対女子コーラス部⑨

 仮病二日目でトゥーランドットの『誰も寝てはならぬ』をテノールからソプラノまで移調してから、ネットでピアノ伴奏用楽譜を買い求め、割と早い段階で二曲目の下準備も整った。

 土日を挟んだ三日間で課題曲二曲を江上と染谷に練習をしてもらい、なんとか、それなりの形にまで持っていくことが出来たものの、女子コーラス部の動向が全く読めないので、油断出来ない。


 そして迎えた女子コーラス部との対決の日。

 俺が中間テストの補修を受けさせられるなどの不幸があった所為で、開始時間を大幅に遅くしてもらわねばならなかった。


 夕暮れ時に三階の音楽室に集まったのは、俺達合唱部の三人と女子コーラス部の十三人、そして審査を務める瑠璃さんだ。全部で十七人の人間が一堂に会する。

 女性の割合があまりにも高い。というか、ここに居る男は俺一人だ。

 内心ビビりながら、成り行きを見守る。


 生徒会長と話していた瑠璃さんが、スマホで時間を確認してから、ホワイトボードの前に立った。


「集まってくれて有難う。これから君達にはそれぞれの部の存続をかけて戦ってもらうからね~」


 彼女は数日間東京に行き、ヴァイオリンのコンクールに参加していたはずなのだが、結果はどうだったのだろうか? 気になるけど、このピリついた空気の中では聞き辛い。


「取り敢えずここを見てくれるかな」


 彼女はキリリとした表情で指示棒を持ち、ビシリとホワイトボードを打つ。

 書かれていたのは、曲順だ。


 1.自由曲 2.トゥーランドットから『誰も寝てはならぬ』 3.ゲルマン人の行進


 説明を聞くに、それぞれの曲を歌い終わったら、どちらの部が優れているのかを瑠璃さんが逐一判定する。

 三曲終了時点で瑠璃さんに選ばれた曲が多かった方が勝利となるというわけだ。

 彼女自身が戦利品になっているにも関わらず、瑠璃さんはあっけらかんとしている。

 この勝負を楽しんでいるんだろうな。


 先行して歌う部を決める為、江上と百瀬生徒会長が歩み寄った。

 二人の顔を見て、俺は首を傾げた。生徒会長がらしくない雰囲気に思えたのだ。

 何かに気をとられているといったところか。

 違和感を覚えたのは俺だけではなく、染谷もだった。


「生徒会長何かあったのかな?」

「どうだろうな。接点が何もないから想像も出来ない」

「そうだよね」


 ジャンケンの結果、先行は女子コーラス部に決まった。


 生徒会長を含む二年生の女子が三人ホワイトボードの前に並ぶ。

 何故か彼女達は一様に浮かない顔をしているから、こっちまで落ち着かない気分になってくる。

 部内で事件でもあったんだろうか?


