第52話 御利益とかは特にないけど

「鹿村。鹿いんぞ」

「……知るかオラ」

 フェリーを下り、宮島に降り立つのは芸能科K組の生徒たち。プライベートモードで黒髪をオールバックにした鹿村は、クラスメイトの海棠かいどうの言葉に半ば上の空で応える。肩をすくめ、海棠は前髪を流したミディアムヘアを揺らして彼を覗き込む。

「お前、修学旅行なのに元気なくない? っていうか球技大会の辺りからずっとその調子だよな……しかも何かあっても、お前、人に相談するタイプじゃないし」

「……何もねえって。黙っとけゴラ」

「おー、こわこわ」

 大袈裟に身を震わせ、海棠は後ろ歩きを始めた。時折背後をチラチラと確認しつつ、口を開く。

「つーかお前、芸能界でも『スランプか』って騒がれてんじゃん。俺の事務所でも話題に上がってるんだけど」

「……」

「『SPARKING』のメンバーも心配してんだろ? 早めに誰かに相談した方がいいと思うけどな」

「……うるせえよ」

 海棠から視線を逸らすように俯き、少し足を速める。彼を追い越すと、鹿村は肺の空気をすべて吐き出すような溜め息を吐いた。

(結局、薫とはまだ和解できてねえ……話すら、できてねえ……手遅れになる前に、どうにかしなきゃなんねえのに……ッ)



「初めて来るけど綺麗だね、厳島神社って」

「まぁ、流石は世界遺産に選ばれるだけのことはあるよね」

「……辰也は何でそんなに上から目線なんだい?」

「だって僕どっちかって言うと出雲大社派だし。伊勢神宮も捨てがたいけどさ」

 よくわからない持論を展開する御門に、神風は苦笑を返す。桟橋状に細く突き出した平舞台の上、彼らは後方の社殿を眺めていた。その隣で桃園の明るい声が響く。けれど、それはかつての混じり気のないそれではなくて。

「ねーねー、海きれいだねー」

「……」

「夕焼け見えるかなー?」

「空いた。行くぞ」

「無視ッ!?」

 そんな彼をガン無視して、山田は神風の手を取って歩き出す。平舞台の先端、大鳥居がよく見えるポジションは写真撮影をする生徒たちでにぎわっていた。最早行列すらできていたが、ようやく彼らの順番が回ってきたのだ。

「やー、にしてもいいよな、こういうの! Japaneseって感じがするぜ!」

「クレアは子供なの?」

「高校生は子供だろ! んー、どんなポーズがいいと思う?」

「……もしかしてさっきから静かだったの、それ考えてたから?」

「That's right!」

「自慢げに言うことじゃないから」

 何故かドヤ顔のクラレンスを軽くあしらい、御門も歩き出す。それを追うようにクラレンスも小走りに歩き出し、彼の周りをぐるぐると回った。

「あっ、ねえ、待ってー!」

 それにようやく気付き、桃園も駆け出す。


「それじゃあ、撮りますねー!」

 スキンヘッドのカメラマンがカメラを構え、隣で雨宮がスマホを掲げる。茜色の光の中、海中の大鳥居をバックに彼らが佇む。中央でピースサインをする神風と、その肩に手を回して無表情の山田。彼の隣で、どこか浮かない笑顔でダブルピースの桃園。神風に寄り添ってピースする御門と、彼の肩に手を置いてピースサインを掲げるクラレンス。フラッシュが焚かれ、そんな五人の姿が数枚の写真に収められる。

