第65話 そこまで真面目に考えるとか思わないって

「うぅ……眠ぃ……」

 軽自動車の後部座席で頬杖をつき、鹿村は溜め息を吐いた。桃園は隣で窓に頭を預けている彼に、ちらと視線を送る。うつらうつらと船を漕いでいる彼は、常に何かしらキャラを作っている人間とは別人のようで。

「壮五だいじょーぶ? 疲れ溜まってない?」

「ったりめぇだろ……定期公演会の周辺はスケジュールに余裕持たせといてくれって貝塚さんに言っといたからまだ楽だけどよぉ、新曲発表も控えてるし、MVも撮らなきゃなんねぇし、当然の如く稽古もあるし……」

「芸能界って大変だねー……まぁ薫も週3ペースでお稽古してるけどさ、壮五の場合は毎日でしょ?」

「そうだよ」

 もう一度大きな欠伸をし、鹿村は桃園を一瞥した。頬から手を放し、頭の後ろで手を組む。

「つーかお前だって歌舞伎座の人間だし、芸能界に片足突っ込んでるようなもんだろ? 半端な覚悟じゃやってらんねーぞ」

「うぅ……ごもっともです」

 がっくりと肩を落とす桃園に、鹿村は小さく息を吐く。再び窓の外に目を向け、運転手に聞こえないように声を落とした。

「しかも俺の場合は俺ハーレムへの労いもあるしよぉ……」

「……ずっと思ってたけどさ、ファンクラブって言おう? っていうか本当にボロ出さないでね、アンチ湧いても知らないよ?」

「いやいや、アンチは俺のこと考えてくれてるから、俺のファン、つまり俺ハーレムの一員だから」

「ハイ出た壮五のナルシスト」

「うっせ」

 桃園の言葉を右から左に聞き流し、鹿村は桃園に視線を移す。何気なく視線が合致し、慌てて足元に視線を落とした。……視線が合うだけで、不思議と胸がこそばゆくて。ひどく熱い溜め息を吐きつつ、三度みたび窓の外に視線を移した。



「鹿村、最近調子いいじゃん。何かあったの?」

「なんもねぇよゴラ」

 海棠を邪険に扱いつつ、焼肉弁当の最後の一口を飲み込む。乱暴に割り箸を置き、立ち上がった。

「え、鹿村、食うの早くね?」

「うっせ。さっさと昼練行きてぇんだよ」

「おっ、やる気じゃん! さっすが鹿村! ヤンキーぶっても地味に真面目!」

「放っとけやゴルァ!!」

 怒鳴りつけ、焼肉弁当の空容器をゴミ箱にシュートする。見事命中してゴミ箱の中に収まるのを見届け、教室をあとにしようとして――……

「鹿村ッ!」

「ンだよ、やかましい」

 ポケットに手を突っ込みつつ、振り返り――……絶句した。海棠は弁当の残りを一口に押し込み、飲み込み、立ち上がる。

「俺も行く!」

「何でだよゴラ! お前演劇部門だろうが」

「いいだろいいだろ!」

 鹿村の了承など関係ないとでもいうように、海棠はミディアムヘアを揺らして彼に追随する。溜め息を吐き、鹿村は行先を変更する――A組教室から、練習室へ。

「……勝手にしろやボケ」



 ジャ〇ーズメドレー。高校が選定した10曲を用いたメドレーだ。そのうちの一曲、『Real Face』を歌い終わり、次の曲のステップを踏み出そうとして――海棠が片手を上げるのが練習室の鏡に映った。大人しくステップを止め、鹿村は彼の対面にどっかりと腰を下ろす。

「……ンだよ。ノってたとこなのに」

「なぁ鹿村、一つ聞きたいことがあんだけど」

「あ?」

 ガンを飛ばしながら見下ろすと、海棠は胡坐あぐらをかいたままビッと彼を指さした。子供のように真剣な表情で彼を見つめ、口を開く。

「お前、好きな人いるっしょ」


「……いねぇよ!」

「嘘つけ。1年の時から同じクラスだった俺にはわかる」

 脊髄反射で言い放つ鹿村に、しかし海棠は首を横に振る。そのまま両手で頬杖をつき、じっとりと鹿村を眺めまわす。

「まず、修学旅行終わってから妙に機嫌がいい。次に、最近特進の教室に行くことがさり気に多い」

「お前何でそれ知ってんだよ」

「さぁな。そして最後に、特進の教室から戻ってきた時は妙にニヤついてる。鹿村お前、意外とわかりやすかったんだ?」

 ニヤニヤと悪戯気な笑顔の海棠に、鹿村は呆れたように息を吐いた。ガンを飛ばすのをやめ、諦めたように口を開く。

「……そうだよ、その通りだよ。文句あっか」

「ないけどさ。質問はゴミ山の如くある」

「ンだそのたとえ」

 海棠は顔から手を放し、ずいっと鹿村に顔を近づけた。好奇心旺盛な子供のように、かすかに顔を赤らめながら問う。

「で、誰なの!?」

「言うかゴルァ!! テメェにはプライバシーっつうもんがねェのかオルァ!!」

「ご、ごめん……じゃあ次の質問!」

「バラエティ番組の前のアンケートか何かか?」

 まだ続くのか、と小さく息を吐き、鹿村は海棠を睨む。しかし何の痛痒も感じず、海棠は問いを投げつけた。

 ――それが、断頭台に刃を落とすようなものであるとも知らずに。

「ファンと好きな人、あるいはメンバーと好きな人だったら、どっちを取る!?」


「――ッ!」

 鈍器で頭を殴られるような衝撃、死神に会ったかのような寒気。見開いた瞳で海棠を見返すも、彼はただ子供のように無邪気な瞳で彼を見返していた。彼から視線を逸らし、俯く。目の前が暗くなっていくようで、思わず頭を押さえた。

(――そうだ、俺は……俺には、がある)

 トップアイドルとしての責任。ファンやメンバーを――俺ハーレムの構成員たちを裏切っては、悲しませてはならない。それは『全人類俺ハーレム』を目論む鹿村にとっては、あまりにも高く、分厚い壁で。鹿村の指先が細かく震えているのに気づき、海棠は慌てて口を開いた。弁解するように両手を振り、声を上げる。

「なっ、いや、そんな深く考えなくてもいいんだよ!?」

「考えるわアホンダラァ……めちゃくちゃ重要なことだぞ、それ」

「いや、いやいや、そこまで真面目に考えるとか思わないって! ご、ごめん、鹿村! マジでごめんて!」

「……俺どうすりゃいいんだよ……」

 思わず両手で頭を掻きむしると、オールバックが派手に崩れた。何人もの俺ハーレム構成員と、たった一人の大切な従弟いとこ。心の天秤にかけようとしても、手が震えて。海棠はきっと鹿村の苦悩に気が付いてなどいないのだろう。彼の弁明が練習室に虚しく響く中、鹿村はどこか泣きそうな声を絞り出した。

「……もう、本当に……どうしろっていうんだよ……!」

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