2章-4話 空からの少女

 湖畔の村を出て七日。シンヤ達は地図を見ながら野営地を渡り海岸に出た。


 シンヤの記憶にある地球の海岸と、そう変りない光景が視界の先に広がっている。違いがあるとすれば、白い砂浜にかつてを思わせる船の残骸が転がっていることだろう。


「そうだよな。今はそうそう漁なんかできなくなってるんだよな」


「ああ、この辺りは昔から漁業が盛んだったんだ。この砂浜を少し南に行けば、いくつか漁村がある。……今は捨てられているがな」


「そっか……」


 シンヤはリュートから説明を受けると、砂浜を駆け静かに打ち寄せる波に近寄る。そして、おもむろにその水をすくうと口元に近づけ舐めてみた。


「しょっぱい。海も地球と同じなのか」


『生命が生まれる条件は、ほとんど変わらぬ。それが異世界だろうがの』


「アウラはたまに不思議なこと言うよな。地球を見たことあるような言い方をしてるぞ」


『そうじゃな。お主と意識を繫げておるからかもしれん……』


 生きる生物は違っても、たとえ魔法があろうとも、自然環境に大きな違いは見られない。今日までに見た森や草原、湖に海、そのどれもがシンヤの見知った物に近いのだ。


「シンヤ~。行くよ~っ」


 シンヤが不思議な違和感を感じて空を眺めていると、クロエの呼ぶ声が聞こえた。


「今行くよっ」


『勘違いするなよシンヤ。ここは地球ではない。油断すれば、お主なぞ、すぐに死んでしまうことを忘れるでないぞ』


「ああ、わかってる」


 先を歩く三人に追いつくために砂浜を走る。アウラに諭されるまでもなく、シンヤにはこの世界の不条理が理解できているのだ。ただ少しだけ、ほんの少し、感傷に浸る時間が欲しかっただけなのかもしれない。




「そういえばなんだけど」


「どうかしたか、上野木シンヤ」


「……そろそろフルネームで呼ぶの、やめてくれると助かるんだけど」


 クロエ達に追いついたシンヤはその歩調を合わせると、ノエルの隣に並び声をかける。


 天界で出会った当初からフルネームで呼ばれ続けていたが、さすがにむずがゆいので、この機会に言っておくことにしたのだ。


「ふむ。そうだな、では上野木と呼ぶとしよう。……それで他にも話があるのではないのか?」


「別に大した事じゃないんだけど。あの森で、魔族にリュートは死んだって聞かされてたんだ。あの時なにあったのか知りたくて、もしかしてノエルが助けてくれたのか?」


 森での襲撃から数日たっていて、ゆっくり話をする時間もなく、シンヤ達の状況は説明したのだが、聞いていないことも多々あるのだ。


「わたしも聞きたい。兄さんに聞いても教えてくれないんです」


「クロエっ!」


 ノエルと話していたのだが、前を歩くクロエも話に混じってくると、リュートが少し焦るように声を上げた。


「あの村でシンヤを逃がした後、森に入った私は瀕死のリュートを見つけた」


「天使殿までっ!!」


 淡々と説明を始めるノエルに、リュートがさらに声を大きくする。自身が不覚をとった話を妹にされるのが嫌なのだろう。


「事実を話すだけ、問題はないだろう?」


「そうですが……」


「なら良いだろう。……その時の傷はひどいもので致命傷と呼ぶほどではなかったが、危険な状態だった。なにせ左肩から胸にかけて切り裂かれていたのだからな」


「兄さんっ!? 軽傷だったって言ってたよね」


 いくら助かったとはいえ、女魔族が言ったように、死んでいてもおかしくない状況だった。そう聞いて足を止めたクロエの顔から、一気に血の気が引いていく。


「天使殿が治してくれたから支障はない」


「自身で簡単な手当はしていたようだったが、見つけてすぐに治療をほどこした。だが、何分神力が足りなく完治させるには至らなかった。そのため、君達と同じように木の洞に隠れてやり過ごしたのだ。攻撃していない屍人は私を認識できない。だから、彼を奥に入れて、私が蓋になっていたのだよ」


「天使殿が来なかったら流石に持たなかっただろうな」


「とは言え、私が見つけるまで襲い来る屍人を、短剣のみで捌いていたのだ。驚異的な精神力と言える」


「すごいな……」


 ノエルがリュートを見つけるまでの数時間、動けなくなるほどの傷を負いながら、自分で止血をして、短剣一本で切り抜けたというのだ。シンヤもその状況を想像して感嘆の声を漏らす。


「わたし兄さんが死んでしまったかと思ったんだからね」


「大丈夫だ。俺は何があってもお前を残して死んだりはしない」


「うん……」


 泣きそうな顔のクロエの頭に、リュートは優しく手を置いて、ゆっくりと撫でる。


「……あの女魔族は強かった。欠片の保持者というのは全員あそこ迄強い物なのか? アウラは何か知っているのだろう?」


『少しだけじゃがの。前にもシンヤに話させたが……あれは邪神の欠片、神の力の結晶じゃ。その身に宿すことが出来れば、肉体のみならず魔力も増大する……。欠片を宿す者はその全てが規格外の存在になる』


「……いくつあるんだよ。その欠片って」


 何度も話に出てきた邪神、その欠片がこの世界にいくつあり、魔族がいくつ所有しているのか。その数によってはこの先のシンヤ達の活動に大いに影響をもたらすだろう。


『わからん。じゃが、氷を砕けば四散する数はかなりの数になるじゃろう? それと同じで数十かもしれんし数百かもしれん。もしかしたら……数千かもしれん』


「あんな奴らがそんなにいたら、絶対に勝てないだろ」


『安心せい。先も言ったが適合する者はそう多くないはずなのじゃ。せいぜい数万人に一人といったところかの』


「でも、もう二体も欠片の魔族に会ってるよ。」


 帝都で一度、村の襲撃に一度、シンヤ達は襲われている。それを考えればかなりの人数、適合した魔族がいるのではないか? クロエでなくとも、そう考えるだろう。


「いや、その指輪の言うように、神の欠片を宿せる適合者などそういないだろう。もし、何らかの方法で適合者を増やしているのならば別なのだろうがな」


『話しかけるなと言ったじゃろうがっ』


 ノエルが説明の後押しをするが、アウラはその言葉にすら噛みつくように声を荒げる。


「アウラ。いちいち突っかかるなよ。まるで子供みたいだぞ」


『ふんっ……』


 怒るアウラにシンヤは呆れた声で話かけると、彼女は鼻を鳴らすように返事をして黙り込んでしまった。


「あ~っ! ノエルだ~っ」


「嘘だろっ?」


 唐突に空から声が降ってきて、シンヤは空上げる。帝都でも同じようなことがあり、また魔族の襲撃ではないかと、顔を強張らせ驚きの声を上げた。


 逆光ではっきりとは見えないが、その姿は魔族のそれと違い。小柄な少女の姿に見えた。


「クシュナかっ!」


「やっと見つけたぁっ」


 身構えるシンヤ達をよそに、空から急降下してきた少女は、両手を広げるとノエルの腰に抱きついてきたのだった。


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