第88話 たとえ爽馬がどうなっても
目を覚ますと、木目調の天井。細く開いたカーテンから朝の光が差し込む。何度か瞬きをして光に目を慣らすが、視界はぼやけたまま戻ってこない。枕元に手を這わせ、眼鏡を掴む。寝転がったまま眼鏡をかけ、起き上がろうとして……ぐっ、と横から身体を引かれる感覚。
「……?」
横に目を向けると、触れられそうなほど近くにさらさらの茶髪があって。軽く寝返りを打つと、カーテンの隙間から差し込む光が彼の表情を照らした。無防備な寝顔は天使のように愛らしくて、そっとその髪を撫でてみると、ん、と小さなうめき声が聞こえた。
「……っ」
わかっていたことだが、かわいい。できることなら、ずっとこの寝顔を眺めていたいところだが……何気なく視線を動かすと、ベッド脇の時計はもうすぐ八時を指すところだった。アラームが鳴る前にスイッチを切ると、神風の頬をつついてみる。小さな声とともに茶色の瞳が薄く開き……
「……ん……って、うわぁっ!?」
――なんか、跳ね起きた。未だに身体を起こす気配のない山田を見つめ、幾度か瞬きし……その頬にみるみるうちに熱が上がっていく。
「えっ、待って、ボクは一体何を……え!?」
「……おはよう」
「あっ、うん、おはよう……なんかごめんね。寝づらくなかった?」
「別に」
ようやく半身を起こし、眼鏡をかけ直す山田。何事もなかったかのように……というか本当に何事もなかったのだが、とにかく慌てる神風に視線を向け、口を開く。
「むしろ大歓迎。もう高校出たら同居しないか?」
「いや早いよ! もっと段階踏もうよ! っていうかボクは……うぅ……」
抱きついていたのは無意識だったのか、顔を覆って悶絶する神風。そんな彼の頭をそっと撫でつつ、山田は一つ頷く。
(……うん、かわいい)
◇
「……えっとね」
とりあえず着替えを済ませ、カーテンを開ける山田に、神風はどこかばつが悪そうに声をかけた。何気なく振り返る彼から一度目を逸らし、意を決したように再び視線を向ける。
「……昨日も言ったけど、父様には普通にクラスメイトが泊まりに来るだけって説明してる。付き合ってることは……まだ言ってない」
「……だからこの連休のうちに話そうってわけか」
「うん、そう。……父様、今なら下にいると思うんだけど……どうする?」
「どうするって、決まってるだろ」
言い放ち、神風に歩み寄る。強引に彼の手を取り、歩き出した。
「えっ、ちょ、スターライト?」
「行くぞ」
「行くって、えっ、そんな行き当たりばったりで!?」
「下手に長引かせる方が下策だろ。こういうのは誠意ってやつが大事だし」
「そういう問題!?」
手を引かれるままに階段を下り、昨日も使ったダイニングへと降りる。そこでようやく足を止め、山田は新聞を読む長身の男性を見つめた。黒髪に黒い瞳、モデルのように整った顔立ち。神風とはあまり似ていないが、見覚え自体はあった。初夏に行われた神風の誕生パーティーで、遠目に見た程度だが。ふと彼は新聞から顔を上げ、人当たりの良い笑顔を浮かべた。よく見ると、少しだけ垂れた目元には神風の面影がある。
「おはよう、爽馬。……と、お友達、ですか?」
「あぁ、うん。クラスメイトの山田スターライト」
「初めまして」
軽く一礼すると、黒髪の男性も立ち上がった。山田に歩み寄ると、懐から名刺を取り出す。
「こちらこそ初めまして。カミカゼ・ホールディングス総裁、神風英晴と申します。どうぞ、よろしくお願いします」
「……山田
「あのね、父様、すごく大事な話があって……」
「……あぁ、まぁ、座ってくれ。朝食の後にしよう」
◇
「……それで、大事な話とは?」
コーヒーのカップを置き、神風の父――英晴は問うた。対し、二人は顔を見合わせる。一瞬だけ瞳を震わせる神風に頷いてみせ、山田は英晴に視線を向け直した。
「……落ち着いて聞いてください」
「はい」
「俺たちは付き合っています」
「……なんて?」
