2章-26話 協力者

 何時間続いたのだろうか、シンヤには時間の感覚さえなく、ただひたすら痛みが与えられる。だが、最初にリネットが治癒を施してからはどこかぼんやりと苦しむ自分を、遠くで見ているような気がしていた。


『すまぬ……シンヤわしに出来るのはこのくらいしかない……』


 叫び声を上げる自分を見ている中、アウラが話かけてくれたような気がしたが、それも朦朧とする意識の中に消えていってしまう。


「おかしいですね。途中から人が変わったような反応でしたが……壊れてしまったのでしょうか?」


 一通りの拷問を終え、マグルスが血で汚れた手袋を外しながら話しかけてくるが、シンヤの口から返答は無く、首を傾げていた。


「まあ、それも仕方ないですね。今日はここまでにしましょう。明日来て同じようなら処分すればいいだけですし……」


「……」


 話を聞いているのかどうか、目を開けたまま項垂れるシンヤに言葉を残し、マグルスは片づけをし、リネットを連れ牢を出ていく。


 足音が消え、牢の中は静寂に包まれる。


 そして、固い椅子に縛り付けられたままのシンヤだけが残された。


『すま……じゃ。うま、逃……て』


 擦れるようなアウラの声が頭に響き、シンヤの意識は浮上する。


 先ほど迄、ただ見ているだけだった意識が覚醒し、自分の身体を動かす事が出来るようになったのだ。


「アウラ? お前っ。何したんだっ」


 静寂を破るシンヤの声が牢の中に響き渡るが、いつもなら答えてくれる声が聞こえてこない。


 リネットに治癒してもらった身体は疲れこそ残っているが、痛みの欠片も無く、アウラの存在だけが感じられなくなっている。


「おいっ! 聞こえてるんだろっ、アウラっ!」


 指を潰された後の拷問は常軌を逸していた。欠損が出ないようにしただけで身体のあらゆる箇所を潰され、刺され、剥がされたのだ。


 シンヤに耐える事など出来なかった。


 きっと、心を、精神を保つことが出来なかったに違い無い。


 だが、そうはならなかった。


 シンヤは途中から肉体の痛みをほとんど感じず、意識だけになっていた感覚だったのだ。ならば先ほど悲鳴を上げていたのは誰なのか、なぜアウラは答えてくれないのか。


「なんでだよ……」


 どうやったのかはわからないが、シンヤには彼女が痛みを肩代わりしてくれたようにしか思えなかったのだ。


 暗闇の牢の中、俯いた顔からは雫が零れ落ちた。

 

 


    ◆      ◆      ◆




 どれだけそうしていただろうか。


 元々動けないということもあったが、アウラの声も聞こえなくなったシンヤは、孤独の中を眠ることも出来ずに暗闇を見つめていた。


 少し前にローブを羽織った信者の一人がシンヤの口に、冷えたお粥のような物を流し込んでいっただけだ。一言も言葉を交わさず、無理矢理飲まされた食事だったが、栄養には違いない。


 今食べて少しでも力を戻しておかなければ、脱出するのに足手まといになってしまうだろう。アウラに反応は無く、強化の手助けは期待できないのだから。


 ふと通路の奥から数人の足音が聞こえてくる。


 正面の鉄格子の前で止まった人影は二つ、明かりも持っていない為誰なのかはわからなかったが、きっと助けに来てくれた協力者なのだろう。


「シンヤさんっ!」


 その声には聞き覚えがあった。


「……シーナ? どうして……」


「今、ここを開けますから、待っていてくださいっ!」


 牢の鍵を開け、飛び込んできたのはシーナだった。


 長い金の髪の毛を後ろでまとめた最後に見た時と同じままに、だがその顔には眠っていないのか目の下にくっきりとしたクマが出来ていた。


「シンヤさんっ。大丈夫ですか? 痛むところはありませんか?」


 椅子に括りつけられたままのシンヤに、縋るように抱き着き、両手で顔を包むと、シーナは目尻に溜めた涙を零しながら震える声で話しかける。


「……大丈夫だよ。どうして来たのか理由を知りたいけど、その前にこの拘束を解いてくれると嬉しいな」


「あっ……ごめんなさい。今、外しますね」


 興奮冷めやらぬ様子のシーナに優しく鍵を外してくれるよう促すと、慌てて鍵を取り出し、シンヤの両手両足、そして腰の拘束を解いていく。


「ありがとう。……それでどうしてシーナがここに?」


「はい。それはクリス君が……」


「お兄さん大丈夫? ごめんね。きっと父様のせいなんだよね……」


 シーナが振り返るとそこには聖都の街の中で会った男の子。シンヤの記憶が正しければ、グライストの息子だったはずだ。


「父様達、なんだよね……。こんなひどいことしてるの……」


「クリス……?」


 両手を握りしめたクリスは俯いたまま声を絞り出す。


 表情は見えなくても床に滴る雫で彼の気持ちが少し理解出来た。牢の中は血が飛び散り、薄暗くても血の匂いが充満している。この状況を感じ取れば普通の子供は恐怖を感じるだろう。


 だが、クリスが感じているのは父親の責任という罪悪感のようだった。


「父様は変わっちゃったんだよ。母様が死んで、この街に来てから……。僕はずっと地下で暮らしてて外の街にも出ちゃいけないって」


「……」


「こっそり街に行ったんだ。父様が忙しい時は簡単なんだけど、外に行くたびに人が変わってる。……居たはずの人がいなかったり、いないはずの人がいたり、お兄さんもそうだった」


「……そう、だな。あの時はおれもわからなかった」


 クリスと初めて会った時は、理解できなかったが、彼は記憶の改竄を受けていない。だから、あの時のシンヤと話が噛み合わなかったのだ。


「うん……知ってる。鳥のお姉さんに聞いたよ。全部……だから、お兄さん達を助けるんだ」


「……怖く、ないのかい?」


「僕は父様の、騎士の子供だから。間違った事を正すのが騎士の仕事なんだっ」


 暗く血生臭い部屋の中、少年は震える掌を握り締め顔を上げる。まだ幼い彼の顔には、年齢にそぐわない覚悟が感じられた。


「私もクリス君と一緒です。まだわからない事だらけですけど、シンヤさんをこんなところに置いておけませんっ」


「シーナ……」


「さあ、ここから出ましょう。クシュナさんが他の方々を助け出しているはずですから、シンヤさんは私達と聖都の外へ……」


「二人とも、……ありがとう」


 久しぶりに拘束の解けたシンヤは軋む身体を椅子から起こし、危険を冒して助けに来てくれた二人に礼を言い頭を下げる。


 シーナのシンヤを助けたいという気持ちは、彼女の本来の記憶にない作られた記憶、作られた思いなのだ。


 それでもアウラが答えない今、シーナの記憶を戻してあげる事は出来ない。


 人の記憶を操作して操る聖都の人間を嫌悪するシンヤにとって、彼女を利用しているようで気が引けるが、ここに残していくわけにもいかないのだ。 


 今出来ることは、儀式を終えてしまった彼女を、早くこの聖都から出してあげる事。


 結界の贄にならない場所で、安全に暮らしていけるようにしてする事だと、シンヤは暗くなる気持ちを押し上げて牢を出るのだった。


 


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