまり目を潤ませている。

 騎士団に入った彼女の姿を見られる機会は貴重で、まして話しかける機会はもっとないのだ。貴重な機会を得て盛り上がっている令嬢たちの近くでは、殿方たちが密かにジト目を浴びせてきていた。

 アンジェリカが近くにいると、彼らが受ける扱いは道端の石ころ同然なのである。見向きもされなければ、場合によっては存在すら認識してもらえなくて踏みつけられることもある。


 彼女は中性的な容姿と紳士的な振る舞いで令嬢たちの心を掴んでおり、王女救出劇の話も相まって王都での人気が高く、令嬢たちの間で密やかに作られた”愛を囁かれたい騎士番付”の3位に食い込んでいるほどだ。

 アンジェリカ本人はこの人気をどう思っているかというと、素直に喜んでいる。たとえ女性として見られていなくとも、憧れの存在として見てもらえるのは嬉しいのだ。


 彼女の人気はヘレスツェン王立学園に在籍していた時から。

 女性からも男性からも一人の貴公子として扱われており、時に男性からは疎まれもするが、相手にはしていない。やっかまれても冷静に対応する彼女を見た女性たちからは”クールでカッコいい”と人気が上がる一方で、一部の男性からは”澄ましたキザな奴”と揶揄されている。


 そんな彼女には、とある悩みがあった。

 

「よお、アンジェリカ」


 同僚たちに並び歩みを進めているアンジェリカは、突然現れた婚約者を前に頬が引きつらるのを堪えた。傍にいる相棒の黒鎧蜥蜴イェクウェールのローウェンは、主人の心の機微を察して相手をチロンと睨む。


 王国南西部にある山岳地帯に住むこのドラゴンは、黒く鎧のように頑丈な鱗が特徴の大型魔獣だ。

 強く賢い種のため、ドラゴンの中の王と謳われている。


「クラリスがどうしても見送りたいって言うから来てやったぞ」

「はぁ……」


 婚約者のレナードは伯爵家の次期当主で第三騎士団所属の騎士で、今日は非番だ。

 明らかな浮気現場に周囲の注目が集まる中、鳶色の髪を得意げに掻きわける。彼の前髪はいつもド真ん中でぱっくりと分けており、密かにつけられているあだ名はデコッパチ。その腕にはヘレスツェン王立学園に在籍していた時から男爵令嬢クラリスが抱きついている。

 レナードには婚約者がいるのにもかかわらず2人はよく一緒にいて、周りが再三注意しても止めない。


 クラリスは亜麻色の髪に緑色の瞳の、一見すると大人しそうで庇護欲を刺激する可憐さがあるが、その容姿を活用して殿方たちに涙で訴える計算高さを併せ持っていてこちらもまた厄介な相手だ。アンジェリカ親衛隊”歌い鳥アウィシー”の令嬢たちが忠告すればレナードが出てきて、俺たちの仲に口出しするなと言いだすのでどうしようもない。


 明らかに浮気で世間体にも良くないのだがレナードは止めようとせず、彼の両親はすっかり手を焼いてしまっている。

 世間体を気にしない上に領地運営にも無関心で、どうしようもないバカ息子。そのため、名門ヘレスツェン王立学園を卒業したアンジェリカにぜひ領地も彼も支えてもらいたいと婚約を歓迎しているのだが、その気持ちがかえってレナードの嫉妬心に火をつけてしまった。

 きっかけはアンジェリカへの嫌がらせでクラリスと一緒にいたのだが、今ではすっかりクラリスにのめり込んでしまっているレナード。間違ったことを間違いだとすぐに指摘してしまうアンジェリカに反発していた彼は、褒め上手なクラリスにすっかり乗せられてしまったのだ。


 このデコッパチを逃せば後がないグレアム家と、デコッパチの尻拭いをしてくれる嫁が欲しいバーグ家の持ちつ持たれつの関係が綻び始めている。


 彼こそがアンジェリカの悩みだ。


(こんな忙しいときにコイツは……)


