襲撃者①
休日明けの月曜日ほど気が重い日はない。
俺は退屈な授業に耐えてから、”有料老人ホーム壱越“の代表楠木さんに演奏会の日時を打ち合わせる為のメールを送り、その後江上に貰ったボイストレーニングのメニューを染谷と共に試してみた。
しかしこのトレーニング。
歌唱力をダイレクトに向上させるためというより、歌を歌うために使う筋肉を長期的に鍛える内容のようで、短期的にはあまり効果がなさそうに思える。
老人ホームでの演奏会がいつになるのか不明であるものの、数ヶ月先というわけではないだろう。
俺達よりも二週間も先んじている瑠璃さんの動向も気になるし、もっと即効性があるトレーニングの方がいい気がする。
俺も染谷の音痴を治す方法を考えてみようと考えて、最近常連になりつつある楽器店に足を運び、店内に何か参考になりそうな物が売られてないかとウロつく。
楽譜コーナーに差し掛かると、ピアノやギター用が多い中で、声楽の物もちゃんと置いてあった。
内容は本格的なモノから、練習用まで幅広い。
――発声、発声……、おぉ、これなんか良さそうか?
音程の矯正や発声に一定の効果がありそうな曲集を手にとる。
“あくび“や”犬の腹“をモチーフにした簡単な歌曲が入っていて、歌いながらトレーニングしていけそうな感じだ。
今のままでは半ば運動部のようで、染谷に早々に逃げられそうであるし、これを試してみたらいいかもしれない。
曲集をレジに持って行こうとしたが、自動ドアから入って来た人物に驚愕し、ササっと棚の影に身を潜める。
何故か北園が入店して来たのだ。
俺の背中は冷汗でヤバイことになっている。どう切り抜けたものか……。
一度大きく深呼吸し、発声用の曲集を棚に戻す。
アイツが通りそうなルートを予想するに、この楽譜コーナーに来るだろう。ジッとしているわけにはいかない。
中腰のまま棚の影を移動して出口を目指す。
店員に呆れ顔で見られるものの、今は北園と会わないでここを抜け出すことに全力を注ぎたい。
しかし、神は無情だった。
自動ドアまであと少しという所で、後ろから声をかけられたのだ。
「あんた何やってんの?」
ギギギ……と振り返ると、北園が仁王立ちでコチラを凝視していた。
そのまま外に逃げてしまえばいいのだろうが、俺は愚かにも立ち上がり、彼女と向き合ってしまった。
「よぉ……、何か用か?」
「……LINEで愛海をブロックしたでしょ?」
ギクリとした。
この女とは暫く会わないだろうと踏んでブロックしたのだが、予想に反して日が経たないうちにまた遭遇してしまった。
気まずいにも程がある。
しかしながら、下手な言い訳を並べ立てる気も起きず、本音で話すことにした。
「嫌がらせみたいなメッセージをあんだけ送ってこられたら、誰でもブロックすると思うぞ」
「ふーん……。そんな事言えるんだ? 愛海はあんたから告白されても、ブロックしないであげたのに、翔って心狭すぎない?」
「あの告白、後から冷静に考えて、間違いだった……と思ってる。お前を好きだと思ったのは勘違いだった」
「はぁ?」
「忘れてくれていいから……、二度と関わって来ないでくれ。じゃあな」
貯め込んだ言葉を正直に伝えると、かなりスッキリした。
サッサと帰ってしまおうと、彼女に背を向けて自動ドアを通り過ぎようとしたのだが――背中に強い衝撃を受けた。
「グェ……」
感触から言って、どうやら飛び蹴りを食らったらしい。
みっともなく地面に激突する俺。
痛い……。
「許さない。ピアノ教室で愛海はずーと、ずーとあんたの影に追いやられて、劣等感を植え付けられてたんだから!! あたしだって、ピアニストを目指してたのに……っ! 恵まれてたくせに、あんたはピアノから逃げた!」
そういう事か。
北園の言葉で、俺は漸く彼女の心の内を理解出来た。
思い返してみると、北園は幼少期から目立つのが好きな子だった。
同じ小学校だったから、その行動の一つ一つを覚えているが、学芸会の主役の座を得る為にライバルを陥れたり、学級委員長になる為にクラスメイトをお菓子で買収したり等、やりたい放題だったのだ。
たぶんピアノに関しても、俺を褒めていたものの、本音では俺よりも認められたかったんだろう。
でもそれが出来ないから、人前で無駄に持ち上げて、”コイツは普通ではないから自分は敵わないのだ”と強調していた。
俺は彼女に大人しく頭を踏み付けられながら、一つ嘆息した。
こういう相手からの粘着を、どうやってかわしたらいいのか。
「聞いてんの? 何とか言え!」
一層強く頭を踏まれた時、第三者が介入してきた。
「そこまでにしよう!」
聞き覚えのある声だ。
「あんた、この前翔と一緒にいた……」
「今の行為、スマホで撮影させてもらったからね~、通報されたくなかったら、もう退いてあげて」
「チッ……。女に庇われるクズ野郎」
北園は口汚く罵り、立ち去っていってくれた。
頭に乗った足が消えたので、俺はノロノロと頭を上げる。
目の前に、栗ノ木坂南高校の制服を着た少女が居るようだ。胸に垂らされた亜麻色の髪を見て、彼女が誰なのか分かった。
「瑠璃さん。すいません……」
「何で大人しくやられてたの? 反撃出来たよね?」
「……」
「立てる?」
手を差し出されるが、俺はソレを借りずに、自力で立ち上がった。
この人には二度も情けない所を見られてしまったし、そろそろ心が折れてしまいそうだ。
◇
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