最低王子と男装勇者 ~田舎娘は聖剣使い~

berio

第1話 聖剣の勇者

――魔王。突如として現れた破壊の化身とその軍勢は、街を焼き、大地を人の血で染め上げた。折からの窮乏、そして諸国との終わりなき紛争で、歴史あるグローレス王国は滅亡の危機にあった。


 その王城の片隅。下級の従者たちが住むあばら屋の一角で、少年は烈しい光を目にした。

 

「七色の……虹?」


 真夏の太陽のような強い光に、彼は思わず目を覆う。……後に少年自身が知ることになる、聖剣の光だった。

 このグローレス王国に伝わる聖剣と勇者の伝説は、どんな田舎の子供でも知っており、実際の国宝として聖剣も安置されている。伝説とはすなわち「王国の危機に勇者が立ち上がり、その手に持つ聖剣で悪を滅ぼす」。この英雄物語は世代を超えて愛されており、もちろん、この少年――フリードリヒ・グローレスも例外ではなかった。


「面白い。街に行ってみるか」

 手早く服を整え、大事にしまってあるナイフと狩猟用の弓矢を一瞥し、彼は城門に向かって駆け出した。


「よう、最低王子。お寝坊じゃねえか。え?」

「おはよ、大食らい大酒飲みのヨハンの旦那。今度獲物が捕れても分けてやらないよ」

 挨拶代わりに門番と軽口を叩き、城下へ。

 

――フリードリヒ・グローレスこと『最低王子』は、庶民の出自である。腕のいい辻占い師だった母が、現王であるオットー・シュトラウス・フォン・グローレスに偶然召し上げられ、そのまま母となり、フリードリヒを生む。父と母との逢瀬は、所詮一時の火遊びであり、母は顧みられることもなく失意のうちに死んだ。フリードリヒはというと、王子の端くれではあるものの、やはり父から捨て置かれたため、まだ生きていた時の母や、お城付きの兵士や猟師、下働きの者に生きる術を学んだのである。


 街の大広場にフリードリヒがたどり着くと、町中からかき集めたかのように大勢の人々がたむろしていた。いつにも増して、警備の兵士が多い。


「ちっ、前が見えないっ!」

 ぴょんぴょんと小さく跳んでみるが、人だかりで何もわからない。後ろの方なら比較的空いているようだ。こうしていても仕方がないので、側に立っていた少女に話しかけた。


「ねえ、君。今日は何の集まりかわかる? お祭りかい?」

「やー、私も今来たばかりで……。えらーい学者先生がありがたいお話を読み上げてくださるとか」

 彼女は、旅の埃も被ったままの質素な服を身に纏い、片手にかごを抱えていた。しかし。


「おい、前が見えねぇぞ! ……っと、お嬢ちゃんごめんよ」

 後から詰めかけてきた男の腕が、彼女のかごに当たる。

 

「あっ!」

 少女が思わずかごを取り落とすと、中身のチーズや糸玉、粗末なろうそくなどがあたりに散らばった。

 

「おい、この! 店広げるならよそでやんな」

「くそっ、オレの足に転がってきた! 踏んづけちまうぞ!」

「まったく、これだから田舎娘は……。作法というものがなっておりませんわ!」

「あわわ、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 冷たい視線を浴びながら、彼女は必死に散らばったものを集める。そのいくつかは心ない者たちによって盗まれてしまっていた。それを見たフリードリヒは。


「はい、ちょっとごめんよ。そこの旦那。おっと、足元にネズミが。……ああ、見間違いだった。糸玉だねこれは。失礼、失礼」

 彼はすばしっこくかごの中身の大半を拾い集め、あたふたしている少女に向かってそっと品物を差し出した。

 

「あ……! ありがとうございますっ!」

 茶褐色の髪を頭巾で覆った少女だ。年若く、未だ男性にも女性にも見える丸顔だが、ぴんと通った鼻梁と涼やかな目元、若葉色の瞳が生来の快活さと賢さを伺わせる。


「いいよ、いいよ。なくなったものは『ふっかけられて買えなかった』とでも言っておきな。ええと――」

「ウルスラ。クラウ村の、ウルスラと申します。昨日村の人たちと都に出てきたばかりで、右も左もわからず困っていました」

「ふっ、ご丁寧にありがとう、お嬢さんフロイライン。我が名は、フリードリヒ。ま、この辺じゃちったぁ名の知れた男さ」

 童顔の少年が、気取った遊び人のようにキザな台詞を言うのがおかしかったようだ。ウルスラは思わず吹き出した。……どうやら、そうしている間に学者先生のお話は終わったらしい。彼の喋った内容が、うやうやしくお触れ書きとして張り出されていた。集まった人々はもうまばらになっていたため、彼ら二人組は近くまで寄ってそれをのぞいた。

