ナナシの黒い掲示板

ハルヤマノボル

第X話

 休み時間になり、使っていた教材を整えてカバンに詰めた。次の授業の教材は予め引き出しに収納してあるので、カバンの中がゴチャゴチャになることは無い。

「ねえねえこれ知ってる?」

 横に座っているミヤコに藪から棒に言われて首だけを向ける。見せられた携帯の画面には黒一色に白抜き文字で<黒い掲示板>と書かれていた。もちろん私はこんなものを知っている訳もなく、その上単純に気味が悪かったので「何これ」とウゲッとした。

「スズはマジメだからこういうの苦手だと思うけど、これ流行ってるんだって!」

「マジメはホメ言葉として受け取るけど、そんなのが流行ってるの?」

「うん、みんな知ってる」

 そう聞いた時、立ち上がってクラスの全員に「この<黒い掲示板>のこと知ってる人!」と確認を取りたかったが我慢した。ミヤコの言う「みんな」は私の思う「みんな」とは違うからだ。

「という訳で、ここ読んでみてよ」

 ミヤコは十字キーの下ボタンを連打して、<黒い掲示板>のページの下部に画面を移した。そこにはカラフルな文字と独特なフォントでこう書かれていた。


『アナタのネガイをウワサにノセテ、ヒロゲてコノヨのマコトにカエ〼』


「これすごいと思わない?」

 確かにフツウでは無かった。この文字列からは何か霊的なモノがあってもオカシクないような迫力を感じさせる。

「うん。とってもキモチワルイ」

「でしょ。でも、このカエロってどういう意味なんだろうね」

「カエロ?あ、これはロじゃなくて、マスって読むんだよ」

「へぇ!じゃあ、じゃあ、意味が通った!」

 ミヤコは謎がひとつ解けたようで嬉しそうにする。私もこのくらい小さなことで喜べる人生が良いなとミヤコの笑顔を見て思った。私も少しだけこの<黒い掲示板>に興味が湧いたので、ミヤコにそのページをメールで送って貰うことにした。

 塾からの帰り道、私は<黒い掲示板>のページを隅々まで読んでみた。読めば読むほど不思議に思ったのは、この<黒い掲示板>は掲示板と名乗っているのにも関わらず、その掲示板へと繋がるリンクが存在しない。ただ掲示板を使う時のルールと、先ほどの奇妙な文字列が延々と交互に続いていた。

 誰かの悪ふざけで作られたサイトに違いない。私はそう思ってそのページを閉じて家路に着いた。



 翌朝、朝食を食べながら携帯を触るのはマナー違反だと知っていたけれど、トーストをかじりながら<黒い掲示板>をまた開いてみた。こんがりと焼いて、バターをたっぷりと塗ったトーストをかじると、サクッと子気味良い音を鳴らした瞬間ジュワワっとバターの香りが口いっぱいに広がる。テレビから聞こえる朝のニュース番組からは流行りのアイドルが流行りのスイーツをレポートする映像が流れていて、お父さんは早朝に届いた新聞をムズカシイ顔で読んでいる。私のありふれたいつも通りの朝。

 テレビに映るレミレミというアイドルはピンクを基調にした派手な衣装を着ていて、気の障る独特な話し方をしていた。若い男性に人気があるそうだが、このアイドルの何が良いのか分からない。そもそもどうしてこんな気分の悪くなるようなアイドルの食レポを朝から聞かなきゃいけないのだろうか。ほどよい温かさの紅茶を啜って、行き場のない不快感を飲み込んだ。そうして携帯の画面に目を戻すとそこには<黒い掲示板>の掲示板の入り口と繋がるリンクがあった。

 昨日は見つからなかったのに。そう不思議に思いながらもどこか心の中で興奮していた。リンクを迷わず押して<黒い掲示板>の掲示板に入ってみる。どんな人たちがこの<黒い掲示板>で語っているのだろう。しかいそんな期待も簡単に裏切られてしまう。掲示板には誰もおらず、何も投稿されていなかった。

 朝だから誰も居ないのかも。それでも誰かが見ていることを信じて『こん!』と元気よく無人の掲示板に挨拶してみる。するとすぐに『コンデス。スズサン』と返事がきた。ナナシというハンドルネームの人がこの瞬間にこの掲示板を見ていたようで嬉しくなる。こうやって見ず知らずの人と会話するのは楽しい。

