2章-25話 拷問

 牢の中には明かりは無く、窓も無ければ通気口すらない。


 いつの間にか眠ってしまっていたようで、目を覚ましたシンヤは辺りを見回す。


 暗闇に包まれた牢内では、時間の感覚がくるってしまい、今が昼なのか夜なのかすらわからなかった。


 剥がされた爪の痛みは幾分ましになってきているものの、固定された状態の為、身体の節々が痛む。その訴えに答えて動かそうとしても、拘束具が身じろぎする事さえ許さない。


 牢に入れられてから食事はおろか水すらも与えられないので、シンヤは全身の衰弱を感じ始めていた。


『起きたかシンヤ。今日を乗り切れば脱出にも希望が出てくる。……頑張るのじゃぞ』


「あ、ああ……」


 起きたシンヤにアウラが声をかけてくれるが、声を出そうとしても、乾ききった喉が張り付いて声が上手く出せない。


 思い出すのは聖都の家でシーナが作ってくれた料理だった。


 偽りの記憶を元に夫と信じているシーナは、いつまでも帰らないシンヤを心配しているだろう。


 お互いに本当の姿を知らぬまま数日とはいえ夫婦だったのだ。自身の先もわからなくとも、彼女の事が気にかかっていた。


『……来たようじゃ』


 人の気配を感じたアウラが教えてくれるのと、ほぼ同時に足音が通路の先から聞こえてくる。


 前回と違うのはその足音が二人分だったということだろう。


 すぐにその理由が理解出来た。


 鉄格子の先に見えた姿は二つ、一つは教主マグルス、もう一つはシルエットだけでも判別できる。


 リネットだ。


「お待たせしてしまったかな。今日は特別に観客を連れてきました」


「……リネット?」


「ああ、話しかけても無駄ですよ。私の言葉しか聞かないように、調整してありますからね」


 牢の鍵を開け、二人は中に入って来る。


 もう一人は間違いなくリネットだったが、広間で見た時と同じように、その瞳は何も映していないように見えた。


 マグルスはランタンを牢の壁にかけると、椅子に固定されたシンヤの前にしゃがみ込む。


「調子はどうかなシンヤ君? 食事は今夜にでも持ってこさせるから安心してくれ。昨日は手違いで用意できなかったんですよ」


「……くそやろう」


「うん。元気そうで何よりです」


 相変わらずの甲高い声で話かけてくるマグルスに、シンヤは擦れた声で罵倒する。


 その言葉にも気にした様子の無い狂人は、羽織っていた白いマントを外しリネットへと預け、そのまま道具の置いてある机へと移動した。


「わざわざ聖女を連れてきた理由がシンヤ君にわかりますか?」


「……っ!!」


「気づいたようですね。……彼女がいれば傷は立ちどころに完治する。つまりですね……何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度でも、治るのですよ」


 金槌を胸の前で握り締めたマグルスは笑みを浮かべ天井を仰ぐ。


 その姿を見てシンヤにも最悪な光景が浮ぶ。


「惜しむべきは、四肢の欠損に対して完治するまでに時間がかかってしまうことと、再生した後、意識が無くなってしまうことでしょうか……。ですので今日はそれ以外を試します」


