女性バンドPH7④やっていけそうなバンドのメンバーを集めるのは難しいもんだ。

江戸川ばた散歩

第1話 弦楽器隊に逃げられたドラマー

 混雑…… ではない。

 これで混雑しているなんて言ったら完全に嘘だ。

 詰めかけているのは前三列だけ。あとは後ろでつっ立っているか、カウンターで好き勝手な恰好で煙草をふかしてるか呑んでいるかどちらかだ。そうでなかったら今日のバンドの値踏みか、他のバンドの噂話。

 そんなところだ。

 彼女もそのご多分にもれなかった。

 背の高い女が一人、カウンター近くの丸テーブルで呑んでいた。時々ステージに視線を送る。

 さほど目立つ顔ではない。だが整っている。全体のバランスがとてつもなく良い。

 髪はプラチナ色に抜いた、ざらっとしたストレートが長い。背中の真ん中で無造作に黒いゴムでくくってある。

 身に付けているのは、細身の黒のジーンズ、そしてまるで画家のスモックのようなたっぷりとした白いシャツを引っかけているだけである。

 その下の身体はさほど起伏がないようで、「やや」盛り上がっている胸がなかったら、細身の男と見分けがつかなかったかもしれない。

 彼女は口紅の一つもしてなかったから。

 そんな彼女に、一人の勇気ある少女が近づく。


「……あの、もしかして、PH7のHISAKAさんですよねっ」


 ステージの光だけでも判るくらい、少女の顔は上気していた。


「そうだけど?」


 彼女はふわっと笑う。少女は緊張しているのか、額から汗がどっと吹き出る。


「突然ですみませんっ…… あの、PH7好きなんですけど…」

「ありがとう」

「次のライヴ、いつあるんでしょう?ここの予定にしばらく入ってないって聞くんですけど」

「うーん……」


 微笑が苦笑に変わる。どうしたものかしらね。HISAKAは思う。


「ちょっと今は答えられないな」

「残念です……」


 とりあえず少女の手を握ってあげて、そのまま前方へ押し出した。とりあえず目の前のバンドにがんばってちょうだい。そうつぶやいて。


 だって。


 HISAKAは内心ため息をつく。


 また弦楽器隊に逃げられたんじゃねえ。



 PH7というバンドをHISAKA-日坂波留子ヒサカハルコが作ったのは、東京に越してきてすぐだった。もちろん当初は名だけの存在である。

 だが住む所を決めて落ち着くと、彼女はヴォーカリストである相棒と実に精力的に動きだした。とにかく彼女たちは何も知らなかった。この辺りの状況も、バンドがどういうことをすれば発表の場があるのかも、何もかも、である。

 こういうのは知識ではないのだ。とにかく動かなくては判らない。

 とりあえず住んでいる所の近くにライヴハウスがあるかどうかを確かめた。あることはあった。だがどうやら自分達のしたいタイプの音楽とはやや違うようだ。


 では何処に行けばいいのか。


 「ぴあ」で首都近郊のライヴハウスを全部ピックアップした。そして片っ端から見て回った。相棒は、んー、とうめいた。

 相棒は、とんでもない声の持ち主だった。日坂真帆子ヒサカマホコという、使妹の名を使う彼女は、引っ越して、バンドをやろうと言うHISAKAがある日いきなり「マヴォ」という音で呼んだ。それまでは「まほ」と呼んでいたのだが、それがややずれたような感触があった。

 何それ、とアルファベット表記でMAVO嬢は訊ねた。どういう意味?と。


「まあ表向きには」


―――と1920年代の日本に起こった芸術運動がどうのこうの、と説明した。


 まあ実際そういうものがあったのは本当である。

 大正末期から昭和初期の時代。ドイツ表現主義映画が封切られ、ダダイストの詩人が言葉を記号にしてうたった時代。そんな時代に、「マヴォ」というのは、大正12年7月23日の「中央新聞」にその成立が発表された、「村山知義」氏らが作った芸術団体の名であり、その会誌の名でもある。

 当時の前衛芸術であったから、当局ににらまれることもあったようで、「第3号」は発禁になっている。数年に渡って活動はあったが、大正という時代の終わりと共に消えていったようでもある―――


「で、それがどーしてあたしの名になるの?」


 それが付けられた当人の言であるが。

 もっともそれは「表向き」と前述したように、確かに「裏」もあったわけで。MAVO嬢自体はそれまで自分が呼ばれていた名「もどき」だなあ、と考えていた。付けた当人は、こういう意味を考えていた。


 Marvelous Voice.とんでもない声


 それはHISAKAにとってのMAVO嬢そのものだった。その意味は本人には言わなかったが。

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