『ナナシさん、どもです!誰も居ないのかと思いました(笑)』

『ワタシハイツデモココニイマス』

『暇さんですね!私は学校があるので長居出来ないです(涙)』

『カマイマセンヨ。トコロデスズサン、アナタノネガイハナンデスカ?』

 いきなり『ネガイハ?』と聞かれて戸惑ったが、昨日何度も目にしたあの奇妙な文字列を思い出した。


『アナタのネガイをウワサにノセテ、ヒロゲてコノヨのマコトにカエ〼』


 もしかするとネガイを言うのがこの<黒い掲示板>のルールかもしれないと思い、逡巡してから『レミレミっていうアイドルもう見たくないです』とナナシに対して返した。

『ネガイヲウケイレマシタ』とナナシは答えて、その後に私が投稿した『ありがとうございます。ところでナナシさんは学生ですか?』という質問をナナシは無視して、私は遅刻寸前の時間まで返事を待ったが、とうとう返事が返ってくることは無かった。

 学校での休み時間、クラスのカースト上位で問題児の女子グループたちが急に騒ぎ出すのが聞こえた。あまりにも悲痛な叫びなので、何があったのかと耳を傾けてみる。

「ぜってーに許さねえ!」

「ウチらのショウくんと寝たとかありえねえし!」

「誰だよこんなピンク!」

 クラスに居る全員がこの騒ぎに耳を傾けていた。ミヤコも様子を伺いながらこちらに近づいてきて「ミカちゃんたちの好きなショウくんがレミレミに迫られたったウワサが流れてるんだって」とヒソヒソ言った。

 いつもであれば「なんだそんなことか」と軽く流す程度のことであったが、そのレミレミという名前を聞いて今朝の出来事がフラッシュバックした。

「えっ。レミレミが?」

「スズ知ってるの?それともショウくんのファンだった?」

 ミヤコの声にミカのグループが反応したような気がしたが、それ以上に今朝あの<黒い掲示板>で交わした会話のことが気が気でならなかった。

 学校が終わると急ぎ足で家に帰り、塾へと向かう準備をしてからテレビのあるリビングへ向かった。お母さんが夕方のバラエティ番組を見ていたが、「ちょっとごめん」と言ってチャンネルを勝手に変えた。そして戦慄する。そのニュース番組では『人気アイドル過去に闇営業?』と大きく表示されていて、その背景にはモザイクのかかったピンク色の衣装を着た女性が躍るシーンが流れていた。

「スズどうしたの?顔色悪いよ?」

「ううん。何でもない」

 塾に向かう前につまんでいく菓子パンを無視して自分の部屋に駆けた。そしてすぐに携帯を開くと、開いた瞬間に着信が届いた。非通知の着信。いきなりピリリと鳴ったのに驚いて携帯を落としそうになったが、何とか我慢してその着信に出た。

「もしもし?」

「スズサンデスカ?」

「え?そうです」

「ワタシはスズサンのネガイをウワサにノセました」

「うそ。やっぱり私が」

 私があんな無責任なこと言ってしまったためにレミレミさんが本当にテレビから消えることになったと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「イイエ。ワタシがキイタのはスズサンのネガイです」

「でも私があんなこと言わなかったら」

「スズサンのネガイはウワサにナリました。ワタシはそのウワサをヒロゲるヤクワリ。スズサンにセキニンはアリません」

「でも」

「ヒロガったウワサは、コノヨのマコトにナリ〼。カクサンしたタネはイロンなトコロでネをハリ、ハナをサカセ、ソンザイをキョウチョウし〼。ワタシはタネをミナサンからイタダいて、コノヨにカクサンしてイ〼」

「なんでそんなことをするの?」

「タニンのウワサはミツのアジ。ダレモがウワサをタノシミにシテ〼。ウワサをツクルのはカンタン。でもヒロゲるのはムズカシイ。だからワタシがヒツヨウ」

「元には戻せないの?」

「フクスイ、ボンニ、カエラズ」

 それを最後に通話は切れた。私は何度もかけ直したが、何回かけ直しても「その電話番号は現在使われておりません」と冷たく機械的にあしらわれるだけだった。私は私の過ちの大きさに気付いてやり切れない気持ちになったが、覆水盆に返らずの言葉通りもうどうにも出来ない事だった。

 何気ない事実無根のウワサでも沢山の人がそれに反応して認知すれば、それはウワサからマコトになってしまう。ナナシはそのウワサのタネを拾ってコノヨに拡散する。あの<黒い掲示板>にはもう辿り着けなくなっていた。もしかすると名前を変えて、形も変えてどこかで存在しているのかもしれない。私は世間で何かが炎上する度にあの<黒い掲示板>のことを思い出さずにはいられなかった。

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