シンの日常②             


 物思いがついたときにはもう侯爵邸にいた。だから母親の顔は覚えていない。

 6歳のときにはもう何がなんだかわからないような状態で仕事をやらされていた。

 

 初めのうちは大人の顔色を伺って、向こうが一番望んでいることをやっていればよかった。向こうの言うことに只々頭を縦に振っていればよかった。


 これがずっと続けばよかった。


 夢を見ていることがわかる夢のことを明晰夢というらしい。シンは今まさにそれを見ていた。


 どこだかわからない荒廃した街を歩いている。でも自分は誰かを必死に探している気がする。それは誰だかわからない。

 あちこちで火の手が上がり、人々の阿鼻叫喚が耳に入ってくる。

 部位欠損をしている人。 

 すでに死んでしまっている人を必死に担いでいる人。

 全員がシンとは逆方向に進んでいく。


「か、母さん……。どこ?」


 シンはなぜか見たこともない母親のことを呼んでいた。

 徐々に周りに逃げ回る人影が減っていく。

 シンは自分が全く傷を負っていないことに気づいた。でも自分に何があったかなど、夢を見ているシンには知る由もない。

 自分がなんのためにここにいるのか。自分が何をしたのか。ここはどこなのか。ここ一帯はなぜこんなにも壊滅的なのか。そのすべてをシンは知らない。

 取り憑かれたかのようにシンは街の中心へと進んでいく。

 中心に近づけば近づくほど、建物は消えていき、荒れ地と化していく。 


 シンは中央噴水広場があったであろう場所まで進んできた。

 荒れ果てた街にはもう誰もいない。


 しかし、中央に一人の女性が浮かんでいる。

 白髪に限りなく白に近い目をしたまるで作り物のように美しい女性。

 シンはその女性のもとに駆け寄っていく。


「やめてよ母さん! 僕は生きてるし、まだ壊す必要なんて無いんだよ!」


 夢の中のシンはなぜかそう叫んだ。

 シンにはその女性が母親なのかも、その女性が何をしたのかすら知らない。でも夢の中のシンは母親らしい人物に向かって必死で叫んでいる。






 そのシーンで夢が終わった。

 冷たい床。毎回ここで寝るときは体を痛めてしまう。

 

 ついに今日、シンはこの屋敷を追い出される。夢のせいなのか汗をぐっしょりとかいてしまった。


 地下牢に騎士が朝を告げに降りてきた。


「朝だぞ。今日はジキル様もいるのだから失礼の無いようにしろよ。早く起きて、身だしなみを整えろ!」


 騎士はろうの扉を開け、シンを侯爵邸のメイド専用の更衣室に連れて行く。

 シンはそこで体を洗ったあと、今まで着たこともないようなきれいな服を着せられた。


「あの……。僕なんかがこのような服を着ていても良いのでしょうか?」


 シンは半ば怯えるようにして騎士に訪ねた。


 こんな服を今まで侯爵に与えられたことすら無いので侯爵に見られでもしたらどうなるのか。シンにはまたぶたれる未来しか見えなかった。


「このお召し物は侯爵閣下が直々にご用意してくださったものだ。まあ、貴様のような屑には似合わないがな」


 騎士はあくまで冷たく返した。


「そもそも、お前が職業を授かりに行く意味すら俺にはわからないがな」

 

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