第8話 「言葉にできないから音があるんだぜえ」
ライヴが8月20日、と決まった。
「だいたい一か月先、だわね」
とHISAKAは麦茶を飲みながら言った。
「多少は余裕があるな」
とTEARはがりがりと氷を噛み砕いた。
「一時間が持ち時間なら、だいたい七曲ってとこかなあ」
「そうね」
「タイセイさんにコピーしてもらう時間も要るし、練習もしなくちゃね」
「あの人なら大丈夫だろ。何たってその場でいきなり楽譜渡されて全く知らん曲こなしてたトコロ見たことがあるぜえ」
「へえ」
MAVOは目を丸くした。
「あ、いい風」
ベランダの南部風鈴が微かな風に動き、通る音を立てる。大した風でもないのに、その音一つで涼しいような気がする。やっぱり音って不思議だな、と何となくMAVOは思う。
「皆さん何のアイスがいいですかーっ」
キッチンからマリコさんの声が飛んだ。
「何があるのーっ」
HISAKAが声を飛ばす。
「バニラですけどソースはブルーベリー、ストロベリー、オレンジ、キーウィ……」
「あたしいちごーっ」
と真っ先にMAVOが言った。
「抹茶はないの?」
とHISAKA。
ばばくせーっとTEARが笑う。
いいじゃないのっ好きなんだから、とHISAKAは片眉吊り上げて見せる。
あ、こういう表情いいかも、とMAVOはそんなHISAKAを見て思う。
「ありますよーっ。TEARさんチョコもありますからっ」
「あ、それ取った」
「くどそう」
「力仕事してるんだからエネルギーが欲しいのさっ」
ほれほれ、とTEARは腕の筋肉を指す。
「わーすごい」
MAVOはつんつんとTEARの腕をつつく。
「TEAR明日からバイト?」
「昼間はね。でもまあ工場系だから時間きっかりには終わるさ」
「大変だな」
「まあ仕方ないさ、食うためだ」
「そこ空けてくださーい」
マリコさんは紙だの何だので散らかったガラステーブルを見て呆れる。アイスクリームが銀色のトレイで運ばれてきた。
「冷たいものですから紙なんか近くに置いたら危ないですよ。ほら片付けて片付けて」
「はいはいはい」
MAVOがさっさっととりまとめる。
「恋人とかっている?」
いちごのソースをかけたアイスクリームをなめながら、MAVOはふと聞いてみたくなったので口にした。TEARは何をいきなり、という顔にはなったが、あっさりと、
「今んところいないけど」
「どーして?」
MAVOは不思議だった。こんなグラマラスな美人、野郎が放っておく訳がない。だいたいロック畑というのは野郎の巣なんだから。
そうしたらTEARは軽く首をかしげると、
「野郎は好きじゃねーのよ」
「はあ」
ああなるほど。そう言えばそういう感じに見えなくもないな。
MAVOはあっさりと納得する。逆にそのあっさりさにTEARの方が面食らってしまう。
「驚かないね、あんた」
「だって人それぞれだもん」
「ほー」
「だからあんたが女の子好きだって驚かないけど」
「……」
ここまで言われるとは思わなかったが。もっともTEARは高校時代は、女の子からチョコレートをもらう側であったことは確かである。
だが、だからと言って彼女は別に積極的に女の子が好きだったことはない。野郎が好きではないからと言ってすぐにそこに結びつく訳ではないのだ。
まあそれはそれでいい、と彼女は思う。だがこの「髪以外はひらひら少女」のふりをしている(のではないかとTEARには思われる)MAVOからその仮定が出ることの方が気にかかった。
……気にはかかったが気にしないふりをして、
「まあ今野郎が好きじゃないってったって、いつかは好きになれる奴がいるかもしれないし、もしかしたら女の方に好きな奴が出るかもしれないし、ひょっとしたら誰も好きにならないかもしれないけれどさ」
「ふむふむ」
「でも好きなら別にあたしゃ性別なんかどーでもいいと思うのよ」
「うん」
「あっさりと納得する奴だねー」
「うーん……」
理由はあるのだけど。
「まあいいけどさ」
「TEARどういう人が好き?」
「好きなタイプ?」
「ん」
「んー…… そうだな……」
何となく、無くはない。
妙に忘れられない人物がいた。まだ彼女の母親が再婚する前のことだ。
その再婚相手との見合いの日に横浜駅で会った少女。おそらくは二つ三つ年上。
あれは自分が五年生だったから、相手は中学校だったろう。かなり大柄だった。
はっきり言えばデブという奴だ。
だが、妙にあの声とコトバは気にかかった。
いや、それとて別に取り立てて変わった声という訳ではない。やや鼻声系かも知れない。かん高くはない。さりとて低くもない。
だが妙に耳についた。神経質な声、とでも言うのか。
忘れられないと言えばそうなんだが、果たしてタイプかというと、よく判らない。
どちらかというと自分は割合一般的な「綺麗なもの」が好きな筈であって、その中から「肥満」は削除されていた筈なんだが。
何故なんだろう。
それは不可解な「引っかかり」だった。
だがその話を今ここでする気はなかった。
自分ですら正体の知れない感情をすぐに口に出せる程TEARも単純ではなかった。
だからとりあえずこう言ってみる。
「よく判らないけどさ」
「うん」
「少なくともいかにも男おとこした奴とか見るからに女、ってのは、たぶん駄目だろーなあ」
「あ、それ何となく判る」
「そお?」
「マリコさんだったらそれがどういう感じなのか、上手くコトバにしてくれるんだけど」
「感情はそうそうコトバになんて出来やしねーよ。されてたまるかっての」
「うーん」
「できないから音があるんだぜえ」
それも一理ある、とMAVOは思った。
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