寝耳に水だったのか、英晴の笑顔が引きつった。未確認生命体にでも会ったような表情に、山田は真顔で繰り返す。
「俺と爽馬は付き合っています」
「……ちょっと待ってくれませんか、恥ずかしながら、何をおっしゃっているのかいまいち飲み込めないといいますか……爽馬ちょっと待ってくれどういうことなんだ一体、父さんはちょっと混乱しているぞ」
「うん、父様の立場なら誰だってそうなるよ……ボクだってそうなる」
頭を抱え、神風は深く息を吐いた。観念したように顔を上げ、口を開く。
「……でも、スターライトが言ってることは本当だよ。……付き合ってるんだ、ボクたち」
「……待って、一つ一つ整理させてくれ」
片手で顔を覆い、もう片方の手を二人の前に出して、英晴は肺の奥から空気を吐き出すような溜め息を吐いた。その額に浮かぶ冷や汗、混乱したように細かく動く瞳。一瞬だが、ひどく長く感じる沈黙の末、彼は恐る恐る口を開いた。
「……付き合ってるって、それは恋愛的な意味で?」
「そう、だよ」
「……いつから?」
「文化祭あたりから……だね」
「半年前くらいか……それで、何故……本当に何故……?」
「……好きになったから……?」
「何で疑問形なんだ」
隣から飛んできたツッコミに、神風は一瞬飛び上がった。そのまま勢いよく向き直り、涼しい顔の山田に必死に言葉をかける。
「ねえスターライト、事の重大さわかってるのかい!?」
「……そんな深刻な話か?」
「大問題だよッ! だってそうじゃないか、もしかしたらその、け、けっ……」
「……成程な」
「二人ともちょっと待ってくれないか!? 私が完全に置いてけぼりだぞ!?」
唐突に投げかけられた声に、二人は思わず顔を上げた。未だに頭を抱えつつ、英晴は一旦落ち着こうと深く息を吐く。何度か深呼吸を繰り返し、山田に向き直る。
「……スターライト君、でしたね」
「はい」
「君は……爽馬を愛していますか? 私の息子を幸せにすることはできますか?」
その響きは挑戦者を試す賢者のようで、神風は思わず唾を飲み込む。山田は普段と何ら変わらぬ涼しい顔で――ある種、不遜ともとれる表情で言い放った。
「はい。たとえ爽馬がどうなっても、俺は爽馬を愛し続けると宣言します」
「……っ」
その横顔は神に挑むかのように不遜で、姫君を守る騎士のように真剣で。神風の瞳が海に映る満月のように揺れる中、英晴は深く頷いた。鋭い視線を、今度は神風に向ける。
「爽馬」
「……はい」
「お前は……彼を一生愛し続ける覚悟はできているか? 彼を幸せにする覚悟は、できているか?」
その声はひどく重く、青銅製の鐘の音のように脳に響いた。唾を飲み込み、父の目を真っ直ぐに見据える。隣で山田が背中を押すように頷く気配。神風は結婚の誓いを立てるように、重々しく口を開いた。
「勿論です、父様。ボクはスターライトにたくさん支えられてきました……だから、今度はボクが」
「……よくわかった」
二人の言葉に、英晴は重々しく頷いた。仕事柄、人を見る目はあるつもりだ。神風に関しては自分の息子であるという点を抜きにしても……誓いのような言葉は、信用に足る気がして。
「スターライト君」
「はい」
「……うちの息子を、よろしくお願いします」
そっと背中を押すような真摯な声とともに、頭を下げる。そこには普段の死ぬほど心配性な父の姿はなく、ただ一人の息子の父として、幸せを願う男の姿があった。思わず目を見開き、神風は張り詰めていた糸を緩めるように息を吐く。
「……ありがとう、ございます」
「ありがとうございます」
二人同時に頭を下げ、胸の奥から感謝の言葉を吐き出す。山田の声はどこか震えていて、春の嵐を孕んでいるかのようで。ゆっくりと顔を上げ、どこか泣きそうに口元を振るわせる彼に、神風は陽だまりのように微笑みかけるのだった。
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