我思う、故に訳あり。

乾燥バガス

我思う、故に訳あり。


「にゃ~」


 開口一番、ため息とも挨拶とも取れる大声でドアを開けて入って来るユキ。


 こいつはかなり、酔ってるな。


「もう少し静かにできませんか?」


 ドア近くに置いてあったキャスター付きの椅子に前後反対に座り、その背もたれに顎から下を預けているユキに向かって私は言った。


 ユキは両手をだらりと下げたまま、両足だけでその椅子を転がしこちらに向かってくる。


 大理石を敷き詰めている床は、キャスターの転がりがとても良さそうだ。天井まで届くほどの高さの書架の林を抜け、ユキが私の机に向かってくる。大理石の継ぎ目でキャスターの音をゴトゴトと鳴らしながら。


「うっさいわね~。あたしは今気分が悪いの! 呑まなきゃやってられないの!」


 私の作業机の直前まで来たユキが言った。


「何か良いことでもあったのですか?」

「あたしの話聞いてた?」

「気分が悪い割には、顔が笑ってますよ?」

「あ~、それね。瓢箪から駒って言うの? 問題の解決方法を考察していたときに、全然別の面白いことを発見しちゃったのよ」

「そうですか」


 あぁ、これはめんどくさいやつだ。これ以上首を突っ込むのはそう。


 私は一時中断していた作業に戻ることにした。玉石混交の資料を選別したり纏めたりするのは集中が必要なのだ。


「ちょっと! そこ。もっと突っ込んできなさいよ~」

「めんどくさいです」

「そう言わずにさ~」


 ギシギシと前後に椅子を揺らしながらねだるユキ。


 まったく……。


 さっさとユキの話を聞き終えてから作業に戻った方が効率が良さそうだ。


「はいはい。じゃあ、聞くわ。……それで?」

「あたしって誰?」

「……」


 は? 何を言っているのだ、この変人は?


「その目。変人を見ている目に見えるのだけれど、気のせいよね?」


 両手をだらりと下げたまま、背もたれの上に顎を載せているユキが聞いてきた。


「あながち間違っていませんよ?」

「む~。違うのよ」


 何が違うと言うのか……。


「あたしね、思うのよ……」


 私が黙っていると、ユキは話しだした。


「あたしが見たり聞いたり考えたりする『主観』って有るじゃない? あなたにも有るでしょ?」

「まぁ、ありますね。感情とか、あなたに対する呆れとか。さっさと出て行ってくれないかなと激しく思う気持ちとか」

「それって、どうやって出来てるの?」


 これまた、ぶっ跳んだ疑問が吐き出されたものだ。


「大脳で考えてるんじゃないの?」

「そう! それよ、それ」


 右手だけをのっそりと持ち上げ、人差し指で私を指すユキ。


「よかったわ。

 解決したなら、もう話は終わりと考えて良いかしら?」

「違うわよ!

 それってもっと踏み込んだら、神経細胞と、シナプスを介した神経伝達物質の授受に分解できるでしょ?」

「そうかしらね」

「そこでね、人間の身体の全てを構成する原子構造まで、完全に同じものを作れるとするわね」


 今度は、突拍子のない仮定が飛び出してきた。


「スワンプマンとか言う思考実験かしら?」

「SFで出てくる転送装置でも良いわ。その転送装置が転送可能だとすると、コピーも出来るんじゃない?

 そしてそのコピーができたとして、あなたがコピー元の人間だとするじゃない? その場合、コピー元にあなたの主観が残るのか、コピー先にあなたの主観が移るのか、どっちだと思う? 神経伝達物質を含む、あなたの身体を構成しているすべての電子や原子の種類や配置状態は、まったく同じとするわよ」

「コピー元に残るのかしらね」

「じゃあ次ね。コピーじゃなく転送に話を戻すわよ。

 転送手段が物質そのもの移動ではなく、転送元の物質の配置をスキャンしながら分解して、転送先で周囲の物質を集めて再構築する方法だった場合はどうなると思う? つまりコピー元を削除しながら、コピー先を再構成する場合の話」

「転送元の私の主観は死んだことになるでしょうね。そして転送先には私の記憶を持って、全く同じ考え方をする別の主観が生まれるのでしょうね。私以外の他人から見ると、まったく同じ私なんでしょうけれども」

「あたしも同じ考えよ」

「そう、それは良かったわ。じゃあ話は終わりね。

 出口はあちらです」


 私はユキが入ってきた扉を指して言った。


「まぁ、待ちなさいよ。今のところ転送は実現不可能だわ。そもそもそんなことが言いたかったのでは無いの」

「じゃあ何よ?」


 ユキの与太話は、まだ続くと言うのか?


