2章-64話 霧を晴らす雨
「……さてと、そろそろ時間だね」
「姉さん……みんなは里長の家に入ってもらったよ」
ステラが振り返るとそこには弟の姿が。若干強張った表情をしているのは気のせいではないだろう。彼女自身この場所で同胞を守りながら戦い抜く事を不可能だと理解している。
それでも簡単に諦める気などは無く。出来るだけ多くの仲間を生かす為に全力を尽くすだけだと、しばしの間瞼を落とし深い息を吐いた。
戦える仲間は二十人にも満たない。子供や老人はみな広間のある家の中だ。その周囲を囲むようにしてステラ達は武器を構え、魔族が来るのを待つ。
「クシュナ。今からでも遅くないからあんたはあの男を追いかけてもいいんだよ」
「いいんだっ! 僕が決めたことなんだからっ! それよりもほんとにこれだけしか生き残ってないんだね……」
「いろいろ……あったからね……」
クシュナが鳥人の里に居たのは十年も前の事だ。その当時は千はいた鳥人族も、今ではここに残る百人に満たない人数が全てだった。今日まで生き抜いてきた幼い頃の妹分には生きていてほしかったのだが、言う事を聞いてくれる様子は無い。
「しかしクシュナかぁ。お前生きてたんだな。まぁ、悪知恵の働く奴だったから不思議には思わんけどな」
背後からクシュナの頭を乱暴に撫でつけるスレインも、先ほどの表情とは一転して嬉しそうに歯を見せて笑っている。このまま懐かしき再会に宴でも開きたいものだと自然とステラにも笑みが浮かぶ。
「スレイン兄は相変わらず堅そうな顔してるね。いまでもステラ姉に振り回されてるんでしょ」
「そ、そんな、事は……ない」
「あははっ! やっぱりあのころのまんまだね」
声が尻すぼみになり顔を背けるスレインの顔には、その言葉が事実だと書いてある。事実幼い頃にも、ステラの止めても聞かない傍若無人な行動に帯同し、大人に怒られていた。そういう場にはたいていクシュナも居たのだが、彼女は二人が怒られている隙にこっそりと逃れていた。
「二人とも僕が覚えている頃となんにも変わってないんだもん……懐かしいなぁ……でも、僕が知ってる人はもうほとんどいないみたい……」
「ああ……そうかもしれないな……」
クシュナは先程洞窟内に入ったのだが、そこいる子供達は彼女が里を離れてから生まれた子達、老人達も話をしたことの無い者ばかりだった。
母親に連れられ、人の住む街に移住してからは楽しい思い出などほとんど無い。母親が死んでからは生きる為だけに全力を注いだ。
だから今ここにクシュナは生きているのだが、記憶の片隅にある鳥人の里で過ごした幼少期は、眼前の双子の姉弟を中心に色づいて思い起こす事が出来た。
当時一緒に遊んでいた同胞はステラ達以外、一人も見つける事が出来なかった。
「もう時間だ……行くよスレイン」
先ほどから少しづつ届いていた魔物の咆哮が耳を突き始め、それと同時に白い霧の奥に黒い染みのような影がいくつも浮き出てくる。
「さあっ! 皆、あたしらの足掻きをみせてやろうじゃないか。一匹でも多くぶっ殺してやるんだよっ!」
ステラのかけ声と共に鳥人達が弓を放ち、翼を広げて谷間へと飛翔する。
敵の数は百を超え、味方はその半分にも満たない。おそらく生きて帰る事の出来ない戦いに鳥人族は向かって行く。
「クシュナ。あんたはこの入口に近づく奴らを相手出来るかい?」
「う、うん。わかった」
短剣を握り締め、少し青ざめた顔のクシュナの肩に手を置いて声をかけると、ステラもまたその白い翼をはためかせた。
◆ ◆ ◆
一つ、また一つと人影が谷底へと落ちていく。
鳥人の戦士達も奮戦している。実力以上の力を発揮し、自身の倍はある巨体の魔物の鉤爪を避け、致命の一撃を与えた。一つの人影が落ちる前には複数の大きな影を谷底へと道連れにしていたのだ。
だが、足りない。
落としても落としても湧き出るように後から巨大な影は増え、力尽きた人影がまた一つ落ちていく。
「くっ……」
元々は魔物相手に一対一で勝てる程、今いる鳥人の戦士達は強くない。いくら奮戦しようとも、複数の魔物相手に勝てる者はほとんどいないのだ。
自分よりも年若い同胞が腹を裂かれて落ちていくのがステラの目に移る。
眼前の翼竜のような魔物の腹を切り、怪鳥の羽を切り落とし、なんとか他の仲間の援護をと考えるが敵の数が多すぎた。次から次へと襲い来る魔物を捌くので手いっぱいだった。
