第22話 Flash People get in trouble


 一月ほど前から、グレイフォートでは奇妙な事件が連発していた。酒場に賭場、路地裏から大通りまで、所構わず派手に暴れた人間が、ものの数分で所在が不明となり、数日後には遺体で発見される。そして、それらの遺体を調べると、複数の薬物反応が出るという。

 ただし。

 彼等の直接の死因は、薬物ではなく複数の深い刺し傷──即ち、明らかに他殺の状態で発見されるのだ。

 最も新しい犠牲者は、幸か不幸か発見当時、まだ辛うじて息があった。やがて病院で息を引き取ることになる、男の最後の言葉はこうだという。

『銀髪に赤い目の子供——あれはまるで、殺人人形だ』。

 

 

「それでまあ、我々はそいつを追ってるって訳だ。ある筋から頼まれてな」

 そう話を締めたリンに向け、トニーは即座に言い放った。

「姐さん、それ誤解やわ」

 何、と片眉を跳ね上げるリン。招龍軒の小さな二人掛けのテーブルの上で、中国茶を傾けていた手が止まる。彼女の目の前に並ぶ飲茶セットは、トニーの頼んだ麻婆定食より幾分か量も値段も手頃そうだった。一抹の不平等を感じつつ、トニーは話題に上がった少年の特徴を問い質す。

「姐さんらが見つけたのは銀髪に赤い目、浅黒い肌の少年、やろ? 多分それ、自分の知り合いの子ぉですわ」

「ほう?」

 眼鏡の向こう、鉄色の目が剣呑な様子で細められる。言外の圧を感じたトニーは慌てて付け加えた。

「ああ勘違いせんといて。オレもその子も潔白や」

 否定のポーズで振った手をそのまま顎へと遣り、トニーは自身の記憶を掘り返す。

「もう一年くらい前になるかなぁ、ここよりもうちょい南の方に居た時、その子と一緒に……まあ、働いたことがあったんよ。ほんで、二週間くらい前にこの街で再会して。職を探しとる言うから、自分の勤め先を紹介したったんです。前にええ仕事しとったし、また一緒にやれたらオレとしても嬉しいなって」

 けどな、と声のトーンを落とすトニー。

「あの子、直接の上司と揉めてしもたらしいんよ。オレが知った時にはもう、ウチを飛び出してった後やった。どうしたんかなと思っとったけど、まだこの街におったんやねぇ」

 件の少年——ダンについてトニーが知るのは、彼がホテルから脱走したという話までだ。しかしリンの言う事件が彼の仕業によるものではない事を、トニーは半ば確信していた。

 トニーの記憶の中の少年は、その辺のゴロツキなぞよりも余程腕も経験もあったが、それ故に見境無く他人に手を下すような人種ではない。仕事となれば話は別だろうが、ほとぼりの冷めぬ内に次の仕事に就くのは難しいし、ホテルで雇われていた間に振られていたのは子供の外見を活かしての囮役や哨戒が主だったと聞いている。それが不服で揉めたのかと当初は思ったものだが、聞く所によれば何やら別の理由があるらしかった。

 ともあれ、リンに反論するにあたってはそんな感情論に訴えるまでも無い。トニーは思考を切り上げ、自らの主張をまとめ上げる。

「ちゅう訳やから、残念ながら姐さんの推測は的外れやわ。一月も前から動いとる言うその『殺人人形』はあの子やない」せ

 な、と愛想良く微笑んで見せれば、男装の麗人は思いの外素直に頷いた。

「成程、一応筋は通ってるな。それで」

 リンは言葉を切って、腹を探るような視線を一つ。

「君はその少年を探してるのか?」

「いや──まあ、そういう事やね」

 トニーは軽く目を伏せて頷いた。

「怒り心頭のその上司が捜せ言うてまして。正直、どっちの肩持つかはまぁだ決めかねてんけどな」

 自信なさげに俯いて見せるトニー。垂れた前髪の隙間から、ちらと相手の様子を伺う。

「……成程な」

 溜息混じりのその回答には一呼吸を要した。肩を竦めたリンは、そのまま暫し黙り込む。見込み違いに気落ちしているのか、はたまたここまでの証言に何か訝る所でもあったのか。

 どう切り返されるかと戦々恐々として見守っていたトニーに、しかし返されたのは予想外に好意的な提案だった。

「まあこうして会ったのも何かの縁だ。それらしい子供がこちらの網にかかったら教えてやろう。君、連絡先は」

「えっ、ええの⁉ いやぁそら助かるわぁ!」

 現地の、それもその筋に詳しそうな事情通を味方に付けられるのは有り難い。偶然の出逢いならば裏の意図や思惑もなかろうと、トニーは素直に厚意を受け入れる事にした。最悪雇い元に矛先が向いたとしても、流れ者の自分にとっては致命傷にはならない筈だ。

