手を取り合った頃
第43話 夜明けの先で
その日、レットモルの城に激震が走った。
夜の番の騎士達が眠っていたと顔面蒼白になった事から始まり、王子の部屋近くの廊下や窓は壊れ、王子と王女の無事を確認しようと二人の元に従者達が駆け付ければ二人揃って右目が無くなっていると言う事実。
「ただの喧嘩だ」
「爽快な朝ね!」
と、キアローナ姉弟それぞれが適当についた冗談が従者や騎士達の耳に入るわけもなく。
城が叫び声で揺れた。
正に。比喩ではなく。上から下まで揺れた。それはそれは激しく揺れた。
叫び声を上げた従者達の間には電光石火で情報が流れ、騎士達は卒倒する者やその場で短剣を自分の首に向ける者が現れる始末。自分達を置いて叫び回る者達を見る姉弟は遠い目をして朝日を拝んでいた。
「……王と王妃が帰られるのはいつでしたっけ」
「……今日でーす」
キアローナ姉弟の頭の中には、今日一日が無事に終わらないと言う回答が弾き出された。
――激震が走ったのは城だけではない。
城とは反対側にある赤いサーカス団のテント。
団員達は右目を無くしたガラと、同じように右目に布を巻いているリオリスを見て思考停止し、声が出せなくなっているレキナリスに唖然とする。
ミールは黙ってイセルブルーを入れた小瓶を揺らし、クラウンは堂々と腕を組んで言い放った。
「ごめん!!」
瞬間、テント内に絶叫が響く。
悲鳴が照明器具を揺らして団員達は朝食そっちのけで頭を抱えた。ロマキッソは鼓膜が破られそうな叫び声に気絶し、クラウンは少年を抱き留めた。
テントの中が上へ下への大騒ぎになり、ガラは深くため息を吐いている。リオリスとレキナリスは気まずそうに視線を明後日の方に向け、団長はその頭に拳骨を入れておいた。
「いッ」
肩を竦めたリオリスと両手で頭を覆ったレキナリス。ガラは二人を見下ろし、パラメル達も静かに彼を見上げていた。
「説明、出来るな?」
リオリスとレキナリスは視線を合わせて小さく頷く。ガラはレキナリスに紙とペンを渡してやり、騒ぎの中心に引きずられていったミールの為に動き出した。
全身を沸騰させているピクナル・ドール。演目用のクラブを持ち出した花形の動向をミールは黙って観察していた。
「貴方はアスだけじゃなく、リオの、団長の目をッ!!」
正しく煮え
レキナリスは素早くミールの前に糸の盾を作り、ガラは遮熱性の布を広げた。
ピクナルは目を見開いて体を布に包まれる。ガラは包んだピクナルを抱き締め、落ち着かせる為に背中を叩いてやった。
「ナル、落ち着け。ミールに手を出しても解決しない」
「だん、ちょ……」
沸騰しているピクナルは唇を震わせる。布に包まれた彼女を誰も見ることは出来ないが、クラブが落ちた音はテント内に落ち着きを取り戻させるきっかけとなった。
夜明け前にミールから話を聞いていたベレスは、転がったクラブを持ち上げる。布を下ろしたピクナルは潤んだ目元を擦り、ガラの腕から後ずさった。
「……ベレス、ごめんなさい。貴方達の商売道具で」
「いんや~、良いさ良いさ。で、落ち着いたかい? 我等が花形様や~」
ベレスは軽くジャグリングしながらピクナルに笑う。花形は少しだけ道化師を見上げ、微笑みを浮かべた。
クラウンは見る。ベレスのジャグリングが一瞬乱れたことを。それに花形が気づかないことを。
静かになってきたテントでロマキッソは目を覚まし、自分に膝枕をしていたクラウンに驚いていた。
「おはようロマ。起き抜けに申し訳ないけど、リオとレキからのお話を聞いてやってくれるかな?」
ロマキッソは首を傾げ、耳を握りながら頷いておく。クラウンは肩を竦めて、全員の視線を集めたパラメル達の言葉を聞くのだ。
* * *
リオリスとレキナリスは何も隠さずに話をした。
自分達の種族のこと。団員の記憶を食べたことがあること。イセルブルーの事件を起こしたのがリオリスであること。それがレキナリスの心臓を治したかったからであること。昨日の夜に起こったことも全て、全て。