「主観を作り出すモノの話よ」

「神経と神経伝達物質の話?」

「そうよそれ。あなたが転送の方に話を持って行ったから、あたしが話したいことから外れちゃったじゃない」


 いや、転送の話をし始めたのはユキではないか。


「……」


 黙っていると、ユキが語り出す。


「だとしたらよ? そのカラクリを思いっきり抽象化すると、こうなるんじゃない? 

 まず、状態を保持できる塊が有る。そして、その塊は移動する物体の授受によって状態を変化させることができる。その様な状態変化する塊を集めたものが、思考や感情ってことになるじゃないかしら?」


 神経細胞も状態変化する塊であるし、それを集めたもので思考や感情が構成されるというのであれば、


「……そうなるのかしらね。でも移動体が移動するきっかけなどの状態変化のルールが必要じゃない?」

「それは進化の過程で淘汰されて生き残れば、それがルールなのよ。誰かが予め作った訳では無いでしょ。たまたま残ったの」


 ユキは状態変化の機序に関しては深入りする気は無いらしい。


「それで? ユキはその状態を持つ塊という物を集めたものが主観であると言いたい訳?」

「え~っと、塊の集合体は、主観の元となる情報源ではあるのだろうけど、主観そのものでは無いと思うの。そもそも主観を作り出しているカラクリがどこに存在するのかという疑問はあるわ。だって、状態の集合を一つの主観として統合管理する必要があるのでしょう? それってどこよ? 脳内? それとも平行精神世界?

 だけれどもね、それは今は脇に置いておくわ。ただそこに主観はあるという事は確かだと思うのよ。今、確かに私は何かを思っているし、あなたも今、何か思うところがあるのは確かでしょ?」


 確かにそうだ。今、実際に私は『確かに』と感じている。さらには、ユキがめんどくさい話をしていると感じている自分が居る。


「確かに……」

「そう、確かにそうなんだけど、そんなことはどうでも良いのよ」


 これまで話を引っ張って、どうでも良いとはどういう事?


「じゃぁ、どこに話を振ろうとしてるのよ」

「人類以外の、意識を持つ生命体」


 呆れた。ユキの話はどこに向かっているのだろう……。


「宇宙人ってこと?」

「それは、ちょっと簡単すぎるわ。もう少し別の視点」

「話が見えないわね」

「話は聞くものよ? 見るものじゃないわ」

「そんな揚げ足取りは、どうでも良いから!」

「あら? 揚げ足を取るだなんて、別にあなたは間違ってないわよ?」

「……」


 ユキによって私の感情が乱暴に揺り動かされる。


「あなた、すぐに話を逸らすんだから……。話を戻すわよ」


 呆れた様子で言い切ったユキ。


 くっ、感情を表に出したら私の負けだ。私は一旦、深呼吸した。


「用意はいい? じゃあ、人類以外の意識を持つ生命体に話を戻すわよ」


 私が深呼吸するのを待ってユキが言った。


「神経細胞の役割を地球上の特定の地域とし、シナプス信号の役割を地球上生命としたら、どう思う?」


 何故だか知らないが、ユキが私に挑む様に言う。


 確かに人間及び過去の生物の動きをシナプス信号とし、特定の地域を脳の神経細胞としてその状態を総合すれば、地球と言うものも何かしらの主観を持っているとも言えそうだ、だが……。


