第68話 言われなくてもわかってんだよ

「おはよー鹿村! 鹿の話しようぜ!」

「海棠テメ、それ面白くねえっつったろ。つか今それどころじゃねえだろゴラ」

 新宿文化センターのリハーサル室に入ると、いつものごとく海棠が話しかけてきた。修学旅行以降、何故かやたらと鹿の話を振ってくる彼。いつものように軽くあしらいつつ、鹿村は広いリハーサル室の片隅に移動した。鞄を下ろすと、目を閉じ、歌詞と振り付けを最終確認する。

 鹿村の見せ場は定期公演のラストを飾る、鶴天芸能科選抜メンバーによるジャ〇ーズメドレー。尊敬する先輩たちの楽曲も含まれており、畏れ多いにも程があるが、だからこそ最終確認を怠らず、ステップを踏みながら旋律を口ずさむ。何より鹿村は――光ヶ丘はトップアイドル『SPARKING』の一員。鶴天芸能科では現役のアイドルや俳優などは珍しくないが、彼はその筆頭なのだ。どんな楽曲でも息つくように魅せる能力を発揮しなければならない。そして、そんなプレッシャーなど笑って跳ね除ける力も。

 全曲目の確認を終えると、鹿村は目を開けた。鹿村の出番はジャ〇ーズメドレーだけではない。公演会の最初を飾る、芸能科全員によるヴァイオリン演奏。やはり最初の“つかみ”は大事だ。鞄からヴァイオリンケースとチューナーを取り出し、深呼吸。

「――絶対、成功させる」

 何より……大切な従弟にして正妻が、見ているのだから。


 ◇


 スポットライトが熱い。眩しい光に目が眩み、観客席は真っ暗に見えて。それでも鹿村は客席の一点から目を逸らさず、ただ短剣のような目をしていた。観客席にいるのは『SPARKING』のメンバーであり、大切な従弟にして正妻であり。もしかすると、鹿村壮五が光ヶ丘夏輝だと知らずに来場している俺ハーレムファンクラブのメンバーもいるかもしれない。鹿村は息を吸い、吐き、指揮者の合図に従ってヴァイオリンを構えた。つまずきがちな分散和音を乗り切り、天使のファンファーレのような華やかな旋律を、まるで同化するように。

 ――ヨハン・セバスティアン・バッハ、無伴奏パルティータ第三番『プレリュード』。本来はヴァイオリン独奏曲だが、今回の定期公演会で披露するのは芸能科生徒80名によるユニゾンだ。ある種暴力的ともとれる斉奏は、独奏特有の凛とした華やかさとはまた別の色を帯びて広がっていく。あっという間に到達する独特のアルペジオ、十六分音符をメインとしたエーデルワイスのような旋律。

 たった四分弱、あっという間のプレリュード。最後の和音の残響が消えると、会場は割れんばかりの拍手に包まれて。未だ耳元に残るのは、洪水のように美しいヴァイオリンの旋律。ヴァイオリンを下げて一礼し、顔を上げ――すっかり闇に慣れた瞳で、客席の一点を見つめた。

(――薫)

 近くもなく、遠くもなく。適当な距離の客席に小動物のように腰かけ、ただ自分を見つめている桃園。その表情は暗くて見えないけれど……不思議と、笑っているんだと確信できた。


 ◇


 舞台袖。目を閉じ、深く息を吸い、吐く。スマートフォンのロック画面で確認すると、時刻は午後四時三十五分。海棠たちボイスドラマ組が舞台からはけていくのを眺め、鹿村はただ呼吸を落ち着けていた。次はいよいよ、公演会の最後を飾るジャ〇ーズメドレー。アイドルは見られるのが仕事。このくらい、なんてことない、はず。

 ――ピロリンッ、と小さな電子音。ロックを解除し、見ると、桃園からのLINE。スタンプとだけ表示された通知を開くと、一匹のウサギが「がんばれ!」と拳を握っていた。

「……ふっ、言われなくてもわかってんだよ」

 憎まれ口を叩きつつも、指は勝手に動いて。春の輝く風に似た血流を感じながら、彼は短く返信する。

『ありがとよ。行ってくる』



 暗い舞台に、明かりが灯る。鹿村がゆっくりと振り返り、朗々とソロパートを歌い上げる。輝くようなサウンドを響かせる曲目は『シンデレラガール』。華やかな衣装に身を包んだ六人の少年が完全に一致したステップを踏み、絵本の中の王子のように手を伸ばす。左センター、淡い光に包まれた彼は白い花の香りのように甘い笑顔を浮かべていて。夏風のような、それでいて砂糖でコーティングされたような歌声が響く。客席からそれを見つめ、桃園は値踏みするように笑顔を浮かべた。光ヶ丘モードとはまた違ったスタイリングの黒髪が華やかに揺れる。

