桜に咲く

奈名瀬

いつか、誰かがつくった『——』

 わたし達には『恋』というものがわからない。

 むかしの人間は恋をしたらしいのだけど……そんなのは、きっとおとぎ話だ。



 水面に映る頭のてっぺんに花が咲いていた。


「……今年も、やっぱり桜が咲いたのか」


 薄桃色をした小さな桜がたくさんに連なるわたしの髪の毛。

 これを見たら、きっと彼女はこういうだろう。


「桜の木には桜が咲いて当然でしょ?」

「……」


 ほらね、やっぱりだ。

 声のした方へ振り向くと、頭と胸元に大きな白い花――ダリアを咲かせた、が立っていた。


「今年こそはって期待したんだよ……」

「期待って、何を?」

「……突然変異とか」


 ダリアがやれやれと肩をすくめ溜息をつく。


「もしも、本当にそんなことがいきなり起きたら、私は真っ先に病気を疑うわね」

「……むぅ」


 頬を膨らませて拗ねて見せると、彼女はくすりと笑う。

 じとりと責める目線を送っても、ダリアは涼しい顔をしていた。

 だから、ふいっと顔を逸らし、再び水面に映る自分の頭をみつめる。

 すると、やはりそこには変わらず桜が咲いていた。


「はぁ……」


 どうしてもため息が止められない。


「せめて、花がもう少し大きかったら良かったのに……」


 続けてぼやいてみても、大きさも色も変わったりはしなかった。

 けれど、気分が上向きでないせいか、さっきよりも花が萎れてきたように感じて……。


「うぅ……――もうっ!」


 わたしはむかむかした気持ちが収まらず、ついには「えいっ」と池を蹴りつけていた。


「こらこら。今まで私達を育ててくれたお池のお水にあたったらダメでしょ?」


 直後、振り向きざまにダリアの脚にすがるように抱き着く。


「だりあぁっ……」

「おっと――」

「うぅっ……わたしも、ダリアみたいに白くて大きい綺麗な花に生まれたかったよぉ」

「またそんな……」


 ダリアの口から呆れた声が紡がれる。

 でも、彼女はわたしの髪に優しく触れると、桜の花を避けながら梳かすように撫で始めた。


「いつも言っているでしょう? 薄桃色の小さくて愛らしい花がたくさん連なっている桜ってとても素敵だと思うわって。それに……桜は散っていく姿まで綺麗なんだもの。ダリア(私)とは違って……だから、ね?」


