2章-35話 シーナ
この街に来た時に通った地下道。
聖都は元々鳥人の都市だった。地上部分には建築物はあまりなかったが、交易をする為の利便性を追求し、旅人の休息地としての役割もあった為、洞穴内に幾多の地下道が掘られる事となったのだ。
聖都として作り変えられた今でも、マグルス達はその地下道の全てを把握する事は出来ていない。
シンヤ達が通ってきた通路は、クシュナの家が使っていた地下道の一つ。今回彼女が使用するまでは何年も使われることが無く、その存在も知られていなかった。
抜け道である地下道に入れば聖都の外迄は一本道。
反対側に着くには三十分程度歩く必要があるが、つけられていなければもう追っては来ないだろう。
「シンヤとクシュナはシーナさんを連れて先に行ってて……わたしは兄さんを待つわ」
「……ああ。でも、追手が来たらリュートが間に合わなくてもすぐに逃げるんだ」
地下道に降り立ったシンヤに、階段の上からクロエが声をかける。
シンヤの見た限りだが、戦力という意味でリュートはマグルスを圧倒していた。一人であれば逃げてくることも可能だろう。
それでも、兄を心配な彼女はここに来るまでにも、しきりに振り返ってはリュートが来ていないか確認していた。
「僕もクロエ姉と待ってるよ……まだ夜だからノエル達も抜け道の出口で待機しているはずだし……もし敵に見つかったら急いで教えにいくよ」
「いいのか、クシュナ?」
「多分僕の方がクロエ姉より足が速いからね。……それと兄ちゃんにもこれ渡しとくよ。念の為」
腰に手をあてるクシュナは自信ありげに薄い胸を反らす。この世界を一人逞しく生きて来た彼女は、危険を察知する事も得意なのだろう。
最後にクシュナは剣を一振り手渡してきた。
シンヤが受け取り鞘から半身抜くとそれは鈍い光を放つ。見たところ質の良い物ではないだろう。
今は死者の刻限。
いくら朝まで抜け道で待機する予定とはいえ、最悪、追ってから逃げる為、外を走らなければならない。
用心をするに越した事はないということだ。
「ありがとうクシュナ……じゃあシンヤ。ノエルと待っててね」
「わかった……気を付けてくれよ」
「うん」
そう言い残したシンヤは、クロエ達に見送られ暗い地下道を歩き始める。手にはランタンが一つ、服の替えは無いため相変わらず上半身は裸だが、腰にはクシュナに渡された剣。
背中にはシーナを背負い、揺らさないよう気を付けながら薄暗い道を進むのだった。
◆ ◆ ◆
欠片が舞っている。
空に漂う粉雪のように、見上げれば視界にいくつもの欠片が目に映る。
その一つ一つに見覚えがあるし、見たことも無いようにも感じた。
ふと自分は誰なのだろうと問いかけてみるが、その答えが無い。
答えが分からないのではなく。
無いのだ。
自分の周囲を漂っているいくつかの欠片を見てみる。
それは新しい記憶。
そこには平凡だが幸せな夫婦が映っている。
生まれた村で共に育ち、成長して、恋をし、結婚した。
幸せな生活を送るかと思った矢先、野盗に襲われて住む家を失い、新しい土地で二人でやり直す……。
そんな記憶。……そんな物語。
だから、これも偽物。
少し足を進めて、先にある他の欠片を見る。
それはさっき見た欠片と違い、ひび割れ汚れてしまっているが、内容は理解出来た。
これは商店の娘。
次は老夫婦と共に暮らす孫娘、あっちは幼馴染と恋をしている娘。
他にも欠片はまだある。
落ちてくるでもなく自分の周囲を漂うだけの記憶。
その全てが自分では無い。
ならどれが本当の自分なのか。
答えは無い。もう探す術は無いのだから。
それでも、名前だけはずっと同じ、変わることがないのは名前だけ。
シーナ。
それが彼女の名前。
シーナは最初の欠片がある場所へと戻る。はっきりと覚えているのは、ここにある傷の無い綺麗な欠片たち、自分を自分としていられるのはこの欠片たちだけ。
そのうちの一つに手を伸ばす。それは実際に彼女が体験したほんの数日だけの記憶。
自分が自分でないと理解できてから、彼の事だけを考えるようになる。実際に声を聞き、話をして、もっと、どうしようもないほどに惹かれてしまった。
これも植え付けられたものなのかもしれない。
……それでもこの気持ちだけは否定したくなかった。
目を覚ましたらもっと話をしたい。もっとたくさん彼を知りたい。一緒に老いて一緒に過ごす時間をもっとたくさん作りたい。
彼女は手にした欠片を握り締める。
そうしてシーナの意識は浮上していく。
◆ ◆ ◆
「……シ、ンヤさ、ん?」
「……っ。良かった」
寝ぼけた様子の可愛らしい声が聞こえる。
このまま眼を覚まさないのかと心配していたシンヤは、ようやく目覚めたシーナの声を聞いて安堵のため息をつく。
「……すみません、重いでしょう? 歩けますから降ろしてくださると……」
「重くないよ。それにもうすぐノエル達と合流できるから」
「……はい」
寝ぼけ眼で自分の置かれた状況に気づいたシーナは気恥ずかしさからか、少し身をよじるが、その力は弱々しく、気を使っているだけだとわかる。
地下道の先までまだ距離があり、目覚めたばかりの彼女を歩かせるのも忍びないと、シンヤは足を止めずにそのまま歩き続けた。
