幕間小話 「千夜一夜物語」

あれからしばらくたった。

僕らはここ交易都市に滞在している。

なんだかんだ、西方諸国の中心はココだからね。


モノ、人、情報の一大拠点。

冒険者も数多く、ここのギルドは大陸でも最大だ。

リディアは冒険者としてまっとうに依頼をこなし、正しくお金を稼いでいる。


でも、少し気になることもある。

彼女はパーティ……つまり仲間を作りたがらないのだ。


「ねえリディア」

「なんですデス太?」


水路通りにある宿、『川音の安らぎ亭』が今の僕らの拠点だ。

手練れの冒険者が何人も在籍しており、子どもながらに実力のあるリディアを馬鹿にする者もいない。

熟練は、相手の努力やチカラを見抜けるからだ。

居心地がいい、とリディアも気に入った宿である。


2階の1室を贅沢にもひとりで専有しており、あたりにはいくつも本が転がっている。

読み終わったら『鬼火ウィスプ』で焼却し、また新たな本を入荷する。


「ソレ、もったいなくない?」

「一度読めばだいたいは把握できますから」


ふうん、人間というのは凄いもんだ。

僕ら死神は長く生きるぶん、余計なことは忘れてしまうから。

これだけ文化を発展できるのもこの能力ゆえだろう。


「でも、こっちの本は焼かないんだね」

「それはお話、物語ですから」

「……へえ」

「お話は焼きたくないので」


リディアはつい、と本の一冊を手に取る。

紫の装丁で、とても分厚く大判だ。

題名は「千夜一夜」、著者はシェヘラザード……うん?



……唐突に、雪のふる街と、ベッドで笑う少女の顔が思い浮かんだ。



(それじゃ、これからよろしくね……ええと、そういやキミの名は)

(シェヘラです、よろしく、死神さん)


―――にっこりと笑う少女。



とたん、強烈な頭痛が頭を刺し、思わずその場でうずくまる。

なんだろう……なにか……誰だっけ……。


「デス太! 大丈夫ですかっ!!」

「まって、いや……うん」


僕を支えようとする彼女を手で制する。

ヒトと死神は触れ合ってはいけない。

これは絶対のルールだ。

あの少女にだって、結局最後まで触れることは……いや。

だって病弱なあの娘に触れればそれこそすぐにでも……。


「……その、リディア。その本の著者は?」

「ええと、シェヘラザードですね。200年ほどまえの方だとか。

 最近廃墟から発見された手稿を元にした物語本です」


「…………。」

「一度も病室を出ることなく、書を読み、書を紡ぎ……発表することすらしなかったそうです」


「……それは」

「ある学者の分析では、おそらく知人や友人など、特定の誰かに聞かせるためだけに書かれたのではないかと」


「……うん、だろうね」

「……?  なんだ、知っているじゃないですか」


そうか。

そうだね。


彼女との思い出は恐らく、あの日奪われたモノのひとつなのだろう。

いまの今まで思い出すこともなかったし、今もほとんど霧の彼方だ。


昔、ひとりの病気の少女を僕は守った。

恐らくは守りきった。

当時の僕は強かったので、同胞はすべて殺さずに追い返した。

その少女に視えた死も、そう強いものではなかったので同胞もそのうち見逃してくれた。


彼女はいくつもの物語、ヒトが紡ぎヒトが愛したモノを教えてくれた。

そうして……僕は人間が好きになった。


そのうちに彼女は死に、残された僕はあの過ちを引き起こしてしまった。

無辜むこゆえに殺されるヒトの代わりに、その元凶を洗い流した。


「……デス太」

「ん、なんだい?」


僕がぼーっと回想に浸っていたからか、リディアが強くにらんでいる。

なんだろ、なんか怖いなぁ。


「この女性と知り合いですか?」

「あっ、ああ。そうだね」


隠すことでもないので素直に答える。

しかし彼女の視線はますます険しくなるばかりだ。


「デス太、そこに正座してください」

「ええっと……うん」


リディアの指差す床へセーザをする。

ちなみにセーザとはまれびと世界での由緒正しい座り方らしく、セレスがリディアに教えていた。

以後、たびたび僕はこの座り方をさせられている。


「では、洗いざらいこの女性とのことを話してください」

「うーん……全部は思い出せないよ」

「それでもです」

「……。」


お姫様の目つきが怖いので言うとおりにする。

ところどころ記憶に穴があるところを飛ばして、最後の最後まで話した。


「つまり、最後の最後にあなたは彼女を抱いたと?」

「それが彼女の希望だったからね」


そう。

彼女……シェヘラザードは20を超えることはなかった。

いくら僕が守ろうとも、その病によって彼女に限界は訪れた。

しかし後悔は僕にも彼女にもない。

だって、本来の彼女の寿命いのちよりはるかに長く、そして本来の彼女の時間ときよりはるかに楽しく、生きることができたのだから。


そうして彼女は最後の最後、僕に抱いてくれと口にした。

その聖夜を超えることは、次の日を超えることはできないだろうと僕にもわかっていた。

だから、僕は彼女のいうとおり、優しく、初めての抱擁をした。


そうして、そうして。

彼女は僕の腕の中で静かに冷たくなっていった。


「シェヘラザードのことは、ずいぶん忘れていたな」

「……。」


「そうそう、リディアやユーミル。

 君たちに話して聞かせたおとぎ話のほとんどは彼女から聞いたものでね」

「…………。」


「そういう意味では君たち姉妹の、お姉さんにもなるのかな、彼女は」

「……泥棒猫が」


「えっ、なんか言った?」

「いえ、なんでもないですよデス太」

「いやなんか怖いままなんだけどさ」


それ以来、彼女がシェヘラザードのことを口にすることはなかった。

ついでに言えば彼女の本も見かけない。

リディアによると、孤児院に寄付したらしい。

うーん、僕も読み返してみたかったんだけど……。


でも、彼女は死んでしまったけど。

それでも、彼女の言葉は残っているのだ。


……たぶん、それはとてもいいことのハズだ。

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