過去の出来事、無駄なプライド

 放課後になってもしつこく付き纏う江上をかわし、俺は一人家路につく。

 支離滅裂な彼女の話から、断片的な情報をつなぎ合わせると、どうやら江上琥珀は合唱部の部長であり、最近起きた不幸な出来事の所為でゴッソリ部員が減ったらしい。その中にはピアノを弾ける者が含まれており、活動がままならくなっていたそうだ。

 そこでピアノを弾ける生徒を探していて、彼女に媚を売りたい奴に生贄とされたのが俺、里村翔というわけ。


 事情はまぁまぁ理解出来ても、首を縦に振るわけにはいかない。

 俺はもう人前でピアノを弾く気がなくなったんだ。

 誰かの期待に応えるために、孤独な練習を重ねる日々は御免なんだよ。


 俺の不幸は生まれる前から始まっていた。

 母親がどこそこのコンクール覇者で、音大の教授をやっている所為で、幼少期から俺はピアノ漬けの日々だった。

 ピアノを習っていた奴なら分かると思うけど、優雅な習い事なんかではない。

 アレは駄目、これは駄目。

 この曲が完璧になるまで、他の曲は弾くな。

 などなど。

 誰かからの強制でやり続けるには、かなーり苦痛なのだ。

 しかも教えるのが母親なもんだから、逃げ場もなく、朝から夜までネチネチとやられる。

 早い話拷問だった。


 しかしそんな苦行の日々は小学校低学年に終わった。

 

 北園愛海きたぞのまなみと出会ったからだ。

 テレビに出てくる子役なんかよりずっと可愛かったあの子は、俺の演奏をベタ褒めしてくれた。

 『カッコいい!』『愛海の王子様』などなど……。

 単純だった俺は舞い上がり、彼女に聴かせてやりたい一心で練習に励んだ。

 その甲斐あって、中学最後の年に、国内で有名なジュニアコンクールのファイナリストになれたわけだけど、運命は残酷だった。


 それなりの実績を得て、意気揚々と北園に告白した俺を、彼女はせせら嗤った。

 彼女曰く『チビは嫌い』『クラシック音楽なんてダサイ』『マザコンキモい』。


 彼女が放った罵詈雑言を今でも鮮明に思い出せる。

 きっと彼女は年齢を重ね、理解したのだろう。ピアノが上手いだけの奴よりも、イケメンで高身長な奴の方がずっと価値があると。


 あの日以来、俺はピアノを弾いていない。

 全てが馬鹿らしくなったから。

 彼女の気を弾きたくて頑張っていたこと自体、ただの黒歴史になったんだ。

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