死んだ異世界の救い方~屍人の溢れる世界に来ましたが、弱いままのおれは死ぬ気で生き抜く~

常畑 優次郎

1章-1話 魂の選別

 目の前の惨状に思考が追いつかない。


 平和な現代日本で生まれた上野木かみのぎシンヤにとって、眼前で繰り広げられている『死』は、見たことがない。


 人の死を見たことがないのではなく、身近な者の凄惨な『死』。


 それを見る事が初めてなのだ。



 視線の先には、シンヤに良くしてくれた村の知人達が、無惨にも殺されていく光景が広がっている。


 薄暗い村の中、わずかな月明かりで見えるのは、あまりにも残酷な現実。



 陽気に将来の夢を聞かせてくれた男が、腹を裂かれ、中身をひきずり出され、その隣では、悲鳴を上げる男の伴侶が、四肢から食われている。


 視線を少し動かすと、知識のないシンヤに色々と教えてくれた学者が、首のない姿となって横たわっているのが見えた。


 少ない食材を分け与えてくれた村のリーダーは、数人を引き連れ、襲い来る『死』の只中に飛び込んでいく。


 幼い子供達を逃がす為に、時間を稼ごうというのだ。


 おそらく彼らは一人として戻れないだろう。


 今この場で、『死』に抗うことのできるものはいないのだから。





 胃液の逆流が、苦い痛みと共に目の前の惨状を、現実だと教えてくれている。


 あまりにもひどい状況に放心し、立ち竦んでいると、ふいに肩を引かれた。


「なにをしているっ! 死にたいのかっ!?」


 振り返ると、この村の人々よりも、少しばかり早く知り合った男がいる。


「っ……! あんた、なんとかしろよっ、あんたならできるんだろ? 助けろよっ!」


 貪りむさぼり食われている知人達の次は自分であろうことも理解しているが、言わずにはいられない。


「……すまない。今の私には、ここの人達を助けることは出来ない」


「なんでだよっ! あんた天使なんだろっ」


 心底申し訳ないという顔で男は言う。そんな彼にシンヤは掴みかかる勢いで詰め寄った。


「あいつらを殺すには力が足りない。……今はここから逃げることを考えるべきだ」


 話をしている間にも『死』が近づいてくる――。


 



   ◆     ◆     ◆





 上野木シンヤはサラリーマンである。


 短く整えられた髪に平凡な容姿、若干たれ目気味なのは本人が気にしている特徴だ。


 身長は170中くらいで、多少鍛えているのか身体は引き締まっている。



 休みの前だというのに、運悪く課長から残業を言い渡され、終わったのは定時から4時間以上が過ぎた夜の十時だった。


 時間も時間なので飲みにもいけず、好きなアニメでも見て過ごそうと思い、UTAYAで新作のDVDを借りに向かうのだ。


 UTAYAに向かう道は自宅から徒歩でほんの数分、一度自宅に帰り身軽な服に着替え、歩きなれた道を歩み始めた。


 もうすぐ日付も変わる時分。


 外を歩いている人は誰もおらず、月明りと街燈だけが道を照らしている。


 少し肌寒くなってきているせいか、ジャケットの襟を両手で抑え、足早に目的地へと向かう。



 人にぶつかったと感じたのはUTAYAまでほんの数十メートルだっただろうか、いつもの道を進み、いつもと同じ角を曲がり、もうすぐだと小走りで顔を上げた時だ。


 衝撃は軽いもので、半歩後ろに下がる程度だった。 


 いくら深夜帯とはいえ、街燈もある、月も出ている、目の前に誰かが近づいていればさすがに気づくだろう。


 おかしな話だが、誰かにぶつかったと感じるまで、まったく気付くことができなかったのだ。


「…っ!」


 ぶつかってきた誰かに文句を言おうと口を開くが、なぜか声がでない。

 