「せやったら言伝で、ホテル・ロイヤル・ロイスの三〇六号室、の……せやなぁ」

 意気込んで発された台詞は次第に尻すぼみになり、トニーは一度言葉を切って思案する。本名を晒す危険性がどうこう以前に、まともに名前を伝えたのは上役数人だけだ。あのホテル内で、自分を特定できる呼称──そうして思い付いたものを、トニーは茶目っ気たっぷりのウインクと共に伝える。

「『腕利き狙撃手』まで、頼みますわ」

 その瞬間、リンの瞳が軽く見開かれた。思わずと言った態で身を乗り出して、口を開いて。

「お前、」

 だが、その言葉は完結しないままに遮られる。

 

「たのも————!」

 

 元気いっぱい、意気揚々とした中音によって。

 ドアに吊るされたチャイムをガラガラと派手にかき鳴らし、突如として現れた道場破りさながらの闖入者は、しかしシュエリーによって何故か笑顔で迎え入れられた。

「シャロン! 久し振りあるね、寂しかったよー!」

「やあ待たせたねシェリー! 取り敢えず、いつものを」

 気障に敬礼を飛ばして言い放つ様子は妙に様になっている。本人が中性的な美人なのも相まって余計にシュールな光景だ。

「承知ある、お好きな席へドウゾー!」

 慣れた様子で案内を飛ばすシュエリーに一つ手を振り、シャロンは悠然と店内に歩を進める。その背後には、落ち着かない様子で辺りを見回す人影が一つ。

「……テンション高ぇなぁ、相変わらず」

 そんな店内を見遣ってぼそりと呟いたリンは、どうやら嵐の如く来店した彼女と面識があるらしい。トニーの推測を裏付けるように、リンに気付いた先方がこちらのテーブルへと近付いて来た。

「おや? 奇遇ですね、リンさん」

「よう『王子嬢』。今日も楽しそうで何よりだ」

 皮肉とも素直な感想ともつかぬリンの言葉に、しかしシャロンは満面の笑みで頷き返す。

「ええ実に。ああでも丁度良かった、アレは何かの作戦ですか?」

「あ、何がだ?」

「貴方の所の狂犬君、そこの通りで暴れていましたけど」

 良いんですかと言われ終わらぬうちに、リンは椅子を蹴って立ち上がった。

「——あんの駄犬ッ!」

「ああ、やっぱり駄目なヤツでしたか」

 知ったような顔でうんうんと頷くシャロン。リンは今までの底知れない態度は何処へやら、その焦りようは今にも店を飛び出さんばかりだ。

 二人の勢いに目を白黒させ、状況から完全に置いてきぼりを食らったトニーが申し訳なさそうに声を上げる。

「……あ、あのぉ、姐さん?」

「ああ悪い、まだあんたには用があるが、何というかちょっと緊急で」言いつつもじりじりと席との距離を開けて行くリン。「腕利き狙撃手で通じるんだな、後で連絡する!」

 言うが早いか、リンは本当に店を飛び出して行ってしまった。ガランガランと景気良く音を立てるドアチャイムに、「お代はツケとくヨー!」とシュエリーの声が飛ぶ。

「やれやれ、やんちゃな部下を持つと大変ですねぇ」他人事ぶって肩を竦めると、シャロンは何故かトニーの手元、まだ半分ほど皿に残った麻婆豆腐に目を留める。「それ、食べた方が良いですよ。勿体ないんで」

「は、はぁ」

 脈絡の無い指摘に溜息のような返事を零したところで、トニーはふと気付く。今の自分がしているであろうそれと良く似た表情を浮かべた人物が、彼女の背後に居る事に。

「あのぉ……」

 トニーと同じく顔いっぱいで困惑を表している青年——エイジは、シャロンの背後からおずおずと問いかける。

「それで、俺は何でここに連れてこられたんでしょうか……」

 ——いやそっから知らんのかい。

 一体どんな関係なんだと訝るトニーをよそに、シャロンは何故か得意げな顔でエイジの肩を叩く。

「それは勿論、あそこに居ては危険だからです。旅行者である事を差し引いても、キミはちょっと危なっかしかったですからね。一番近くて確実な安全地帯がここで、ついでに言うなら私の目的地もここでした」

「はぁ、えっと、ありがとうございます……?」

「どういたしまして。お昼がまだなら是非この店をお勧めします、食べ終える頃には通りのアレも落ち着いているでしょう。では、良い旅を」

 気障なウインクを一つ残すと、シャロンは自らの定位置なのか、奥のカウンター席へと陣取ってしまった。

 ぽつりと後に残された青年を気遣うように、トニーは彼に声を掛ける。

「何や、おにーさんも災難に遭ったクチなん?」

「あはは、まあ」

「旅行客なんに大変やねぇ、良ければ詳しく聞かせてぇな。ほら、かけてかけて」

 注文時の態度からして、どうせこれを食べ終わらなければ店を出して貰えないだろう。ならばそれまでの間、少しでもこの街の情報を集めたい。

 ——まあそれはそれとして、何や雰囲気が可哀想やしなぁ、この子。

 向かいに着いた青年の何処となく幸薄そうな微笑みに、トニーは思わず同情の微苦笑を返した。

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