第4話 追い出されたベーシストをナンパしよう。
「でーっ!」
そして見事に転がった。
「たたたたた」
「だ、大丈夫」
「そちらこそ……」
HISAKAは尻をしたたか打った。先に復帰した相手は立ち上がり、彼女に手を差し出す。
「立てる?」
「ありがとう」
その時やっと相手はHISAKAの髪の色に気付いた。あれ。ちょっと待て。
よっ、とHISAKAは勢いつけて立ち上がる。立ち上がった姿は確かにあの時の―――
あ、やっぱりでかい。
HISAKAはそう思った。目線がやや上だ。どんぐり眼を大きく広げて、ベーシストの彼女はHISAKAを見ている。
「どーもありがとう」
にっこりとHISAKAは笑う。
「な……」
「さっきのステージ良かったから待ってたの」
「何であんたがそんな所にいるのよっ!」
女のアルトの声が響く。
「だから待ってたんですってば」
「こんな見かけの追っかけはいねーぜ。あんた一体何だよ」
「いないかなあ」
「いないっ!」
ほとんどむきになって彼女は言い返す。なるほど、大人げないわ。これなら確かに自分の相棒と大して年が変わらないと言っても納得がいく。
それから自分の恰好に目を移す。確かに追っかけの少女の一部には見えないだろーなあ、とHISAKAは思う。こんな飾りっけのない追っかけの女は見たことがない。
だいたい追っかけをしている少女連中は派手だ。少しでも相手の視線を引きたくて必死だから、自分を綺麗に見せようとする。実際に綺麗に見えるかは別だ。少なくとも自分はそう信じている恰好ではあるが。
どれだけ暑くてぐちゃぐちゃになることが判っていようと、運動には決して適さない恰好でライヴにやってくる。
まあそれが可愛いんだけどね、と彼女は思うのだが。
「ただのロックファンにしてはずいぶんとリキの入った頭だし」
頭のてっぺんの、根元くらいしか黒い髪は残っていない。それ以外は見事なくらいのプラチナ色。こんな頭にするのは自分でバンドやっている奴くらいだ。ちなみにベーシストの彼女はライトが当たっていないせいか、茶色に見える。そうそう完全な「金髪」ではない。それにこの女は濃い色の方が似合うな、とその時HISAKAも思っていたのだ。
「バンドやってんのよ」
「やっぱなあ。楽器は」
「ドラムス」
「そーだよなあ」
「何で?」
「筋肉の付き方がそれっぽい」
「何じゃそりゃ」
ほれ、とめくりあげた袖から見える腕、そしてぴったりしたジーンズの脚を指す。
「二の腕やふくらはぎのの筋肉が妙に発達してるじゃん。ドラマーの奴ってそういうの多いからさ」
ほー、とHISAKAは感心する。なかなか良く見てるなあ。
よっこいしょ、と彼女は一度下ろしかけたベースをしょい直す。
「ライヴあるの? あんたのバンドも」
「や、うちは今休業中。ギターとベースに逃げられたんでねえ」
「逃げられた?」
「なーんかうちってなかなかギターとベースが居つかないのよねえ」
「ギターとベース…… 何、あんたんとこって今ヴォーカルとドラムだけっての?」
「そ」
「……悲惨……」
彼女は手で顔を覆う。
「まああんたはともかく、ヴォーカルが可哀そうだねえ、それじゃ」
「そ。可愛いけれど可哀そうなのよ」
「へ? 何て言った?」
おっと。HISAKAは口をすべらせたことに気付く。
「可哀そうって言ったの。あんたのバンドは?」
「……」
彼女は視線を宙に飛ばす。何と言ったものかなあ、と腕組をする。着替える暇も無かったらしく、タンクトップの上にかぶっただけらしい半袖のTシャツの中にちらりとタトゥが見える。きめの細かい肌にそれは鮮やかに映っていた。
「今の状態見ただろーに」
「あー、追い出されたんだ」
へらへらへらとHISAKAは笑う。顔一杯で笑う。
「その笑いってないんでねーかい?」
「やー、似た境遇だなあと思って」
「だってなー、怒れるじゃねーの。腕でクビになったんならともかくだ、こんなこと繰り返してると気になって仕方ないからクビってのは何なんだーって思わね?」
「気になって?」
これこれ、と彼女はそのスレンダーだが出るところは出ている実によろしいボディを指さす。
「あの馬鹿野郎共、バンドメンバーにサカってどーすんだっての」
「……」
「じゃ初めっから野郎だけで選べっての。あいつらセクハラって言葉知らねえのかっての。じょーだんじゃねえ」
何があったんだか。セクハラという言葉から予想つかなくもないのだが、どうも想像するのが怖いような気もする。
「ということはあんた今フリーなんだ」
へー、と感心したように繰り返すHISAKAにじろり、と彼女はにらみを効かせる。尤もHISAKAには全く効いていないが。
「仕方ねーからしばらくはバイトに精出すさあ」
「ふーん」
適当に会話に区切りがついたな、と思ったらしい女はそれじゃね、と手を振りかかる。と、HISAKAはその手をぐっと掴んだ。
「何」
「お茶しない? 彼女」
「何じゃそりゃ」
「いや、うちは今ベースいないのよ」
「つまり? どーもさっきからどっかであんた見たことがあるような気がするんだが…… あんたのバンドって何だ?」
「PH7って言うんだけど。あたしはそこのドラマーのHISAKA」
「へ」
女はそう言うと目を丸くした。そしてふっと手を離すと、
「あ゛ーっ」
「うるさいっ」
「知らんわ。思いだしたぜえ。二ヶ月前にうちのバンドの客ごっそり持ってったバンドじゃねーのっ」
「今は『うちの』なんかじゃないでしょ?」
「う゛」
追い出されたんでしょーっ、とHISAKAはにたにた笑いながら追い打ちをかける。彼女は苦虫咬み潰したような表情でこのどう見ても楽しがっているHISAKAを見ている。嫌な奴だ、と思う。だがどうにも憎めない。
はっきり言ってどうしてHISAKAも自分がこの女に食い下がっているのか判らなかった。ただ、妙な自信というものがあった。
少なくともお茶くらいは誘ってみせるもんね。
「だーかーらー、まあその話はそれとしといて、どーせ今現在これから明日や明後日くらいまでは暇でしょーっ? バンド活動停止してるんだから」
「……」
「今夜の宿と、お茶とケーキと、お食事もつける。うちの御飯は結構いけるわよ」
「乗った」
ぱっと手のひらを前に出し、彼女は結構真面目な顔になる。この手が効くとは思ってなかったのでHISAKAは意外そうな顔をしつつも、内心にたりとして、
「じゃー行きましょ。……えーと」
「何?」
「名前。じゃなかったら何でもいいけど、あんたを何て呼べばいいの?」
「本名は
「さくこ?」
「予定日が桜の花の咲く頃だったんだ。だけど早産だったから生まれたのは三月始めだったけど」
「早生まれかあ。じゃあ、あの字か」
「でもバンド活動では
「呼ばせてる? 『てあ』?」
「スペルは『涙』と同じ」
「またわざわざ面倒なことを」
今度はTEARがにたりと笑い、ひらひらと手を振る。
「いやいや、学校んとき、英語の試験でひっかかってさあ、それで英和辞典で調べたら『涙』と『引き裂く』って意味があったんよ」
「まさかとは思うけどその『裂く』と名前の『咲く』を引っかけてる?」
「ほほほほ」
「笑ってごまかすんじゃなーい」
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