第53話 それなりに草食系なんだろうね

「ふーん、結構広いじゃん」

「だから辰也は何でそんなに上から目線なんだい……?」

 旅館の部屋は畳張りで、奥の窓には障子がつけられた、いかにも日本家屋といったそれだった。興味深げに周囲を見回すクラレンスを小突き、御門は呆れたように口を開く。

「っていうかクレア、和室くらい僕の家にもあるでしょ?」

「いやいや、和室で寝たことはねーし。直で布団敷いて寝るんだろ? 固くね?」

「そうでもないよ。畳って意外と柔らかいし」

「ほー……!」

 キラキラとした瞳で御門の話に耳を傾けるクラレンス。その様子を微笑みながら眺め、神風は窓の方に目を向けた。

「でも広島だし、結構暑いのかもしれないと思ってたけど……意外と涼しいね」

「夜だからな」

 鞄からスマホを取り出す山田。その片隅には厳島神社で買ったばかりの大鳥居ストラップが揺れていて、神風は小さな花を見つめるように微笑む。

「昼間は普通に27度くらいまであったらしい」

「うん、結構暖かかったよね……流石に東京の朝は寒かったけど」

「あー、なんか東京は今日、雨だったっぽいよ。道理で寒いわけだよねー」

 言い放ち、鞄を下ろす御門。大きく背伸びし、猫のように無邪気に微笑んだ。

「さて、荷物置いてご飯食べに行こうよ。ご飯何だろうね?」



「……はぁ……」

「ホント元気ねーな、鹿村」

 白い布団が敷かれた和室の片隅に、髪のスタイリングを解いた鹿村は座り込んでいた。海棠が彼を覗き込み、そのまま正面に座る。

「うるせぇよゴルァ……今日の分のボイトレしてぇけど、流石に迷惑だよな?」

「別にいんじゃない? 今日は貸し切りだし、他科の連中とは部屋離れてるし」

 ミディアムヘアを揺らして海棠が大きく伸びをする。マイクテストでもするように幾度か声を出し、一度天井を仰ぐと、再び鹿村に視線を戻した。

「でも俺、一応声優やってるからわかるけどさ、一日でもボイトレ休んだら結構感覚鈍るだろ? 現役トップアイドルなら、やっといた方いいと思うぜ」

「だよな……」

 立ち上がり、深呼吸。ロングブレス、表情筋トレーニング、発音トレーニング、リップロール、タングトリルと一通りの基礎トレをすると、スマホの録音機能をオンにした。ここのところ精彩を欠いているけれど、それでもトップアイドルとしてこれ以上、俺ハーレムの構成員……もとい、ファンを悲しませるわけにはいかない。息を吸い、最初の音を唇にのせる。軽くステップを踏みながら、その唇から流れる曲目は『ウィークエンダー』。キャッチーなメロディとダンスに目を奪われかけて……海棠はふと違和感を覚えた。2番に入ったあたりで片手を上げ、口を開く。

「ちょっとストップ」

「……何だよ」

 大人しく歌を止める鹿村に、海棠は立ち上がって腰に手を当てる。半目で彼に顔を寄せ、口を開いた。

「全ッ然声出てねーじゃん。発音も何か、もにょもにょしてるし。悩みあんだろ?」

「……」

 俯き、鹿村は口を閉ざす。海棠は肩をすくめ、彼を見上げた。こういう時の彼は頑として何も話さない。あえて何も聞こうとはせず、ただ言葉をかける。

「難しいとは思うけどさ、早めに解決して、ファンの皆に見せてやれよ。いつもの光ヶ丘夏輝ってやつをよ」

「……だな」

 呟き、鹿村は虚空を見つめる。その耳に蘇るのは、少女じみた高い声。

『――壮五なんて、嫌いッ』

(……薫……)