 自嘲気味なダリアの軽口に、彼女の花が枯れた時の姿を思い出す……。

 だけど、ダリアの言葉に同調したりはしない。

 ちらりと目線をあげ、彼女の顔を見つめながら唇を尖らせる。


「ダリアは――花がなくても綺麗だよ」


 枯れ色に花を染められても、ダリアの美しさが損なわれないことを、わたしは知っていた。

 でも――。


「はいはい。ありがとう」

「……本気にしてないでしょ」


 ――人間としての名残がわたしよりも薄いのか……彼女の整った顔立ちを褒めても喜ばれたことはない。

 それが、なんだかやるせなくて――。


「ふんっ……」


 ――ダリアにそっぽを向くなり、叶いもしない文句を三度口にした。


「やっぱり、大きな花がよかった。それが無理ならせめて色だけでも真っ白がよかったの」

「そうなの?」

「そうだよ。だって……ずっとちいさな頃から――隣で、見てきたんだもの」

「桜……」


 寂しそうな声を耳にした気がして、思わず彼女に目線を戻す。

 けれど、ダリアは桜色に頬を染めて、小さく微笑んでいた。

 相反する声と表情を向ける彼女が何を考えているのかわからない。

 だからまた顔を逸らして、ごろんと仰向けになるなり四肢を投げだした。


「あーあ……最期くらい、ダリアみたいな花を咲かせたかったなぁ」


 もうどうにもならないと知りながら、わたしはわたしを桜に生んだ誰かを呪う。


「……なんで桜のプランティア植物人種からは桜しか咲かないんだろう」


 生まれてこの方、何度だって口にして来た疑問をつぶやく。

 すると、ふいにダリアに顔を覗き込まれ、彼女の影が視界に重なった。


「きっと、桜を素敵だって感じて、ずっと咲いていてほしいと思った誰かがいたのよ……私みたいにね」


「そんなのっ! ……その誰かは、すっごく自分勝手で…………わがままだよ」


 そして、ダリアの言葉で誰かにむくれてみせると――。


「ふっ――ふふ……あははっ」


 ――急に、彼女は笑い出した。


「だ、ダリアっ? どうして、笑うのっ?」

「だってっ……ふ、ふふっ――さ、桜? もう一度、水面をのぞいてごらんなさいな?」


「ど……どうしてよ?」

「とびきりの、お姫様自分勝手でわがままが映るから」


「……おひめさま?」


 もそもそと体を起こし、ダリアの言う通りに水面を覗き込んだわたしをまた彼女が笑う。

 でも。

「……わたしが映るだけじゃない」

「あははははっ――」


 ひとしきり笑った後でダリアは小さく「本当に、しょうがないわね」なんて言うと……。


「……ダリア?」


 わたしが振り返った瞬間には…………もう、そうなっていた。


「ダリアッ!」


 大きく目を見開き、声は爆ぜた。


 ただただ『信じられない』という想いに胸中を裂かれ、起きた光景を拒絶する。

 だって今、わたしの目の前で――ダリアの指が髪に咲いたダリアを手折っていたのだからっ。


「ちょっとっ、何してるのっ! もうすぐ――」

「いいから」


 慌てふためく情けない声が平然とした一言に塗りつぶされる。


「い、いいからって……そんな――」

「いいから……ね?」


 その言葉に何も言えなくなり、口惜しさから唇をぎゅっと噛んだ。

 けど。


「……だ、ダリア?」

「いいからいいから」


 そんなわたしにダリアは指で優しく触れたかと思えば、数度はらうように髪に触れ、耳元で手を留める。

 でも、それもほんの数秒のこと。

 ダリアは満足気に「よし」と口ずさむと、静かに指を離してしまった。


「見て……桜」


 それから、ダリアの視線が水面へと落ちる。


「よく似合ってるわ」


 彼女の眼差しを追いかけると……そこには、わたしがいた。

 桜の花を散りばめた髪に、大きな一輪の真っ白い花を咲かせた――ダリアみたいな私がいた。


「ダリア……どうして」

「だって、桜がほしがってたから」

「だからって――」

「それに……私があげたかったから」


 にこりと笑うダリアを見て、また何も言えなくなってしまう。


 だって、ずっと傍で憧れていたダリアは今だって私なんかよりもずっと綺麗で――。

 同じ花を咲かせたって、彼女のようにはなれないと思うと胸が痛くて――。

 ありがとうも、ごめんなさいも言えなくなって――。


 なのに、私は。


「どうして……」


「……桜?」


「……どうしてこんなに、綺麗に見えるんだろう。ダリアのこと」


 なのに私は、この胸の痛みに、このわからない感情に形がほしくなって、それを紡いでいた。


「もう、しょうがない子ね……」


 ダリアの指に、知らぬ間にこぼれていた涙を拭われる。

 すると、暖かい風が吹いて……行かなきゃと思った。



 二人で並び、一緒に風上へと歩いていく。



 種送り――。

 人と植物の混ざりものである私達が年に一度行う、いつかの誰かにとって一番大切なこと。 


 暖かい風が吹く中、どちらからともなく立ち止まった私達の体から光が浮かび上がった。

 ダリアからは、大きくて真白い光が一つ。

 私からは、小さくて薄桃色の光がいくつも……。


「……きれい」


 それは私達の……ううん、いつかの人の種だった。

 この世界にいたかった誰か達の『人』を残そうとした願いの種。

 風に乗り、拡散していく種を見送りながら……私達の体には力が入らなくなっていく。


「これで……ようやく役目を終えたわね」


 静かに呟くダリアに頷きながら、私は彼女がくれた花に手を触れた。

 視界の端に映るダリアの花は、すでに枯れ色が混じり始めている。

 きっとそれは私の桜も同じで……けど、ダリアがくれたこの花は違った。


「やっぱり、ダリアの花は綺麗だよ。大きくて、真っ白で」


 未だ美しい白を誇りながら、手折られたダリアの花は咲いている。

 そんな、私の髪に咲くダリアを見つめながら。


「桜だって――」


 と、ダリアは言いかけた言葉を口元で結び直し……再び声を紡ぐ。


「――ありがと、桜」

「……ダリア?」

「でもね。あなたに綺麗だって言ってもらえるのは……きっと、あなたがいたからなの」


 鼓動が、止まるかと思った。


 だって、これまでの彼女なら、そんなことは言わなかっただろうから……。

 でも、きっと……そうだよね。

 これは、たぶん最期だから……。


 だから……。


 私もずっと、胸の中でつぼみのままにしておくつもりだった言葉を咲かせようと決めた。


「……それって、もしかして……私達の恋……だったのかな?」


 わたし達には『恋』というものがわからない。

 むかしの人間は恋をしたらしいのだけど……そんなのは、きっとおとぎ話だ。


 だって、わたし達は人のような形を保ちながら花のように成長する『何か』だから。

 恋なんて知らなくても数を増やせるの『何か』だから。


 だから、ただただ枯れるまで種を飛ばし『ひとだったなにか』を紡ぎ続けていくだけだった。


 だけど……。


 私達だって『恋』くらい知っている。


「さく、ら……?」


 私達には『恋』がなんなのかわからないけど。

 この胸の痛みが『それ』なのかもわからないけど。


 でも、だからこそ――。


 この痛みに『恋』という名前を欲しがって生きてきた――女の子だ。


「ねぇ、ダリア。私達、あとはもう枯れていくだけなんだよね」

「うん……」


「じゃあ、もう……いつかだった誰かのために、生き咲かなくても、いいんだよね?」

「桜……」


 だったら――。


「ダリア……私だけのものになって」


 役目を終えた私の桜が散り始める。

 髪からひとつ、ふたつと離れていく花弁を視界の端に捉えながら……わたしは、初めて自分が桜で良かったと思えた。


 だって――。


「やっぱり……桜って、散っていく姿も綺麗なんだから……ずるいわね……」


 ――だって、想いを告げた最期の瞬間を『綺麗だ』と、彼女に思ってもらえたから。


「わたし……あなたのものになってあげる」


 私は――嬉しくって、笑ってしまった。


 後はもう、花を散らせて枯れていくだけなのに。

 なのに……そんな時になって、ようやく実るものも、あったんだ。

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桜に咲く 奈名瀬 @nanase-tomoya

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