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第8話 One pair ダン&……


『あなたはだぁれ?』

 響くのは、か細い声。迷いなく澄んで、それでいて――どこか儚く、脆そうな。

 胸に迫った得体の知れない衝動に押し出されるように、少年はその声に応える。


「僕は――」


 呟いた自分の声で、ダンは目を覚ました。

 重たい瞼を擦りつつ身を起こすと、頭の辺りから何かが降ってくる。膝の上にぽとりと落ちたそれを手にとって見れば、薄いタオルに包まれた保冷剤だった。何故、と思考を回し始めて、ダンは漸く自分がベッドに寝ていた事実に思い至る。

「ここは……?」

 慌てて辺りを見回せば、そこはアパートの一室だった。そう広くはないワンルームだ。自分が寝ているベッドに背を向けるようにしてソファ、その向こうに見える反対側の壁には申し訳程度のキッチンユニットが付いている。

 有り得ない、とダンは思う。自分は逃亡者だ。元いた場所に連れ戻されるならともかく、こんなごく普通の一室に連れて来られる理由など無い。そもそも昨晩はどうしたのだったか、追っ手を撒いて、それから――?

 必死で記憶を辿っていると、不意に衣擦れの音が聞こえた。驚くダンの前で、一人の青年がのそり、とソファから身を起こす。

「何だ、起きたのか?」

 欠伸交じりで言う青年に反射的に武器を向けようとして、ダンは自分が丸腰である事に気付いた。銃ばかりか、隠し持っていた筈のナイフ類も無くなっている。ぱたぱたと身体の各所を探るダンを見て、青年は悪戯っぽく笑う。

「そう来るだろうと思って、物騒なもんは一通り預かったぜ。ま、そう警戒するなよ」

 青年は締まらない顔のまま、両手を挙げてダンの方へ向かって来る。敵意も武器も無いというアピールのようだった。

「俺はジャック、『ショーメイカー』ってカジノでディーラーをやってる。お前は?」

「……ダン」

 簡潔に答える。フルネームを名乗りたくない時は、いつも愛称だけを告げる事にしていた。

「ダン。ダンねぇ。この辺じゃ見ない顔だな。どっから来たんだ?」

「……武器はどこ」

 無視して問えば、ジャックは大袈裟に肩を竦めて見せる。

「おいおい、無視すんなよな。折角助けてやったのに」

「助けた?」

「お前、ウチの店の裏で倒れてたんだよ。ほっとけねーから拾ってきたんだ」

 ひらひらと手を振るジャック。その様子を見ていたダンが、今、と呟く。

「何か隠したね。嘘、ではないけど」

「お? 何だ、お前そういうの分かるクチかよ」

 仮にも俺ぁディーラーなんだがな、と嘯くジャックを、ダンは敵意を込めて見詰める。

「あー分かった分かった、悪かったよ。実を言うとな、お前は俺のダチがぶん投げた鞄に当たってぶっ倒れたんだ。ほら、そこの」

 ジャックが指差す先には、重厚なアタッシュケースがあった。成程あれに当たったのなら、中身によっては最悪死んでもおかしくないだろう。再びジャックを睨み付ける。

「おいおいやめろよ、悪気があった訳じゃあねぇ、ありゃあ不幸な事故だった。ただ、だったら尚更放っておくのもどうかと思って、仕方ないから拾ってきた。タンコブだってもう引っ込んだだろ?」

 言いながらジャックが指差すのは、ダンの膝元に転がる保冷剤だ。危険な目に遭わせたことは認めるが、あくまで事故だと言い張るらしい。一応、その言葉に嘘は感じられない。

 ダンは改めて、品定めするようにジャックを見る。わざと不躾に全身を見回して、それでも笑みを崩さぬ青年の前に、ダンはやがて根負けの溜め息をついた。

「助けてもらった事には感謝する。けど頼んだ訳じゃない、恩を着せるのはどうかと思うよ」

「おお、正論だ」

 茶化すジャックに、ダンは眉をひそめる。が、何も言葉にはしないまま、掛かっていた毛布を剥ぎ取りベッドを降りた。ジャックの前に歩み出ると、彼を見据えて言い放つ。

「武器を返して。出て行く」

「当てはあんのか」

 間髪入れない問い掛けに、ダンは一瞬何と返すべきか分からなかった。その沈黙を図星と取って、ジャックがすかさず言葉を続ける。

「何となく分かるんだよ。途方に暮れてる奴ってのはな」

「……追われてるんだ。」仕方なしに、ダンは部分的に事情を明かすことにした。「向こうは手段を選ばない。関わると巻き込まれるよ」

 危険を提示すれば引き下がる――そう考えての事だったのだが。

「ふぅん」

 何でもないように頷いたジャックは、がしがしと頭を掻いて提案する。

「まあ何だ、怪我させといてハイさよならってのも寝覚めが悪りぃ。それ手伝ってチャラって事で良いか?」

「……正気?」

 余りにも想定外の返答に、ダンは思わず目を見開いた。

「向こうは銃だって持ってる、敵に回したら厄介じゃ済まないよ」

「ハッ、そりゃ良い」

 鼻を鳴らしたジャックの顔に浮かんだ不敵な笑みは、見るものが見ればすぐ分かる。場数を踏んだ勝負師の笑みだ。

「ダンっつったか? お前は知らねぇだろうけどな。この街での厄介事に俺等を巻き込まないなんて、大損も良い所だぜ」

 意味ありげなその言葉も、ダンには真意を掴みかねるものでしかない。

 事ここに至って遂に、少年の理解は及ばなくなった。ジャックと名乗るこの青年が、味方なのか敵なのか。言動からして敵である確率は限りなく低そうだが、未遂の怪我ごときでここまで肩入れするのも妙だ。

 考えても答えは出そうにない、ならば後は直感に任せるに限ると、ダンは素直に訊ねてみる。

「何が目的?」

「そんな計算高い奴だったら、夜中に銃持ってぶっ倒れてるガキ拾ったりしねーよ」

 それを言われると返す言葉が無い。彼の言に嘘はないので尚更だ。不服そうなダンをよそに、ジャックは何故か楽しそうに指示を出す。

「取り敢えず、まずはシャワーだ。埃まみれじゃ連れ歩けねぇからな。準備が出来たら付いて来い。取り敢えず」

 言葉を切って、ジャックは茶目っ気たっぷりに笑って見せる。

「この街で一番美味い朝飯を食わしてやるよ」

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