バウムクーヘン・エンド

寧々(ねね)

第1話

 誰かに揺さぶられて目を覚ます。


「いつまで寝てるの?そろそろ起きないと遅刻するんじゃない?」


 重い瞼を持ち上げると、そこには少し怒った顔がある。

 小学校から社会人になった今でもつきあいのある、幼なじみのユカリ。

 枕元にあるスマホを見ると、アラームは4つとも止められていた。


「なんでもっと早く起こしてくれないんだよ!」


「起こしたわよ!アンタがあと5分、あと5分……って引き延ばした結果よ」


 何も言い返せない。

 体を起こして顔を洗いに行く。

 周りからはユカリとの結婚をせっつかれるが、こんな口うるさい奴と結婚したら面倒くさいに違いない。


「あー……頭痛い。飲み過ぎたな。記憶が全然ないわ」


「でしょうね。部屋中ビールの空き缶ばっかだもん」


 ユカリは脱ぎ捨てられたスーツを見て


「スーツも皺になっちゃったんじゃない。どうするの」


「もう1着あるからいい」


 クローゼットの扉を開けて、かけてあったもう残りのスーツを着る。

 と、


「ん?バウムクーヘン……」


 床に置かれたバウムクーヘンに足が当たった。

 立派な包装は開かれ、むき出しの状態で置いてある。


「帰ってからだな。冷蔵庫に入れてる時間も無いわ」


 そう言って慌ただしく家を出る。

 走りながら駅に向かっていると、ユカリが不満そうな声で


「せっかく朝ご飯一緒に食べようと思って来たのに」


「前もって言ってくれたら、ちゃんと起きてたよ」


「ライムしたけど」


「ほんとかよ」


 スマホをポケットから出し、チャットアプリのライムをひらく。


「……ない」


「うそ、見せて」


 ユカリがスマホの画面をのぞき込む。


「ないって、そもそもトーク履歴が無いじゃない!」


「他にも消えているのがチラホラある。全ッッ然覚えてないんだけど」


「きっと、酔っぱらってやらかしたのね。……誰かに迷惑かけたりしてないでしょうね?」


「かけねえよ!」


 自信のなさを大声で誤魔化す。

 まだユカリは何か言いたそうだったが、さらなる追求をされる前に、走るスピードをあげてやった。


● ● ●


「ユカリの奴、怒ってんのかなあ」


 仕事終わりの帰り道、ユカリとのライムのトーク履歴を見ながら呟く。

 晩ご飯を一緒に食べないかと誘ったが断られたのだ。

 一応、今朝のお詫びのつもりで奢りだとも言ったのに。


「ま、何日かすればいつもみたいに向こうからライムして……ん?」


 アパートにつき、自分の部屋の扉を開けると灯りがついていた。

 ひょっこりとユカリが顔をだす。


「おかえりー。早いじゃん」


「なんでいるんだ?というか、晩ご飯行けないって言ってただろ」


「うん。会社の子と食べる約束したからね。食べ終わったから来たの」


「なんだそれ」


「せっかくアンタがご機嫌とりのライム送ってくれたからね。来てあげてもいいかなって。感謝しなさいよ」


「誰がするかよ」


 見透かされていたことが気恥ずかしく、無愛想に返事する。

 部屋にあがり、上着を脱いでネクタイを外す。

 それらをポイッと床に置くと


「また脱ぎっぱなし。ちょっとは片づけたら?」


「うるさいなあ」


 ミニテーブルの上に、買ってきたコンビニ弁当を広げ食べ始める。

 テーブルを挟んで向かい側に座ったユカリは、床に散らばるビールの空き缶をつついて


「うわ、最悪。これ中身入ってる。虫が湧くわよ」


「なあに、かえって免疫がつく」


 信じらんない、と言いながら空き缶を持つ手につけた、ピンク色の珊瑚の指輪が目に留まる。


「朝から思ってたんだけど、それいつまでつけてんだよ。たしか大学のときに俺があげたやつだろ」


「いつまでつけようと私の勝手でしょ。可愛いから気に入ってんの」


 空き缶を置いて、指輪をなでるユカリ。


「これ貰ったって友達に言ったとき、めちゃくちゃからかわれたなあ。絶対つき合ってるでしょ、って。お母さんにいたっては、いつ結婚するの?ってきいてくるんだから」


「いい迷惑だよな。つき合ってもいないのに」


「なによ。迷惑って!」


「おい、やめろよ」


 身を乗り出して髪をぐしゃぐしゃと乱してくる。

 気遣いのいらない、心地よい距離感。

 つき合ってはいないが、特にきっかけがなかっただけだ。

 いつか、このまま結婚するんだろう。

 だからもう少しだけ、この関係を楽しみたかった。


● ● ●


 数日後、ユカリと最寄り駅のホームでばったり会った。


「あれ?お前、この駅だっけ?」


「引っ越してからね。言ったでしょ」


「そうだっけ?」


 引っ越したなんて話、きいただろうか。

 首を傾げつつ、到着した電車に乗り込む。


「なんか顔色悪いよ。大丈夫?」


