第69話 っていうかそのネタ古い
「おはよー、爽馬……」
「あ、辰也。おはよう……って、なんか眠そうだね?」
鶴天中庭の紅葉も見頃になってきて、風もすっかり冷たくなってきた十一月の朝。目を擦りながら教室に入って来た御門に、神風はぱちぱちと目を瞬かせながら問うた。よく見ると、ソフトショートの黒髪にも若干寝癖がついている……というか、乱れている。
「っていうか髪の毛直しなよ……」
「直したよ。クレアが」
「待って、何で?」
「いや、普段は自分で直してるよ。でも今日は何か急にクレアがいじり始めて。抵抗すんのめんどくさいからほっといたんだけど、なんか悪化した。クレア後でしばく」
「……ボクはどうコメントすればいいんだい?」
複雑そうな苦笑を浮かべる神風に、御門は肩をすくめる。そのまま自分の席につき、英語の参考書を取り出した。
十一月も中旬。すっかり受験モードに移行した特進コースの朝は、参考書のページを捲る音とシャーペンが走る音で埋め尽くされていた。神風も神風とて漢文の文法書を開き、志望大学の過去問と格闘していて。一昨年分をノートに解き、答え合わせをしようと解答解説の冊子に手を伸ばす。同時……ちら、と隣に視線を向けた。
――数学の添削プリントを相手に、何か考えている様子の山田。藍色のクルトガを静かに動かし、時折手を止め、また数式を書き始める。開け放たれた窓から入ってくる秋の風が、ブルーブラックの髪を静かに揺らして。静謐な横顔から不思議と目を離すことができず、吹き込む秋風がひどく涼しく感じる。
「……?」
ふと山田の視線が動き、神風の視線を絡め取る。刹那、神風の鼓動が大きく翻った。一瞬で頬に熱が上がり、わずかに息が乱れる。眼鏡越しの瞳は数秒神風の茶色の瞳を見つめたのち、何事もなかったかのようにプリントに視線を戻した。子犬が飼い主を探すようにその視線の動きを追って、神風は自分の机に視線を落とす。
(……全く、いつだって弄ばれっぱなしじゃないか、ボクは……)
気付かれないように溜め息を吐き、神風はシャーペンを赤ペンに持ち替える。
◇
「矢作」
「へいへい」
いつものように矢作の席を強奪し、御門は膝の上に弁当箱を広げた。ミニトマトのヘタを捻り取りつつ、神風に視線を向ける。
「ところで爽馬、何か忘れてない?」
「あぁ、忘れるわけないじゃないか……たんじょ」
「タツヤーっ!」
――開けっ放しの後ろ扉から、弾丸のように飛び込んでくる赤髪。彼は御門の椅子の背もたれに手をつけ、やかましく口を開く。
「朝も言ったけどHAPPY BIRTHDAY!!」
「うるさいよクレア。それ何回目よ」
「まぁまぁ、いいじゃないか、別に減るもんじゃないし。改めて誕生日おめでとう、辰也」
「ふふ、ありがとう」
神風の陽だまりのような笑顔に、かすかに顔を赤らめて笑う御門。購買の麻婆丼を咀嚼しつつ半目の山田。盛大に腕を組み、クラレンスは大股で御門の正面に回った。彼に顔を突き合わせ、至近距離で口を開く。
「ねえタツヤ、オレとソーマで扱い違いすぎない!? Why Japanese people!?」
「だって爽馬は特別だもん。っていうかそのネタ古い。あと近い」
「……って、厚切りジェイソンってイギリスでも知られてるのかい?」
「それはないよ爽馬。あの人アメリカ人だし、半年イギリスにいて一回も名前出たことないし」
無理やりクラレンスを引っぺがしつつ、御門は面倒そうに解説する。膝の上の弁当箱を自分の……というか矢作の机に避難させ、米を口に運ぶ。そんな彼を見つめながら大騒ぎするクラレンス。
「つーかタツヤ、何でオレの扱いこんな酷いんだよ!? なんか恨みでもあんの!?」
「ないけど?」
「話変わるけど、今日タツヤの誕生日だからタピオカ屋寄ろうぜ!」
「嫌だよめんどくさい。あんなデンプンの何がいいのさ」
クラレンスから顔を背け、米を咀嚼する御門。そんな問いではない問いに答えたのは、クラレンスではなく。
「……食感。あとタピオカ自体は味の主張がそこまで強くないから大抵の飲料には合う。映えに関しては俺はよくわからん」
「何でマジレスするのスターライト……」
「割と好きだから。あと盆の間、親父の研究に付き合わされてた」
「……え?」
よくわからない単語に、思わず聞き返す神風。山田は麻婆丼の最後の一口を飲み込み、口を開いた。
「東京の全てのタピオカ屋の飲み比べ企画。爽馬は家族旅行に行ってたし、会えなくて暇だったから付き合ってた。講習も休みだったし」
「いや、暇だったの!? 何の前触れもなくLINEくれたりしてたよね!? っていうか時間あるんなら勉強しようよ……!」
「これはこれで社会勉強」
「……なんか何を言っても無駄な気がしてきたんだけど……!」
ツッコミを放棄し、神風はサンドイッチを口に運ぶ。
「じゃあ妥協しようか」
ミニグラタンを飲み込み、御門はクラレンスの額をピンッと弾いた。派手に痛がるクラレンスを眺め、言い放つ。
「スタバ行こうよ。僕あそこのキャラメルフラッペの方が好きだし」
「あー、いいよなキャラメルフラッペ! そんじゃ行こうぜ!」
「あ、今日僕誕生日だからクレアのおごりね」
「
「爽馬はどうする? 家厳しそうだけど」
「うーん、急には多分、無理だと思うなぁ……ごめんね」
「そっか、残念」
あっさりと引き下がり、御門は弁当を片付けつつ半目でクラレンスを見やる。揺れる赤髪、輝く青い瞳、白人らしい白肌。
「ていうかクレアと二人っきりでスタバ?」
「いいじゃねーか!」
「いや、普段同じ家で同じ部屋で同じ飯食ってるんだからさ。萎えるっていうか」
「萎えないで!? っていうかホームステイ云々もあるし、今に始まったことじゃないだろ! 大体クラス違うじゃん!」
「そこ?」
軽口を叩き、席を立つ御門。矢作の……もとい、自分の席に弁当を置くと、スマホを取り出した。
「ちょっと外行ってくる。親に許可取んなきゃいけないからさ」
「うん、行ってらっしゃい」
「待ってオレも行く!」
「なんでよ。一人で十分じゃん」
仲良く連れ立って教室を出ていく二人を見送り、神風はふわりと笑顔を浮かべた。台風一過のような静けさの中、山田はぽつりと呟く。
「……俺はドトール派だけどな」
「今日は無理だよ?」
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