君には敵わない
遠山李衣
君には敵わない
(夢じゃ、ないんだよな)
ハート型のチョコレートを噛み締めた。菜子らしい優しい味に自然と口元が緩む。
二月一四日。男なら――一部除いて――誰もが待ち望む聖なる日。義理ではあるものの、菜子から毎年もらっていた。だけど。
(手作り……。菜子からの初の本命……)
家に帰ったら、メッセージカードを額縁に入れなければ。
「……と! 隼!」
名を呼ぶ声に目を向けると、菜子が仁王立ちをしていた。大層お冠のようだ。
「どうしたの」
「どうしたの、じゃないよ! なんでさっきから黙ってるの! か、感想云ってくれないと、美味しいかわかんないじゃん!」
ぷんすか怒る菜子は、とにかく可愛かった。頬は紅色に染まり、つんと尖らせた唇は小さくて、さくらんぼのように甘そうだ。今すぐにでも口づけたくなる。
「隼! 聞いてるの?」
口づけたくなる衝動を抑え、口元から目を逸らし、ハッとする。問いかける菜子の眸は揺れていて、怒り口調の中に不安を隠していることに気づいてしまった。
(俺が全部食べたら美味しい証拠って、朱里紗辺りならすぐわかりそうだけど)
俺の前にいるのは、菜子なのだ。鈍い菜子には、ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらない。俺の気持ちに気づかず、九条さんと付き合っているって思いこんでいたくらいなのだから。
「美味しいよ、ありがとう」
「ほんとっ?」
安心させるように云うと、思いがけず菜子が飛び込んできた。小さい身体を支えるぐらいじゃびくともしないから平気だけど。
(違う意味で、平気じゃない)
菜子は、記憶にあるよりもずっと柔らかくて、いい匂いで、ずっと可愛かった。
「よかった……」
俺の感想にホッとしたように、菜子は弛緩する。密着度が上がり、菜子が女性であることを否応なく思い知らされた。
「隼?」
菜子が不思議そうに顔を上げる。とてつもなく可愛い。普段から可愛いのは知っているけれど、この至近距離。破壊力は抜群だった。
「ごめん菜子、俺、我慢できない」
「ふぇっ?」
返事を待たずに、噛みつくようにキスをする。一瞬身体を強張らせたものの、やがて応えるように拙くも受け入れてくれた。ふと彼女を見ると、肩で息をし、眸を涙で潤ましていた。そこに、嫌悪の色はなかった。むしろ、俺の首に回そうと細腕を伸ばしてくれる。
(やばい、止まんないかも)
今いるのが家の近くの公園であることも、学校帰りであることも、信頼しつつも目を光らせる彼女の両親のことも、数分前に想いが通じ合ったばかりで先に進むのが早すぎることも、全て頭の中から消え失せていた。今にも完全にタガを外し、暴走しようとしたその時。
「コーン!」
「いてっ!」
軽い音がし、俺の脳天に衝撃が走った。見ると、すぐそばにコーンポタージュの空き缶がひしゃげて落ちていた。
「隼、性急すぎるよ」
投球フォームのままの朱里紗が公園の入り口にいた。そこから空き缶を投げたようだ。コントロールが良すぎやしないか。
「朱里紗!」
菜子が腕から飛び出し、朱里紗に勢いよく抱き着く。朱里紗は女性で、菜子の親友。わかっていても、苦い顔をせずにはいられなかった。
「菜子、チョコ渡せたんだね。よかった」
朱里紗は俺に対して勝ち誇ったような表情を面に浮かべ、一転菜子に優しく微笑んだ。
「うん!」
「もっと詳しく聞きたい。今からウチに来なよ」
「行く!」
あっという間に菜子を朱里紗にとられてしまった。
「隼、どうしたの? 行かないの?」
「ああ、行くよ」
速足でふたりに追いつく。三人で帰るいつもの通学路。でも、昨日とは違う関係性。
一人で恋愛をしているわけじゃない。両想いといっても、想う気持ちは俺の方が強い。菜子の気持ちが追いつくまで、忍耐強く待たなくては。
「ねえ、菜子。今隼とキスしてたよね。初キスはどんな味だった?」
「ゴホッゴホッ」
朱里紗からの質問に思わず咳込む。菜子も顔を真っ赤にしていたけれど、やがて小さく、でもはっきりと答えた。
「……チョコレートの味」
自分でも顔が真っ赤に染まるのがわかった。
菜子には敵わない。
――終わり――
君には敵わない 遠山李衣 @Toyamarii
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