 

「うーん。ウルスラ、字は読めるか?」

「うん。村の人たち、読み書きできない人が多いから。私が一緒にくっついてきたの。私が眼と手の代わり」

「そうか、そうか。俺も手習い程度でねぇ。しかも、出来が悪かったからよく鞭でぶたれたもんだよ。…………へぇ。『15歳ちょうどの子女は今日この時をもって王宮に集まるべし』ね」

「フリードリヒ、今いくつ? 私、15なんだけど」

「残念。先月16になっちまった。まぁ、その代わりビールもワインも飲める。そう悪いことじゃあないな。……あまり好きじゃないけど」

「ふうん」

 そう言いながら、ウルスラは次の項目に目を通した。

「! 『聖剣による試しの儀を行う』だって」

「なに! 運が良けりゃこの目で聖剣の勇者の誕生が見られるかもだぜ! 行こう、行こう!」

「――ええ!」

 彼女たちの泊まっている宿にかごを預け、競争のように王城の正門まで走り抜けた。一応王城が彼の家でもあるが、召使い同然の身分なので門番も素知らぬ顔である。

 

 宮中の入り口で声をかけてきた下級役人に対し、ウルスラが15歳の有資格者で、自分はただの付き添いであることを告げた。……こんなとき、ほとんど顔を知られていない王子で助かったと彼は思う。

 行列こそできているが、驚くほど前に進むのが早い。今代の勇者がどんな豪傑か、ウルスラとおしゃべりを交わしていると。あっという間に彼女の番がやって来た。

 

「次だ。名前と出身地、あれば姓を名乗りたまえ」

 冷たい感じの男がウルスラに向けて言う。あれが試しの儀を仕切る役人だろう。フリードリヒは顔も名も知らない。

「はい。名はウルスラ。クラウ村出身です。……姓はありません」

 どこかから失笑が漏れるのが聞こえた。おおかた、農民をさげすむ貴族の子弟だろう。

「聖剣の前に立ち、剣を抜く。――これが試しの儀である。さあ早くやりなさい。後ろが待っているんだ」

 こんな小娘には無理だろう、と言う顔だ。

「はい」


 聖剣は石の台座に刺さっている。彼女は一段一段、台座に据えてある階段を上り、剣の前で足を止める。祈るように手を組み、目を閉じること少し。

 意を決したように、彼女は聖剣の柄に両手をかけた。


「……聖剣よ、我が祈りに応えよ」

 側で見物していたフリードリヒは、そんな小さな呼びかけを聞いた気がした。

 

――次の瞬間、強烈な光が目に飛び込んできた。夏の陽光もかすむような、全てを焦がす光が。そして――


「あのう、抜けました」

 みな、驚くべきものを見ていた。国中の騎士や力自慢、そして古い英雄譚に伝わる勇者と同い年の子女。その誰もが抜けなかった剣を、小柄な少女が手で抱えている。


「そんな、ありえない……! 何かの間違いだ!」

 泡を食ったように、役人が口走る。

 

「では、もう一度抜きましょう。その前に、元に戻して……っと」

 剣を台座に刺し直し、彼女はもう一度聖剣を抜いた。

「これでどうでしょう」

 ウルスラに呼応するように、刀身が光り輝いた。

 

「勇者だ」

 どこからか声が上がる。


「聖剣の勇者だ!」

 さらにまた別のどこかからも声がした。


「我らをお救いになるため、勇者様が降臨されたのだっ! 万歳!」

 興奮と万歳の声は地響きのように広がり、王宮の広間は異様な熱気を帯びていく。大臣や騎士たちが現れ、ウルスラをどこかに連れ去った後も騒ぎは収まらなかった。 フリードリヒは、ただぼうっとして彼女の去った方向を見続けていたのである。

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