 ぎゅっと目を閉じ、鹿村は彼を、笑った顔を想う。



 夕食と風呂を済ませ、布団が敷かれた一室。もう一つのグループがモンストに興じる声をBGMに、クラレンスは天井を見上げて呟いた。

「……暇だからさ、タツヤの話しようぜ」

「なんでよ」

「い、いいじゃねーかよ! オレ、タツヤのこと好きなんだから!」

 からりと爽やかな笑顔のクラレンスに、呆れたように溜め息を吐く御門。どうでもよさそうに口を開こうとして――

「赤いの」

「クラレンスだよ! クラレンス・スペンサー! 略してクレア!」

 ――山田に先を越された。相変わらず山田は人の名前を覚える気がないらしく、神風はこめかみに手を当てる。顔から湯気でも吹きそうな勢いのクラレンスを軽く流し、山田はスマホをいじりながら問うた。

「お前、そいつのどこを気に入ったんだ?」

「全部だな!」

 一瞬で相好を崩し、クラレンスは御門の肩に頭をのせた。母猫に甘えるように頭を押し付け、子供のように語り出す。

「笑った顔が可愛いとことか、色々言うけどなんだかんだで面倒見がいいとことか、あとポ〇モン強いとことか! オレ一回も勝てたことねーんだよ、すごくね?」

「クレアが弱いだけでしょ」

「Huh!? オレそれなりに強いんだぜ!?」

「はいはい」

 軽くあしらいつつも、御門は彼の頭を振り払おうとはしない。そんな様を見つめ、神風は幼い友情を見つめるように口を開く。

「やっぱり仲いいんだね、二人は」

「そりゃそーだよ! オレたち、めっちゃ仲いいもんな!」

「うるさいよ。クレアが勝手にそう思ってるだけじゃん」

「ひどくね!?」

 それでもくっつくのをやめないクラレンスに、御門は呆れたように息を吐く。


(……だいたい、僕が好きなのは……)

 そんなことを口にしようとして、飲み込む。目を伏せ、思うのは大好きな幼馴染のこと。今、ここで本音を口にしてしまえば、彼を困らせてしまうことは明白で。折角の修学旅行を、気まずい形で終えたくはない。

(多分僕は、それなりに草食系なんだろうね……別に付き合わなくても、好きな人が傍にいてくれれば、それでいい、みたいな。そりゃ人並みに手を繋いだりしてみたいけどさ、なんてゆーか……)

 ちら、と視線を上げ、神風を視界に映す。明るい茶色をした髪、小さな花が咲くような笑顔。そして否が応でも視界に入ってくるブルーブラックの髪。再び視線を伏せ、白いシーツを見つめる。

(……別に、憎くはないんだよね。何としても自分のものにしようとかは、特に思わない。まぁ引っかかるものがないとは言わないけどさぁ……でも、神風には幸せになってほしいから、さ)

 視線を上げ、今度は山田の方を視界に収める。1ヶ月と少し、神風を通して共に行動した。その限りで言うと、少し、いやかなり変人だが……。

(……でも爽馬のことを大切にする気持ちは、本物なんだよね……)

 両手で布団カバーを握りしめると、小さな皴になる。


「――タツヤっ!」

 唐突に投げかけられた声に、顔を上げる。瞬間、両手で頬をつねられた。じわじわと痛みが広がっていく。彼に目を合わせたまま、クラレンスは至近距離で叫んだ。

「タツヤお前聞いてないだろ! 怒るぞ!」

「い、痛い放して」

「放すぜ」

 ぱっ、と手を放され、未だにじんじんと痛む頬をさする御門。

「……で、何?」

「実際お前、オレのことどう思ってんだよ」

「それ聞く?」

 ストレートすぎるなぁ、と思いつつ頭を掻く。視線を動かすと、気まずそうに表情を硬くしている神風と、興味を失ったようにスマホをいじっている山田。もう一度クラレンスに視線を戻し、悪戯っぽく口元に手を当てた。

「……教えなーい」

「は、はぁ!? お前、そういうの日本じゃ『いけず』って言うんだろ!?」

「それ方言だから」

 クラレンスをいつものように軽くあしらいつつ、天井の木目を見つめる。彼のことは別に好きではないけれど、何も考えていない一本気なノリは不思議と心地よくて。

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