 これから第一騎士団と第二騎士団合同での魔物討伐という高難易度の任務だというのに、浮気現場を見せつけられて頭を抱えたくなった。周りの同僚たちの視線が集まっていく。


 心の中で溜息をつきつつもクラリスに騎士式の礼を取った。どんな相手であっても、淑女に対する礼を欠かさない。それが彼女の美学。


 一瞬だけクラリスの顔に浮かんだ優越感を、アンジェリカは知らない。クラリスはアンジェリカに強い劣等感を抱いているのだ。


 彼女もまた騎士一家の令嬢。しかし厳しい稽古で生傷が増えるのを厭い、両親に泣きついて騎士になる道を避けてきたが、アンジェリカを称賛する噂が聞こえてくるたびに彼女と比べられてしまうのだった。


『グレアム嬢は歩き始めると同時に剣を握ったというのに』

『心構えが違うのかもしれない』

『育て方を間違えたようだ』


(私は間違ってないわ。礼儀作法も淑女教育も、誰よりも努力してきたのに批判されなきゃいけないなんてあんまりだわ。これも全部グレアム嬢この女のせいよ)

 

「ラシュレー嬢、可憐な花のようなあなたにお見送りいただけるなんて身に余る光栄です」

「まあ! グレアム嬢は本当にカッコいいわ! 貴公子そのものね! ドレスよりも騎士服が断然似合うわ!」

「クラリス、コイツばかり褒めるな。妬いてしまうではないか」

「ふふ、レナードは世界で一番素敵よ」


 そう言って、わざとすり寄る。チラッと振り向くと、アンジェリカの方眉が微かに上がっていた。

 狙い通りに相手を不快にさせられたクラリスはますます気分が良くなる。


 レナードはクラリスの腰に腕を回すと、神妙な顔をして口を開いた。


「アンジェリカ、俺はお前との婚約を破棄する事にした。両親にはもう話している。俺はクラリスと一緒にいたいんだ。クラリスが真実の愛に気づかせてくれたんだ」

「――わかった。この任務が終わったら両親に話そう」


 唐突に婚約破棄を切り出してきたのに対して、アンジェリカは淡々と承諾した。


 なんとなく彼がそうしたがっていることを察していたうえに、彼女もまたこの婚約に乗り気ではなかった。もともと彼女には結婚願望がなく、そんな自分よりも大切にしてくれるクラリスと結ばれた方が良いだろうと前々から考えていたのだ。


「おっ……おい、そんなすぐに承諾するなんて薄情だろ?」

「しかし、ここで私がどうこう言えばレナードたちの恋路を邪魔することになるぞ?」

「はぁっ?! お前はいつもそうやってカッコつけて澄ましたことを言うよな?」


 自分から言い出したことであるのにも関わらず、全く引き止められなかったのが気に食わなかったらしい。レナードは顔を真っ赤にして怒っている。


 彼らのやり取りを見たクラリスは内心ほくそ笑んだ。アンジェリカが大衆の目の前で婚約破棄されたのが愉快だったようで、いつもの可憐な令嬢の仮面が剥がれかけている。


(いい気味だわ。せいぜい女を捨てて剣ばかり振ってた自分を恨みなさい!)


 さて、もう少しレナードを焚きつけて困らせてやろうかしらと思っていると、アンジェリカの肩を後ろから引き寄せる者がいた。伸びてきた手の先を見れば、宮廷魔術師団の装束を着た見目麗しい男が立っている。

 夜空色の装束には金色の刺繍が施されており、大魔術師が身に着けるものだ。格式ある装束を着た男が現れて、レナードは押し黙ってしまった。


 アンジェリカは振り返って男の顔を見た。褐色の肌に漆黒の髪が相まって、悠然とした風格がある人物だ。

 やや垂れ目で柔らかい印象を与える目元で、穏やかな緑色の眼がレナードを見据えている。


「こんな素晴らしい婚約者を手放すなどもったいないのう。おぬしらの不誠実を許して応援してくれる気高い心の持ち主であるのに」


 ゆったりと落ち着いた声でそう言うと、レナードの返事を聞かずにアンジェリカを行進の列に戻す。

 邪魔をされたクラリスは恨みがましい目つきで2人を見送った。


「助けていただきありがとうございました」

「礼を言われるようなことはしておらん。本当の事を言っただけじゃ」


 男は肩に下げている鞄をゴソゴソと掻きまわして油紙の包みを取り出すと、アンジェリカの前に差し出す。包みからは微かに甘い香りがした。


「遠征前に疲れたじゃろう。甘い物でも食べるとよいぞ」

「ありがとうございます。大魔術師様から頂くなんて恐れ多いですね」


 手を伸ばして受け取ると、彼の指が触れた。触れている方の手に痛みを感じたアンジェリカが手を見てみると、甲に花のような模様が浮かび上がっている。

 2人は顔を見合わせた。アンジェリカが何か言おうとすると、男はコホンと咳を1つして遮る。

 

「騎士様に加護があらんことを」


 手を胸の前に組み合わせて祈ると、列の最前線にいる第一騎士団の方へと向かって歩いて行った。


(行ってしまった……。なぜ今回は参加していないはずの魔術師がここにいるんだ?)