 不意に激痛が走り、痛みの元を探し視線を下げる。そこには真っ赤な染みと、自分の腹にあるはずのない異物が見えた。


 異物から血が滴り流れ落ちてくる。


 あまりの痛みに、その場で倒れ伏し傷口を抑えるが、地面に染み込む血は多くなるばかりだった。


 出てはいけないほどの血液を見て、これは死ぬだろうと、激痛を感じる意識とは別の冷静な自分が悟る。



 周囲に人はおらず、ぶつかってきたであろう人すらもいない。


 数秒、あるいは数分、あまりの痛みに声にならない声をあげていると、徐々に痛みも感じなくなっていく。


 最後に頭をよぎったのは、残業を宣告してきた課長だった。


 あのハゲのせいだな、きっと……。


 そう思ったのを最後に、シンヤの意識は闇の中に沈んでいった__。


  

 

   ◆     ◆     ◆




 次に意識が戻ったのは公園らしき場所だった。

 

 ゆっくりと辺りを見渡す。


 どこかで見たような場所なのだが、どうにも思い出せない。



 中心に砂場があり、端の方に滑り台とブランコがあるだけの小さな公園。


 周囲は柵で囲われ、柵の向こうは霧がかかっているのか、先を見ることができない。


 シンヤはそんな砂場の中央で、立ったまま目を覚ましたのだ。


 立ちながら寝ていたのかと不思議に思っていたが、ふと自分が刺されたことを思い出し、腹部をまさぐってみるが傷一つない。


「おれ、死んだんじゃ……」


 傷は無くなっているが、体感時間ではほんの数分前の痛みなのだ。それを思い出し一人呟く。


「キミは死んだよ」


 他に傷がないか身体を確認していると、目の前から声が聞こえる。


 顔を上げると、先程まで誰もいなかったはずの公園に一人の男が立っていた。


 一言で言うと冴えないサラリーマンだろうか。見た目は30代半ばで髪は短めにしており、青白く無表情な顔が、疲れているように見える。


 着崩したスーツに曲がったネクタイ、長いコートを羽織っていて、手には書類のような紙束を持っていた。


「えーっ……と。どちら様でしょう?」


 いきなり目の前に現れ、死んだと告げてきた男を見て、シンヤは訝しげに声をかける。


「ふむ、はじめまして上野木シンヤ君、そう警戒しなくてもいい、わたしの名前はノエル、キミ達の言うところの天使だ」


 男は少し思案するような動作をしたあと、自らの事をノエルと名乗った。


「天使、ですか……」


 天使と名乗った男に、シンヤはさらに懐疑の目を向ける。


「そう疑わなくてもいい、天使というのは本当の事だよ。……上野木シンヤ、24歳独身、東京で一人暮らし、職業は大手山建設の正社員、両親ともに他界、友人は……あまりいないみたいだね、自分から遠ざけていたのかな? 趣味は読書とゲーム、あとはたまの飲酒か」