「自由曲はプーランクが作曲した、『黒衣の聖母への連祷』でいかせてもらいます」


 生徒会長はそう言い、イケボの白川さんの方を向いた。

 白川さんは気の良い笑顔でBluetoothスピーカーやスマホを操作し、曲を再生する。

 流れたのはオルガンの音色。パイプオルガンか、それを模した電子ピアノによるのだろう。


 彼女達が繊細な歌声で紡ぐのは、異国情緒溢れる宗教歌だ。

 序盤を聞いた時点で、もうヤバイと思ってしまった。

 まず歌い慣れている。そして声質が曲と絶妙に合っているのだ。

 生徒会長のやや硬質な声がストイックな雰囲気を表現し、まるで聖堂の中で聴いているような気分になる。


 瑠璃さんにも好印象なんだろう。窓際の壁に背を預けながら、目を閉じ、何度も頷いている。


 女子コーラス部の自由曲が終わり、瑠璃さんが俺達合唱部の番を告げる。


 俺はグランドピアノの前に座り、指をボキボキと鳴らす。

 合唱部の三人で決めた自由曲は「故郷/ふるさと」だ。

 老人ホームで披露した時よりも上達しただろうが、生徒会長達が歌った『黒衣の聖母への連祷』のクオリティには敵わないような気がする。

 江上もそれを分かっているのか、表情が硬い。


「里村君、こっちは準備おっけーだよ」

「んじゃ、弾くからな」


 若干ネガティブな気分で鍵盤の上に指を下ろす。

 しかし、いざヤマハのグランドピアノで前奏を弾いてみると、すぐに考えを改めることになった。


 このメーカーのピアノの特性から、地に足がついているような素朴さが音色に加わったのである。

 江上達の歌もそうだ。女子コーラス部の歌が張り詰めた感じだっただけに、心安らぐ歌として聴こえる。

 江上は相変わらず安定しているし、染谷もだいぶ練習してくれたのか、ミスが無く、割と声量もある。

 悪くない合唱だ。


 二分程度の短い歌が終わると、瑠璃さんは「日本の歌も良いよね。ヴァイオリンで弾きたくなっちゃった」と言ってくれた。

 これはひょっとしたら勝てるのでは? と思ったが……。


「うーん……。自由曲は女子コーラス部の方が良かったかな」


 瑠璃さんの耳はシビアだった。


「はぁ、負けちゃったか~」

「江上、次の課題曲、頑張ってね」

「うん!」


 染谷と江上の会話を聞き、だんだん落ち着かない気分になる。

 勝敗の行方が、俺が編曲した課題曲二つに委ねられてしまったしまった……。


――プレッシャー感じるよな。


 一勝をあげた女子コーラス部は淡々としたものだ。

 前列の席に腰かけてから彼女達の方をチラリと見れば、生徒会長がイケボの白川に話しかけていた。


「白川さん、お願いしますね」

「はい!」


 ホワイトボード前に進み出て、一人ドッシリと立った白川さんは、皆の予想を裏切らなかった。

 生徒会長の手で再生されたオーケストラの伴奏に乗せ、野太い声が音楽室内に響く。


「NESSUN DORMA《誰も寝てはならぬ》!   NESSUN DORMA《誰も寝てはならぬ》!」


 イタリア語で歌われる有名曲に圧倒された。

 外から聴いてる人がいたら、絶対に男が歌っていると思うだろう。


 俺は感心しながら江上の横顔を盗み見てみたが、白川さんの歌を聞いても、全く絶望した様子がない。

 むしろ目の輝きが増している。自らの勝利を確信しているのかもしれない。


――たしかに、音はちゃんととれているけど、尻すぼみだな。でも原曲はテノールだから、“その通りに歌えた方が高評価”、だったら危なそうだけど……。


「VINCERO《勝利の時》!」


 最後の部分を苦し気に歌い終わった白川さんに、瑠璃さんは「ブラボー!!」と拍手した。

 たぶんこの称賛は、白川さんの歌の音楽性に対してのものではない。

 珍芸としてなら優れているけど、本物のテノール歌手と比べてだと、やはりかなり劣っているからだ。

 これなら、江上が勝てるかもしれない。


 瑠璃さんに出番だと促され、再度グランドピアノの前に腰を下ろすと、江上は何を思ったのか、皆の前で宣言し始めた。


「私の歌を聴いたら、きっとまた私と一緒に歌いたくなりますよ!」


 誰も彼も目を丸くして彼女を見た。

 その様子から察するに、女子コーラス部にとって、これまで江上は敗者だったってことなんだろう。

 可哀想な存在だったはずの彼女がこんな風に堂々と振る舞うとは、夢にも思わなかったかもしれない。


 彼女達の様子に俺は呆れた。

 北園の件で、急に手の平を返すような奴等に不信感を抱くようになっていたからだ。

 正直なところ、女子コーラス部にウチの部が勝っても、一緒にやっていくのは嫌だったりする。

 だからこそ、この場で力の差を見せつけてやってほしい。つまらない小細工なんか、実力で吹き飛ばせる。

 それを実感出来たら、気に入らない奴等とでもうまく付き合っていけるような気がする。


「琥珀ちゃん可愛い~! 頑張って~!!」


 大喜びする瑠璃さんに対して、江上は「べー」と舌を出してみせた。

 そして満面の笑顔で俺の方を向く。


「今こうして立ってられるのは、君が支えてくれてるからだよ!! 伴奏宜しく!」

「任せとけ」


 この曲だけでも勝たせてやりたい。そんな気持ちで短い前奏を弾いた。


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