 よほどこの後の拷問が楽しみなのだろう。


 目の前の狂人は鼻歌でも歌いそうな様子で準備を進め、服が汚れないように前掛けのような物を着て手袋まで付けていた。


「はは、イカれてやがる……」


「……では始めましょうか」


 右手に握る金槌を振り上げたマグルスは、シンヤの左手を押さえつけ、身動きの出来ないその指に狙いを定めると、一気に振り下ろした。


「っあぁぁあぁぁぁあぁっっ!!!」


 どの指が潰されたのかはわからない。


 腕を駆けあがってくる激痛はシンヤの脳を直撃し、その口からはありえない声量が出てくる。


 乾いていた喉が裂け、血の味が口内に上ってくるがそんなものは気にならない。


 爪を剥がされることなど、なんでもないと思えるような痛みが脳を支配し、痛み以外の感覚が無くなってしまうかのように感じられたのだ。


 だが、それで終わりではない。


 痛みに支配されて認識できない視界の中、マグルスは再度振り上げた金槌を勢いよく落とす。


「がぁあぁあっぁあああっっっ!」


 唇が裂けんばかりに大きく口を開き、そこから絶叫が飛び出す。


 潰れた指はシンヤの意思で動かすことさえも出来ず。上半身を精一杯捩り、少しでも金槌から逃げようとするが、拘束具はビクともしなかった。


「良い……。実に良い声です。リネット、君もそう思うでしょう? ……これは彼に神が与えた試練なのです。私という試験官に試練を与えられ、彼はこの絶望を越えられるか試されているのです」


「……ひぅっ。もうやめっ。やめろぉぉぉっ!」


 動けない身体の代わりに口を動かす。


 いつの間にか流れ出ている涙が渇いていた口の中へと入り、喉から出た血と混ざり、口から溢れて身体を濡らしていく。


 目の前の男を、狂人を、悪魔を止めてくれ。


 痛みは怯えと恐怖になり逃げようと、シンヤの身体を突き動かすが、拘束がそれを許さない。


 限界まで力を込めても外れず、逆に腕が裂けて血が零れ出ていた。


「おっと、そうだった。昨日の質問を忘れていたね……。指輪と邪神の関係は聞いてくれたかい?」


「はぁっ、はぁっ。話、したら、止めて、くれ、るのか?」


「……止めるわけないでしょう。おっと、失言でした。でも話してくれてもいいですよ。もしかしたら気が変わって止めるかもしれないですし」


「……っっ!」


 マグルスは拷問をすること自体が目的になっている。これでは全て話したところで止まらない。


 昨夜のような爪を剥ぐだけという簡単な拷問では無いのだ。もし全てを話切ったなら、この男はシンヤの心が死ぬまで続けるのだろう。


 今日さえ、乗り越える事が出来たのなら、クシュナの助けで脱出が出来る。


 それだけがシンヤの希望だ。


 だから、ここは話すべきではない。


 アウラもそれがわかっているからこそ話かけてこないのだ。


 折れかけた心を噛み殺し、マグルスを睨み付けた。


「……死ね」


「これはこれは手厳しい……でも嬉しいですね。昨日みたいにぺらぺらと喋られたら、楽しむ時間が減ってしまいますからね……」

 

「っつ!! ぎゃぁぁぁああぁああっ!」


 また金槌がおとされる。


 聞かれた質問に答えても、答えなくても同じなのであれば、どうやってもこの拷問は終わらない。


 素直に話しても、罵っても、命乞いをしても、たとえ媚びへつらったとしても変わらないのだ。


 気づけばいつの間にか、指輪をしている右手の人差し指以外の全てが潰れ、膝から下の感覚もなくなっている。


 腕も潰れ、足も潰れ、全身が神経になってしまったのではないかという程の激痛が脳へと伝えられていた。


 このまま続けていれば、シンヤの身体よりも先に心が死んでしまう。


「もう潰すところが無いですし、このままだと死んでしまいますね。リネット……治してあげてください」


「はい……」


「……あ、ああ、あ」


 リネットは最高位の治癒魔法を使う。


 欠損部位すら再生させるその魔力は、砕けた骨を治し、裂けた皮膚をつなぎ合わせる。無くなっていく痛みに、消えかけていたシンヤの意識が再度浮上した。


「……」


 マグルスが拷問器具の入れ替えの為に後ろを向いている間に、リネットは両手を患部に当て治癒する。


 シンヤは朦朧とする意識の中、彼女の手が震え、泣きそうな表情のその瞳に僅かな光が宿っているのを見た。 


「さて、続きを始めましょう……」


 身体の傷が全て癒えると、マグルスは別の器具を持ち出しシンヤへと近づいてくる。霞んでいた眼には、この地獄が終わらない事を示すように狂人の笑顔が移っていた。


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