「皆様ご来場ありがとうございます! 定期公演会の最後を飾るジャ〇ーズメドレー、是非最後まで楽しんでください! 『ええじゃないか』~!」

 鹿村の宣言に呼応するように、一転、ハイテンションなサウンドが大ホールを包んだ。“つかみ”を成功させ、空気をさらに盛り上げんと、からりと明るいサウンドが響き渡る。鹿村も先程の王子様のような笑顔とは一転、純血関西人かと疑うような派手なダンスを披露していて。キャラ作りだけは一人前なんだから、と桃園は苦笑を零した。

 三曲目、『Sexy Zone』。先程のハイテンションさとは真逆、クールなイントロに合わせてメンバー交代が行われ、それでも鹿村はステージに陣取って。図々しいんだから、と頬杖をつきながらも、桃園の瞳は彼に釘付けで。クールでありながらもパワーに溢れた歌詞とサウンドに、気付いたら心臓が高鳴っていて。ふと鹿村は彼に視線を合わせ、一つウィンクした。黄色い悲鳴が響く中で、心臓の鼓動が妙に大きくて。

 そのノリはそのままに、イントロなしに甘い吐息のようなサウンドが広がっていく。『SHE! HER! HER!』の砂糖菓子のように甘いサウンドに、桃園の胸が不思議と締め付けられた。相変わらずセンターに居座る鹿村は、パステルカラーのキャンディのような笑顔で旋律を紡いでいて。それはまるで、旋律により色を変える魔法のガラスのように。

 砂糖菓子のような甘さはそのままに、曲調は再び転じた。何度目かのメンバー交代をバックに、鹿村の歌声は伸びやかに、鮮やかに。『Real Face』の高速ラップすらも鮮やかにクリアし、衣装の裾を翻して鹿村はステップを踏む。舞台の上でなら何やっても最高なんだから、と桃園は嘆息を漏らした。メロディアスなサビを駆け抜け、最後の高速ラップまで気を抜かずに鮮やかにキメる。それは別世界の住人のようで、それでも限りなく鹿村壮五で。

 ロック調のサウンドの直後は、また曲調が一転する。陽気かつハイテンションなサウンドは『無責任ヒーロー』だ。どことなく時代を感じさせる歌詞を鮮やかに歌い上げ、一瞬だけ鹿村の顔を見せた彼は軽くドヤ顔する。思わず息を呑み、桃園は頬に熱が上がっていくのをただ噛みしめた。

 陽気なテンションはそのままに、響く毒のように甘いイントロは『チャンカパーナ』。何気なく交代するメンバー、何気なく持ってこられるマイクスタンド。それでも鹿村は相変わらずそこにいて、桃園の胸はどこかこそばゆくて。疲れなど知らぬように、どこまでも甘い歌詞を爽やかにキメる彼は、やはりトップアイドル光ヶ丘夏輝で。心臓の鼓動が徐々に速くなっていく。

 再びサウンドは大幅に色を変えた。手早くマイクスタンドを片付け、メンバー交代が行われる。ゴシックかつクールなサウンドに合わせて、勇ましくも可憐なステップを踏み出す鹿村。ジャ〇ーズメドレーの最後を飾るのは、『Monster』。見せ場であるソロは別の生徒に譲ったようだけれど、それでも光ヶ丘夏輝の輝きは消えやしない。不器用ながらも強い想いを宿した歌詞に、従弟いとこを真摯に見つめる瞳に……桃園の胸が、確かに、震えた。深夜のプロポーズが甘い歌詞に重なり、否応なく心臓が高鳴って。

 ――最後のフレーズが歌い上げられ、鹿村を含めた五人が整列する。

「――ありがとうございましたッ!!」

 夏風のように真っ直ぐな声に、会場のあちこちから熱い拍手が沸き起こった。無意識に手を打ち鳴らしつつ、桃園の瞳は鹿村に釘付けで。長い礼ののち、彼が顔を上げる。バチリ、とその視線が合致して。鹿村は自慢げな笑顔を浮かべ、彼に大きく手を振ってみせた。

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