団員達は始終黙って話を聞いていた。話し終えたリオリスと筆談での補助を終えたレキナリスは、今後の自分達については何も考えていなかった。
もう信用されないだろう。この場所にいられなくだってなるだろう。王と王妃が戻れば謁見にも行き、きっと何かしらの罰が下る。
二人はそれを受け入れていた。
そして、最初に下ったのは団員達からの拳骨だった。
一人一人に力の限り頭を殴られ、叩かれ、深いため息を吐かれてしまう。
リオリスもレキナリスもそれを避けることはせず、痛んだ頭に文句は無かった。
「リオは悪い子!」
「とっても悪い子!」
アイロスの双子、フィカとリューンがリオリスの前で腕を組む。リオリスはそれに何も言わず、双子の尾は少年の手を叩いていた。
「相談しなかった悪い子だね」
「どうして話してくれなかったのさぁ」
仕方が無さそうに、子どもを
「私達は家族だよ。分け合う家族だよ」
「家族はね、痛いも悲しいも、困ったも受け止められるんだよ」
フィカはレキナリスを抱き締める。リューンはリオリスを抱き締める。自分達の腰に抱き着いた双子を見て、緑の二人は目を見開いてしまった。
黄金の瞳が団員達に向かう。
団員達の手が、心底仕方が無さそうに二人を包んでいく。
「一人で抱えすぎよ、リオ」
ピクナルはリオリスの頬に温まる掌で触れて。
「苦しかったなぁ、レキ」
ベレスはレキナリスの髪を
「優しい策士さん」
「頑固なお子様」
ズィーとタンカンは歌うように寄り添って。
「必死だったのね」
バレバッドは鼓舞するようにそれぞれの胸を叩き。
「……リオ、レキ」
ロマキッソは二人と手を繋ぐ。少しだけ震える彼らしく。耳を今日も垂れさせて。
二人の体が冷えないように。二度と冷えてしまわないように。
団員達は二人を想って言葉を、熱を、想いを寄せる。リオリスの呼吸は早くなっていき、レキナリスは奥歯を噛み締めていた。
「もっと叱ってよ。もっと責めてよ。なんで、優しくするんだよ……ッ」
左胸を掻き毟るリオリスの視界が滲んでしまう。左目しかない少年の背中を、バーキュオンは労わる温度で叩いてやった。
レキナリスは顔を片手で覆い、
「繭から飛び出せたな」
黄金の両目をレキナリスは見開いてしまう。灯は青年の背中を摩り、ロマキッソは二人の手を離しはしないのだ。
「顔を上げられるか、二人共」
静かなガラの声にリオリスとレキナリスは顔を上げる。他の団員達も顔を上げ、ガラは二人の前に歩み寄った。
ガラの目はリオリスに向く。少年は指先を痙攣させながらも真っすぐ団長を見つめ返していた。
「お前がしたことは責められるべきことだ。大切な王子や家族を裏切った行為なのだから。例え王子が許すとおっしゃられても、お前は許されてはいけない」
低く言い聞かせるガラの声にリオリスは何も言い返さない。
団長の赤い左目はレキナリスに向き、青年は背筋を伸ばして自立した。
「どれだけ考え抜いた道であっても、自分で死を選ぶことなど俺は許せないよ。アスライトのように新たな歩みの為ではなく、懺悔の為の死なんてな」
レキナリスは暫し口を結び、悲痛な表情で首を縦に振る。
ロマキッソはガラを見て静かに二人から手を離し、団長は唇を震えさせた。
「それでも、お前達が俺の家族であることに変わりはない」
大きく腕を広げたガラは言う。
レキナリスとリオリスの首に温かさが回る。
団長は、団員達を抱き締めた。
しっかりと。力強く。離してしまわないように。消えさせてしまわないように。
悔しさに濡れた言葉を二人に伝える為に。
「気づいてやれなくて――すまなかった」
ガラの両手が緑の頭を支え、優しく、慈しむ温度で撫でるから。
リオリスの涙腺が決壊してしまう。
レキナリスは出せない嗚咽に唇を震えさせてしまう。
恐る恐る、震える手でガラの背に手を回した二人は縋るように泣いた。苦しくて泣いた。しんどくて泣いた。
ガラは二人の涙を受け止める。苦しくて堪らなかった二人に気付けないで、何が団長だと自分を叱責しながら。
ガラは自分の弱さを恥じてしまう。リオリスのことも、レキナリスのことも、アスライトのことも。気づいて見守っていたのはミールなのだから。