「はい、ありがとうございましたー!」

「つーかお前らの班イケメン揃いすぎて憎いんだけど! この気持ちどうにかしてくれよー!」

「知らないよ」

 雨宮からスマホを返されつつ、御門はどうでもよさそうに言い放つ。その両脇から顔を出し、雨谷と雨取も彼に詰め寄る。

「もうさー、特進の人間でさらに顔よしって、天は何物なんぶつ与えれば気が済むのさー」

「ホントうらやま」

「だから僕に言わないでってば。次君らの番だよ、後つっかえてるんだから早くしなよ」

「へいへーい」

 そう言って平舞台の先端に向かう三人と、あと一人の班員。彼らから目を離すと、桃園は少し俯いたまま、弱々しく口を開いた。

「……薫、ちょっと向こう行ってるね」

「お、おい、単独行動は禁止だって!」

 クラレンスの制止も聞かず、小走りに人混みに紛れてしまう桃園。何故か慌てて周囲を見回し、クラレンスは御門の腕をガッと握った。

「は?」

「追うぞ、タツヤ!」

「い、痛い痛い、腕ちぎれる。わかったから放して」

 やたら強い力で引っ張られ、嫌々ながらも彼についていく。彼はバカで一本気で何も考えてなくて、だからこそその行動力は真似できないものがあって。やれやれ、と溜め息を吐きつつ、御門は手を引かれるままに歩き出すのだった。



「……うーん?」

「とりあえず二人きりだな」

「え、えぇっ!?」

 藪から棒な言葉に、神風の心臓が激しく跳ねる。高鳴る心臓を押しとどめるように胸を押さえると、山田はそんな彼の片手を引いて歩き出した。

「……ね、ねぇ、三人と合流しなくても……」

「どうせ連絡すればすぐ合流できるんだ。……今くらい二人きりになっても、罰は当たらないだろ」

「……そういうものかな?」

「ああ」

 山田の言葉には何の根拠もないけれど、それでも不思議と確信に満ちていて。小さく嘆息し、神風は山田の手をぎゅっと握り返す。

「……ぶれないよね。キミは」

「……」

 特に返事はないけれど、それでも繋いだ手が少しだけ強まるのを感じ、神風は藤の花が揺れるような微笑みを浮かべた。彼の隣に立ち、歩き出す。

「それで、どうするんだい?」

「欲しいものがある」

 短くそう告げ、山田は本殿の中へと躊躇わず進んでいく。中央部の授与所はたくさんのベージュブレザーとセーラー服で賑わっていた。そんな人混みをかき分けるように進み、授与所の片隅に辿り着く。迷わず手に取ったのは、大鳥居をモチーフにしたストラップだった。それを二つ取り、神風が口を挟む隙すらも与えずに購入する。

「え、待って、どういうことだい?」

 一旦その場を離れつつ問う神風に、山田は特に応えずに本殿の片隅まで歩いていく。瀬戸内海が望める場所で立ち止まり、二本のストラップを見つめた。数秒何か考えたのち、片方を神風に差し出す。綺麗にパッキングされたそれは鮮やかな朱色をしていて、神風はそれにそっと手を伸ばした。受け取り、じっと見つめる。その口元がほころぶのを見つめ、山田は口を開く。

「御利益とかは特にないけど」

「大丈夫。……すごく、嬉しいよ」

 そう呟く神風の頬は、ピンク色の薔薇の花のように染まっていて。差し込む茜色の光を差し引いても、その笑顔はあまりに尊いもので。一度目を伏せ、再び神風と目を合わせる。小動物のように見つめ返してくる神風を、硝子細工に触れるように、そっと抱き寄せた。瞳を閉じ、告げる。

「……愛してる。爽馬」



「……っ」

 学業成就のお守りが、ぽとりと落ちる。茜色に包まれた光景に、桃園の喉元で言葉が砕け散った。貧血を起こした時のように、目の前が暗くなっていく感覚。くら、と頭を押さえ、桃園は数歩後ずさった。壁に背中が当たると同時に、へなへなとへたり込む。


『それなら、修学旅行中にあいつに告白するんだ』

『それがかなわなければ、おれは金輪際、お前には関わらない。そして、もう一つ』

『――もしダメだったら、金輪際、山田スターライトには絶対に近寄るな』


 脳裏に響くのは北条の声。それは地吹雪のように冷たく、それでいてアーモンドのような甘い香りがして。全身が痺れるような感覚に、桃園は小さく息を呑む。ふと顔を上げると、すぐ側にいる気がして。

 物語の中の神父のように、彼に向かって、優しく手を伸ばしてくれる気がして。


「……薫は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る