対女子コーラス部⑦
ファミレスに入って来た瑠璃さんはキャリーバッグを転がし、ヴァイオリンケースを右手に持っている。これからどこかに行こうとしているのだろうか?
「おはよ~、翔君」
「おはようございます。どっかに行くんです?」
「東京に行ってくるよ!」
「泊まりがけで?」
「そう。ちょっと腕試ししたくてね」
「腕試し……」
何だろうな、と考えているうちに彼女は俺の向かいの席に腰を下ろし、水を持ってきた店員にホットコーヒーを頼んだ。
「東京に行くなら、電車ですよね。時間大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。駅前フラフラしようと思って早めに出て来たから」
彼女はそう言い、俺の定食横辺りに視線を向ける。そこに置いてあるのは瑠璃さんから貰った楽譜だ。
「もしかして苦戦してるのかな?」
「誰の所為ですか。酷いですよ」
「アハハ! ごめんね!」
「百瀬生徒会長はこれに対応出来てるんですか?」
生徒会長をやるくらいだから、優秀な人なんだろうと推測出来る。しかし楽器関連はまた別だから、彼女の能力は未知数といえる。
「百瀬ちゃんは音大の知り合いを介して、大学生にアレコレ委託しちゃうみたいだよ。伴奏部分や低い声域部分は録音で対応するんじゃないかな」
「はぁ!? そんなの許されるんですか?」
「勿論許すよ。丸っきり歌わないわけではなさそうだしね」
「それじゃあ、金を多く出した方が勝つじゃないですか……」
だんだん白けてきた。
そんなんじゃ真面目に取り組んでいる俺が馬鹿みたいじゃないか。
苛立ちに任せて味噌汁を勢い良く煽る。
「でもね。あたしは生演奏の方が好き。自分でも楽器やってるからなのかな。人の喉、楽器から直接聞こえる音にどうしたって惹かれるなぁ」
「……」
「ねぇ、翔君。君が編曲した歌を、君のピアノで聴かせて」
頬杖を付いて、目を覗き込むのは反則だと思う。
澄んだ瞳に釘付けになり、俺は情けなくも空になった椀を盆の上に落とした。
プラスチック製の安っぽい落下音で我に帰る。
「弾きますよ……」
「嬉しいなぁ」
手の平の上で転がされるようで悔しい。
無茶ぶりしてきたのはこの人なのに、期待に応えたいとか。
彼女の言葉をプラスに考えると、やっぱり自分達で出来るだけのことをして披露する方が評価が良くなるんだろう。後一週間もないが、編曲に取り組む価値は十分。
「翔くんは総譜を読むの初めてなのかな?」
いつの間にやら瑠璃さんは俺が書いた五線譜を読んでいた。
「げ! 返して下さい!」
出来損ないのそれを、他人に――特に瑠璃さんに読ませるのは屈辱でしかなく、俺は真っ赤になって彼女の手から奪った。
「なるほどね、何に苦しんでるのか分かっちゃったな。ちょっと待ってて。良い物あげるから」
瑠璃さんはバッグの中からタブレットを取り出し、操作し始めた。
何をくれるつもりなのか知らないけれど、待つ間に俺は自分の楽譜を二度と読まれないように、ビリビリに破く。
三分もしないうちに俺のスマホの着信が鳴った。
「それがあれば、譜読みが楽になるかもね」
どうやら今の着信は瑠璃さんによるらしい。俺は一度箸を置き、スマホを取り出す。
送られてきたのはPDFファイルだ。iBooksでソレを保存し、開いてみる。
クラリネット、サクソフォン、トロンボーン……、各項目ごとに並ぶ楽器名に目を丸くする。
「これ、もしかしてオーケストラに使われる楽器の楽譜について纏めてます!?」
「うん。いつか役立つかな~、って勉強してたの」
「それって! 瑠璃さんがヴァイオリンでオーケストラと協奏曲を弾きたいからとか、オーケストラの中でヴァイオリンパートを弾きたいからですよね!?」
「えーと、ね。人生で一度くらいは経験してみたいな~と思ったというか……、何て言えばいいんだろ」
彼女らしくない歯切れの悪さだ。
そういう願望を持つのは自由なんじゃないかと思えるのだが……。
なんとなく、今日彼女が学校を休んで東京に行こうとしているのと関連がありそうに思えてならない。
「あたしの事はどうでもいいじゃん!!」
「どうでも良くはないですけど、言いたくないなら聞かないでおきますよ。取り敢えず、頂いたこれ、使わせてもらいます。有難うございました」
「期待してるね」
その後は漫画の話等をして三十分程過ごし、大荷物を抱える彼女の為に、駅まで荷物持ちとして同行した。
本当は東京まで同行したかったけれど、そうした場合かなりウザがられそうなので、やめておいた。
彼女と別れた後、図書館に行き、昨日の続きをやった。
瑠璃さんに貰ったデータのお陰で作業はまぁまぁのペースで進み、夕方までの間に『ゲルマン人の行進』の方は割と形になった……と思う。
昼飯を抜いて作業をしたから、腹がかなり空いている。
時間を確かめる為にスマホを見てみると江上からメッセージが入っていた。
“夕飯を食べに来ないか”という誘いだ。
有難いとは思うが、今瑠璃さんは東京に行っているはずだし、あの家には江上一人だけだ。
よく彼氏でもない男をあげる気になれるな。
まぁ、俺を男だと思ってないんだろう。わざわざ気にする必要はなさそうだ。
出来上がった楽譜を元に歌ってみてほしくもあるので、俺はジャケットを羽織って、外に出た。
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