――苦しまなくて良いと、頑張らなくて良いと、大人が決めるのは狡いじゃないか
ミールの言葉がガラの脳裏に蘇る。
(大人は狡いもんさ)
団長は奥歯を噛んで二人を抱き締め続ける。
ミールはその姿を見つめ、クラウンの背中を押していた。
「副団長?」
「お前は行くべきだ」
「なら副団長もだね」
クラウンはミールの手を取って穏やかに歩き出す。副団長は一瞬手を振りほどこうとも考えたが、思いとどまっておくことにした。
「私はまた止めなかった、愚かな大人だよ」
「私達を信じてくれた、優しい大人さ」
ミールの言葉をクラウンは笑う。それに副団長は息を呑み、フードを目深に被ってしまうのだ。
「いや、我儘を聞かされた、振り回されるばかりの大人かな?」
笑い続けるクラウンはミールの手を離さない。黒い副団長は嘴を閉じ、呆れたように笑ってしまった。
「いつでも、家族の為なら振り回されてやろう」
「やったね」
リオリスとレキナリスを離したガラは振り返る。近づくクラウンとミールを団員達は小突き、仕方が無さそうに笑っていた。黒い肩に留まったメーラは気苦労が絶えない副団長を労わり、ロマキッソはクラウンの腕を取りに行く。
リオリスはその光景を見ながらガラに聞いていた。
「団長……俺達これから」
「ここにいろ」
リオリスの言葉を遮り、ガラは緑の頭を乱すように撫でておく。少年は唇を結び、団長はレキナリスの頭も撫でていた。
「お前達の家はここだ」
そう言ってガラは笑う。パラメルの二人は顔を歪め、団長は泣き跡を可笑しそうに拭ってやった。
それから団長は手を勢いよく叩き、テントに響く声を上げた。
「おら、全員朝飯食ってザルドクス王とフィラム王妃の凱旋パレード準備にかかれ! お二人共昼前にはお戻りになられる予定だ!! そのあと俺はミールと頭下げてくっからベレス! メーラ! 午後以降はお前ら指示だしな!!」
「団長! 私も頭下げに行く! 付き人失格ですごめんなさい!! 土下座だ土下座!」
「却下ぁ!! 子どもが土下座なんてしなくていい!! 土下座は俺がする!! 許される気なんて毛頭ねぇがな!!」
「なら全員でしに行くに一票!」
「もう一票! これはサーカス団総出で謝るべし!!」
「くぉらフィカ! リューン!!」
一気に騒がしくなるテント内。レキナリスとリオリスは唖然とその光景を見つめ、クラウンとミールは緑の頭を叩いていた。
「全員で土下座だな」
「どんな感じで怒られるかなあ。サーカス団の活動停止? 国外追放? 数年間の無収入労働? レットモルでそんな罰だの何だの聞いたことないから未知だよねー!」
「いや、なんで、俺達だけで」
「リオはもう黙っときなさい、お口チャック!!」
クラウンはリオリスに平手を入れて黙らせる。レキナリスは肩を引き攣らせ、ミールはため息を吐いていた。
リオリスは頬を押さえ、煮え切らない顔でクラウンを見つめていた。
「クラウンは、良いの」
様々な意味合いを込めた問い。
リオリスの黄金の左目は、仮面の奥の青い左目を凝視した。
「良いよ」
だからクラウンも多くの意味を込めた答えを返す。
青い瞳は揺ぎ無く、揺らいだのは黄金の方だ。
リオリスは口を結び、勢いよくクラウンに背中を叩かれてしまう。
そのまま道化師と副団長は朝食の席に向かい、レキナリスは深呼吸した。
青年の心臓は正しい早さを刻んでいる。もう早まることも、遅れることもない心臓だ。
それは隣に立つリオリスの右目と誓いの結果。
〈ご飯、食べようか。リオ〉
「……そうだね――レキ」
二人は遅れながら歩き出す。集まり騒ぐ団員達の元へ。
リオリスの誓いをレキナリスは受け入れて。その距離にまだ慣れないまま。
――俺は、レキナリスの弟をやめる
それは月光の元で立てられた自分への誓い。縋り続けた自分への戒め。
弟と言う立場を手放したリオリスは、レキナリスに手を引かれることは無くなった。
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