「なっ……!」


 ノエルは手にした書類をパラパラとめくると、シンヤの情報をすらすらと並べる。言い当てられ言葉をなくすシンヤに、ノエルは目を細めるとさらに言葉を続けた。


「キミは死んだんだ、覚えていないかい? その腹を刺されたじゃあないか」


 そう言うとシンヤの腹に指を向ける。


 ノエルの指の先を目で追い、視線を下げると、先ほどまで何もなかったはずの腹部に血が滲み、零れ始めた。


「ぐぅっ……」


 不意に発生した激痛で、シンヤは立っていられず膝を折る。目を覚ます前まで感じていた死が、改めて身体に襲い掛かったのだ。


「あぁ、すまない」


 ノエルが指を鳴らすと、腹部の傷も服に付いた血の染みも、痛みすらも感じなくなった。


「な、にがっ……どうなって」


「本当に済まない、死ぬような痛みをまた与えてしまったね。……ここは天界、魂の選定所といえばいいのかな。死んだ魂の罪を選定する場所だ」


 唐突に終わった痛みに、理解が追いつかないでいたが、ノエルは話しを続ける。


「キミは腹部を刺されたことにより失血死した。ここにいるキミは魂が形作った姿、先ほどの傷は、現世で負った肉体の記憶を転写しただけだよ」


 ノエルの言葉を聞きながらも、痛みの残滓が残っているのか、シンヤは自分の腹をさすり続ける。


「自分が死んだということは理解してくれたと思うが、人間の魂には先がある。聞いたことはあるだろう? 輪廻転生という言葉を」


 そういうと言葉を切り、未だ膝をつくシンヤの手を取り立ち上がらせた。


「死した魂はその罪を選定され、落としきれない罪を、地獄と呼ばれる場所で贖わなくてはならない。罪を浄化された魂は、新たな命として現世に転生する。概ね現世にて伝わっている話と大差はないかな」


「じゃあ、おれは刺されて死んで、ここで地獄に行くか、転生するか判断されるってことか」


 ようやく自分の死に理解が及び、シンヤはゆっくりと息を吐く。


「その認識で間違いはない、さて今の現状を理解してくれたようだね。……上野木シンヤ、キミの魂を選定しよう」


 そういうとノエルは、手に持っていた紙束を目の前に差し出す。


「この紙にはキミの現世での行いが、全て記されている。善行、悪行、その差し引きが重さとなり、この天秤にかけられる。当然悪行に傾けば地獄へ、善行に傾けば転生することになる。さてキミはどちらかな?」


 先ほどまで何も持っていなかったもう片方の手に、天秤が握られていた。紙束を天秤の中心にある台に置くと光りだし、ノエルの手を離れ宙に浮いた。


「キミから見て左が悪行、右が善行、傾いた先がキミの魂の行く先だ」


 天秤はそれ自体が金色のものだったが、秤に乗せられている左右の皿は、シンヤから見て左が黒、右が白と色分けされていた。


 天秤から発せられていた光が収まると、秤が傾き始め、ゆっくりと白い皿が下がっていく。


「これって地獄に行かなくても良いってこと、でいいんですよね」


 天秤を凝視していたシンヤは、下がった方の皿を見て安堵したように言葉を吐いた。


「ふむ、安心してくれていい、キミの現世における罪は罰せられるほどのものではなかったようだ」


 ノエルは宙に浮く天秤と書類を手に取ると自身の懐にしまう。


「この後だが、ここから別の場所、天国に移動する。そこで転生の準備をすることになるのだが、わたしの担当はここまでになるので、迎えに来る別の天使に、詳しい話を聞いてくれればいい」


「天国への道って、担当制なんですか?」


 自分の役目は終わったと踵を返すノエルを、シンヤは質問して引き留めた。


「そうだ。わたしはこの選定所にて魂を選定する役目を仰せつかっている。特に今は人員不足でね。この場所は現在わたし一人の管轄だ」


「そっか、大変なんですね、天使ってのも……、おわっ!」


 シンヤが話をしている最中、いきなりの振動。二人の立っている公園に大きな揺れが起こり、シンヤは立っていることができず、地面に尻を打つ。


「……っっ!」


 ノエルも地面に手をつき、揺れに戸惑っているようだ。


「お、おいノエルさん、天使の世界にも地震とかってあるのかよっ」


 揺れは続いており立ち上がることもできず、敬語すら忘れてノエルに声を投げかける。


「いや、天界にはそもそも地殻などない、地震などあるはずが……」


 言いかけるノエルの目の前に黒い点が発生した。次の瞬間にはぐるぐると周囲を飲み込みながら黒い影が広がっていく。


「っ……、次元の扉だとっ!?」


 近くにいたノエルは、驚愕のあまり抵抗も出来ず飲まれてしまう。


「ノエルさんっ! ……うわぁぁっ」


 影に飲まれてしまったノエルに声をかけるが、シンヤも数瞬遅くなっただけで、目を閉じる以外何も出来ないまま、黒い影にかき消された。


 二人を飲み込んだ影は、満足したのか逆再生をするかのように元の黒い点に戻り、消えた。


 後には静寂が辺りを包み、天界の公園ではブランコだけが、風もないのにゆらゆらと揺られていた。

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