「ははっ。また落ちたよバリアスっ!」
「かかっ。たまらんなぁ。そら、そっちに一匹いるぞ」
「了解。はい死んだ」
「一匹も逃がすなよ」
「わかってるよ」
ステラの耳に声が届き、視線をそちらへと向ける。蝙蝠のような被膜の翼に赤い瞳と赤い髪、魔物を連れてきた魔族だ。二人の魔族はまるで虫でも駆除するかのように手に持った巨大な金槌を鳥人へと打ち付けている。
振り抜いた金槌は鳥人を潰し、辛うじて息のある仲間の頭を掴み握りつぶす。
「貴様らっ!」
「バリアスっ。そっちに行ったよ」
「わかっている」
二本の短槍を血が滲むほどに握り締め、魔族へと突き進む。
ステラの突き出した槍の先端は、魔族の持つハンマーの平で受け止められる。
「ほう。活きの良いのがいるな。かかっ、面倒くさい仕事を押し付けられたと思ったが……」
「死ね魔族っ! ……っ?!」
「多少は楽しめそうだなぁっ!」
翼をはためかせ、槍にさらに力を籠めるが、不意に刃が逸れる。魔族は槍を受け止めていた金槌を後方へと動かすと、そのまま回転しステラへと打ち付けてきたのだ。
「がっ!!」
左半身に感じた衝撃の後、腕の骨が砕けた音が脳に響き、ステラは勢いよく岸壁へと叩きつけられる。激痛が全身を覆い、左手から零れ落ちた短槍が谷底へと落下してく。
「と言っても、今のが当たっちまうんじゃあもう終わりか……」
油断した。歯噛みするステラは血の雫を口から滴らせながら魔族を睨みつける。
頭に血が上った上に疲労が抜けておらず、ステラの意識に身体ついて行かなかった。
かろうじて翼は動くが、今の一撃で左腕が動かない。
「そらっ! しまいだっ!」
次の瞬間には魔族の金槌が眼前にせまる。
「姉さんっ!」
間に割って入ってきたのはスレイン。勢いに乗る前の槌を二本の剣で受け止めたのだ。
が。
「おかわりか? だが、これじゃあ足りんな」
「ぐああぁっ!!」
受け止めた剣を砕きそのまま眼下へと打ち落とす。スレインは岸壁を削りながら足場にひっかかり止まった。
「スレインっ! くっ!」
弟の決死の行動で反射的に壁を蹴り魔族へと短槍を振り上げる。
ステラの身体が万全の状態であれば、今の攻撃で致命傷を与える事も出来ただろう。だが今の状態では無理な話だ。蓄積された疲労に先の一撃で動かない半身。
それでも決死の一閃は魔族の右腕を深く切り裂く。
「痛づぅ……良い。良いなお前。その状態でよくやった……ハイアンっ! 先に生き残っている奴らを始末しろ。俺は少しこれで遊んでいる」
「はいはい。わかったよ。だいたい居場所はわかってるから、あんまり時間かけないでよ」
赤い瞳が鈍く光る。獲物を捕食する肉食獣に似たその相貌。口元を引き上げて笑う魔族バリアスが、右手に握る金槌を握りなおしステラを標的に定める。そしてハイアンと呼ばれた魔族はクシュナ達のいる洞穴へと向かって行く。
「待てっ! ぐぅっ」
行かせてはならない。もうすでに周囲に同胞の姿は無く。スレインも動く様子が無い。今魔族を洞窟へと行かせてしまえば、もう誰も助からないのだ。
軋む身体を動かして追おうとするが、ステラの前にはバリアスと呼ばれた魔族が立ちはだかる。
「どけっ!」
「後ろから殺すのでは面白くないだろう。死ぬまで俺を楽しませるのがお前の役目だ。さあ、かかってこい」
バリアスの背後には悠々と滑空する魔族ハイアンが見える。霧で視界の悪い先には洞窟から出てきたクシュナ。おそらく一瞬で殺され、中の同胞も同じように斬殺されるだろう。焦燥感がステラを包む。
たとえ目の前の魔族を排除出来たとしても、周囲にはまだ多くの魔物がいる。仲間はもうほとんど残っていない。その上もう一体の魔族を倒さねばならなかった。
終わりか……。
そう諦めがステラの脳裏を過った次の瞬間。
空から光の雨が降った。
「なんだっ!?」
「バリアス避けろっ!」
魔族の叫びの後、光の雨は霧を巻き込み谷底へと降り注ぐ。同時に魔物の身体をも貫き打ち落として行く。
「ふむ……まだ全快というわけにはいかないようだ……」
光の雨から上手く逃れた二人の魔族は無傷だったが、周囲に残った魔物は半数よりも少ない。
晴れたことの無い霧が晴れ、上空より舞い降りるのは光の翼を広げた男の呟き。それはノエルと名乗ったシンヤ達の仲間の声だった。
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