「確かに惑星も主観を持っていると言えるかも知れないわね。ただ、確認のしようが無いわ」

「そしてこの論が正しいとすると、地球は主観を持っているだけではなく、生物でも有るわけよ」


 私の『確認のしようが無い』の発言を無視するユキ。


 まぁ良い、こいつはこういうヤツなのだ。


「生物と言えるかどうかは疑問ね。生物の定義にもよるけど、外部と影響を与えたり与えられない塊は生物じゃないでしょ、目や口、それと筋肉は何処にあるのよ」

「その疑問は、あなたが見たことが有る動物を基準に考えるからでしょ? もっと柔軟に考えてみたら良いわ。

 でね、この場合、地球の目も口も筋肉も、地球上生命がその役割を果たすのよ。動物みたいに各細胞が別の役割を持つ必要もないわ。その万能細胞かつ神経伝達物質の役割を持つ地球上生命は、人間と言う形に成長を遂げて来たの。さらに付け加えると、増殖は地球上生命の他の惑星への移住で定義できそうだし、進化は他惑星への移住の仕方の変化で定義できそうだし。そうなってくると地球は惑星生物の一個体と言った方が良いのだろうけど。

 だからと言って、惑星生物の地球は人間とコミュニケーションはできないと思うの。伝達物質役の地球上生命の移動はものすごく遅いから、地球の思考はものすごく時間が掛かるでしょ?」


 首を傾げて同意を求めてくるユキ。


「なるほど。つまり、地球は主観を持っているかも知れなく、そしてこれから他の惑星生物とコミュニケーションを取ろうとしている、生命体だと言いたいのね? ユキが私に伝えたかったのはそう言う事でしょ?」

「いいえ」


 残念そうな顔で答えるユキ。


「はあ? 違うって言うの?」


 思わず大きな声が出てしまった。


「え~っと、今までの話の内容を否定する訳ではないの。私が言いたかったことの本命は、あなた自身のことなのよ」

「……」


 ……なんだ、そちらの話か。


 私がこの仮想空間に住んでから何年経ったのだろうか? この図書館の様な空間には様々な人が訪れた。彼らも仮想空間にダイブしている人間だ。


 そして、彼らは元の体に帰っていくが、私は帰れない。他の仮想空間に移動することはできても、実際の肉体に帰ったことが無いのだ。それはつまり……。


「私の体は肉体的な機能障害を持っているから、ずっと仮想空間から出られないってことでしょ?」

「え?」


 驚くユキ。


「当然でしょ。そんなことは簡単に推測できるわ」

「あなた……」

「心配しなくても良いわよ。改めて認識してもそんなにショックじゃないわ。

 ホント……、わざわざ回りくどい話をして……。

 今日あなたが言いたかった事って、私が知らないであろう事実を告げることだったんでしょ?」


 ユキの顔に安堵の笑顔が浮かぶ。


「そうよ。……良かった。

 あなたに事実を伝える役を仰せつかったときに気が沈んだのよ。そしてどういう風に話を切り出したら、あなたにショックを与えずに伝えられるかを一生懸命考えたのよ。お酒を飲みながら……」


 ユキはそう言うと椅子から立ち上がった。


 ユキは私の思考をかき回すだけかき回して、ショックを和らげるためにそちらに気を向けようとしたのだろう。常日頃のめんどくさい言動に反して、案外優しいヤツなのだ。


「思考する時間はこれまでたっぷり有ったし、感情をコントロールする術も知る機会もたっぷり有ったから、私は大丈夫よ」


 私は真っすぐユキを見つめて言った。


「そう、じゃあ言うわね。

 あなた、そもそも人間じゃないのよ。あなたの神経と神経伝達物質はこの仮想空間を作っている計算機が処理してるの」


 え?!


「あたし達人間はあなたを新種の生物として認識してるわ。あなたに主観があるかどうかはあたし達人間からは確認のしようがないのだけれどもね。

 まぁ、仮想空間内であたし達人間とコミュニケーションが取れて、人間と同等の言動をしたり、同等の価値観を共有できるってことは、人間に近い生物だってことよ。

 それに人間同士でも互いの主観を確認することは出来ないのだから、そこは問題無いでしょ?

 だから、これからも変わらず宜しくね」


 そう言ったユキは、混乱する私を残し、入って来た時とは対照的に軽やかに去って行った。




 ――おしまい




◇ ◇ ◇

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