そんな様子見て諦めたのか、シーナは両手で肩に捕まりなおすと、そのまま背負われる事にする。
思っている以上に疲弊しているのを感じたからだ。
「シーナ……ありがとう。おかげで助かった……でも、あまり無茶な事はしないでほしい」
「あの時は咄嗟の事だったので……」
この異世界で弱者のシンヤは、誰かに守られるのではなく、誰かを守れるように強くなろうとした。それは、命の価値が低い世界で、自分を守って傷つく誰かを見たくなかったからだ。
だから、もし同じ状況になっても、シーナにはシンヤでは無く自分を守り、生きていてほしいと、そう強く思ったのだ。
それが出来なければ、誰かを救えない自分に、生きる価値は無い。
そう思うほどに、シンヤの心には傷が出来てしまっている。
「でも、シンヤさんが無事で良かった……」
「おれもシーナが無事で本当に良かったよ」
「ここまでくればもう追ってはないだろうってさ。あとは朝を待ってから、おれ達が居た村に行って暮らそう……こんなところ、二度と来なくてもいいんだ。それからアウラが戻ったら記憶を戻してもらって、ゆっくり平和に暮らせばいい」
心の底からそう思う。
まだリネットや他の村人は救い出せていないが、それはリュートやシンヤ達が考えて何とかすればいい。
シーナはもう十分辛い思いをしてきた。これからは平和に暮らすべきなのだ。
「……はい……ありがとうシンヤさん」
「いいさ……あ、結界を出たのか……」
「そう、見たいですね……」
話をしながら歩いていると何かを通り抜ける違和感を感じた。
聖都の結界を抜けたのだろう。
だがここは地下なのだから屍人が現れることは無い。
ここに来てからずっと張っていた気が緩むのを感じる。
クロエ達がリュートを連れてくるまで焦る必要はないと、少しだけ歩みを遅くさせた。ノエルのところに着くまで、シンヤはもう少しだけシーナと話をしていたかったのだ。
「……私、やっぱり、シンヤさんが好きです……」
「っ?! どうしたのさ」
シーナは肩に掴まっていた腕をシンヤの首に回し、耳元で囁く。唐突な告白に心臓は飛び跳ね、身体から出て行ってしまうのではないかという程に鳴り出す。
「記憶が戻っても、私が私じゃなくなっても、きっと、好きなんだと、思い、ます……なんだか、言葉にしておきたくて……」
身体が密着している為、自身の鼓動が伝わってしまうのではないかと、シンヤは顔を赤くして顔を天井に向ける。
地下施設の時とは違い、今は二人きり、頭では彼女が作られた記憶で惹かれているとしても、シンヤ自身も命を捨ててまで自分を助けてくれたシーナを憎からず思っているのだ。
「……おれもさ、真剣に考えたんだ……。これからの事やシーナの事、それでさ……」
「……」
緊張で耳まで赤くなっているが、ランタンの明かりだけでは、さすがに気づかれないだろう。そう思いながら、早鐘のように打つ心臓の音を飲み込み、擦れる声を絞り出す。
「村に戻ったら、おれと、一緒に居てほしい……」
「……」
返答は無い。
彼女の様子はわからないが、背中に背負っているのだ。シンヤの言葉は届いているはず。
「おれも君が……シーナが好きなんだっ」
「……」
人生で初めての告白。
好きと言ってくれている相手に言うのだから、卑怯になるかもしれないが、それでもシンヤの身体は震え、血の気が引いていくのを感じた。
通路の中はシンヤの足音だけがゆっくりと耳に届き、急かさないよう静かに答えを待つ。
「……シーナ?」
「……」
しばらく待ってみても彼女からの返答が無い為、名前を呼んでみるが反応が無い。
「……寝ちゃった?」
「……」
「しまらないなあ……起きたらさ。ちゃんと聞いてくれよ」
もう一度呼んでみるがやはり反応は無く、寝てしまったのだと思った。初めての告白は寝落ちした彼女の耳に届いていなかったのだと、シンヤは肩透かしを食らってしまい、タイミングの悪さに頭をかく。
「ぅ……ぅぅ」
「っ?! シーナ?」
耳元で微かに彼女が声を出すのを聞いた。
苦しむような声にシンヤは首を横に動かす。
「ぅぅぅうぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
直後、叫び声。
彼女の口から絶叫が飛び出し、シンヤの鼓膜を打つ。
「シーナっっっ!?」
「ぅあぁあっぁぁああがっぁあああっっ!」
肩に回していた腕を振り回し、シーナは呻き声を出しながら背中で暴れ出す。背中で暴れる彼女が落ちないようにしているシンヤは対処が出来ないでいた。
「がぁぁぁぁっ!!」
突如脳に刺さるような痛みがシンヤを襲う。
肩を噛まれたのだ。
困惑するシンヤの肩を、彼女は全力で噛み。
そのまま噛み千切った。
「ぐあぁぁぁぁぁぁっぁぁっ!? シーナっ?! なんでっ!」
「ああ、あぁああぁああぁぁぁ」
体勢を崩して倒れ込むシンヤが顔を上げると、そこには、口から血を滴らせたシーナが、シーナだった屍人がゆらりと立ち上がっていた。
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