「少し頭痛いかも。まあ大したことないよ」


 通勤ラッシュの電車は当然ながら満席。

 2人は並んで吊革につかまった。

 と、吊革を持つユカリの手に目が留まる。

 そこにはシンプルなシルバーの指輪。


「あの珊瑚の指輪はもうやめたのか?」


「さすがにね。会社もあるし」


「そりゃそうか」


 いま彼女がつけているのは、何の飾りもないシンプルなシルバーの指輪。

 これに比べたら、珊瑚の指輪はいささか派手だろう。


「あ、そうだ。今日の夜あいてる?晩ご飯、私の家で食べようよ」


「いいのか?」


「もちろん。引っ越してから来たことないでしょ」


「おう。楽しみにしてる」 


 少し頭痛がひどくなった気がした。

 けれどそれは、ユカリの家に遊びに行く嬉しさに、掻き消される程度だった。


● ● ●


 仕事が終わり、電車から降りる。

 ユカリとは最寄り駅で待ち合わせだった。

 今朝から続く頭痛は、どんどんひどくなっている。


 改札を抜けるとユカリが見えた。

 だが、彼女は隣にいる男性と何やら楽しそうに話している。

 どこかで見たことある顔だ。


 ずきり、と頭が痛む。


「こっちこっち!」


 こちらに気付いた幼が手を振った。


「こんばんは。来てくれてありがとう。君とゆっくりご飯でも食べて話したかったんですよ」


 隣の男が、にこやかな笑顔で言った。

 知り合いだったのか。

 けれど、全く思い出せない。


「どうも」


 愛想笑いで誤魔化す。

 頭に鈍痛が走る。


「そんなに期待されても、面白い話なんてないですけど」



「なに言ってるんですか。ユカリと幼なじみでしょう。夫には見せない素の妻の話、たくさん聞かせてください」



 夫?


 妻?


 この男は何を言って……。


「大丈夫ですか?顔色がすごく悪いですよ」


 やめろ。


 ユカリと同じ言葉をかけるな。


「ほんと、真っ青な顔してる!歩ける?少し休む?」


 心配そうな二つの顔。

 2人の顔を見ていると、なぜか涙がこみ上げてきた。


「今日は、帰るわ」


 それだけ振り絞って、早足に2人から離れる。

 早足から小走りになり、終いには全力で走る。

 2人は何か言っていたようだが、そんなもの耳に届かなかった。


● ● ●


 気がつけば、自分の部屋の玄関に座り込んでいた。

 震える手で上着のポケットからスマホを取り出す。

 指が勝手にライムをひらき、トーク履歴が消えていたグループライムのアルバムをタップする。



 そこにあったのはーーあの男とユカリの幸せそうな結婚式の写真だった。



 2人でウエディングケーキを切り分けている写真。


 2人でキャンドルサービスにまわっている写真。


 2人が……キスをしている写真。


 涙で歪む視界もそのまま、画面をスライドしていくと、指輪を交換している写真で手が止まる。


 その指輪は飾りのない、シンプルなシルバーの指輪。



「ああ、そうだ。あいつは朝からはめていたじゃないか。この指輪を、左手の薬指に」



 頭の痛みは引いていた。

 けれど、それ以上に、胸の奥が張り裂けんばかりに痛む。


「この記憶を消すために、トーク履歴も消したんだったな」


 立ち上がり、靴も脱がずに部屋に入る。

 脱ぎ捨てられて、ぐしゃぐしゃになったスーツを踏んだ。


「このフォーマルスーツ、結構高かったな。結婚式に着ていけるくらい、高かった」


 そこかしこに転がる、ビールの空き缶を蹴飛ばして床に座る。


「結婚式に出て、次の日会社だってのに、二日酔いするほど自棄になって酒飲んで」


 堪えていた涙が一粒こぼれ落ちた。

 それを皮切りに、ぼろぼろと際限なく落ちていく。


「二日酔いの朝起こしてくれたユカリも、家の中で待ってたユカリも。……全部、俺が作り出した妄想だったのかよ」


 珊瑚の指輪をはめてくれていたのは、あの男と出会う前のユカリだ。

 少し考えれば分かったこと。


「でも、そんなの、あんまりじゃないか。将来は結婚するって、周りもそう言ってたのに。お前だって、そんな空気だして……」


 バコッーーと、床に放り投げたスマホが何かにぶつかる。

 それは豪華な包装の


「バウムクーヘン……引き出物の、バウムクーヘン」


 剥き出しのまま放置されていたせいで、まだらにカビが生えている。

 それを素手で掴み、めちゃくちゃに口の中へと押し込んだ。

 目をつぶり、乱暴に咀嚼する。

 けれど

 いつまでたっても飲み込めなかった。

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バウムクーヘン・エンド 寧々(ねね) @kabura_taitan

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