 アンジェリカは首を傾げて男の背中を目で追う。彼の噂は聞いたことがあったのだ。

 ファーガス・シュレンドルフという名の、元ユヴィビス教の神官だ。それも、同盟国パウラノアの神殿にいたが、前師団長シュレンドルフ侯爵の強い希望で彼の養子となりヘレスツェンに移り住んできた。


 光属性の魔力が強く、また、フィニス語と呼ばれる古代語を解読できる数少ない人物である。彼はその言葉を解読して先人が編み出した治水技術を見つけ出してパウラノア南部地域で洪水被害を最小限に留めた。そのうえ、宮廷魔術師団に入団してすぐに大魔術師の地位を得ているエリートだ。


 遠目から見かけたことはあったが、言葉を交わすのは初めてだった。


(変わった人だけど良い人そうだな。さすがは元神官だ)


 自分より年上だろうが、それにしてもあまりにも年輩者のような話し方をするのが印象的だった。


 アンジェリカは自分の手に視線を落とす。花の模様は消えていたが、金色の淡い光が残っている。じっと見ているうちにそれらは消えていった。


(出立前にこんな大勢の前で婚約破棄されたのに同情して祝福でもしくれたんだろうか?)


 次に会ったらお礼を言っておこう。彼女は心にそう書き留めて視線を外す。そう、彼女には考えなければならないことが別にあった。レナードとの婚約破棄である。


(父上と母上にはどう説明しようか?)


 レナードとは貴族家の令嬢の義務として婚約を受け入れただけであって愛が無いのは事実。正直なところ、結婚願望がなかったアンジェリカはむこうから婚約破棄されてホッとしていた。しかしこれを知った両親はどうなるだろうかと考えると頭が痛くなる。


 彼女はこれまでに何度も相手からの一方的な婚約破棄が続いていた。原因は彼女の男装と令嬢たちからの人気であり、難癖をつけては婚約を白紙に戻してきた。 

 アンジェリカは原因が自分の男性のような姿や振る舞いにあることはわかっていたが、どうしても止めない理由があった。彼女は大切な友人との約束を守るために男性のような振る舞いを続けているのだ。


 幼い頃に領地でできた友人ルカと交わした2つの約束を守るために。


 1つは「何かあったら彼女を助ける騎士になること」、もう1つは「誰よりも強くてカッコよくて紳士的な騎士になること」。

 この約束を果たすべく騎士団での任務に励んでいる。


 ルカは奴隷商人に誘拐されて、今も行方が分からない。いつまでたっても助けられない罪悪感もあって、アンジェリカは頑なに約束を守ろうとしている。


 両親はともに騎士であるため剣を握ることに関して口出しはしてこないが、男装には苦言を呈してくることがある。それでもアンジェリカはルカとの約束を優先した。


 しかしこのままでは家族に迷惑をかけてしまうのはわかっている。


 この国は男子しか爵位を継げないためグレアム家は養子を迎えたというのに、この有様ではいつまでたっても義弟が妻を娶れないのだ。

 初めのうちは婚約破棄が起こってもなんとか次の話をつけてきていた父親も、いよいよ次が無くなって途方に暮れて、母親は修道院に入るよう勧めてきている。義弟とはこの問題についてはお互い触れないようにしている。


 婚約しても破棄されても家族をやきもきとさせて迷惑をかけているのが心苦しい。


(私が家を出ていけばいい。無理に結婚しなくても武勲を立てて自立したらいいだろう)


 自分がグレアム家を離れれば弟は気兼ねなく妻を娶ることができるし、両親の不安はなくなる。そう、すべてが丸く収まるのだ。


 そう考え至った彼女は心に決めた。

 武勲を立てて爵位と領地を貰い、自立していこう。そうして独身を貫くんだ、と。


 新たな決意を胸に、ローウェンの手綱を引いた。

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