第25話 先を進むのはどちらかな

 

「ロマ、ロマキッソ、って……」


 クラウンがテントに戻ると、そこでは荷づくりが行われていた。


「よぉ、クラウン」


「ベレス先輩、次の貿易って三日後じゃなかった?」


「その予定だったが、団長が鬼才国に寄ってから行こうって話をしてくれたんだぜぇ。仮面にひびが入った、どっかのお転婆道化師の為にな」


 ベレスの長い指がクラウンの額を叩く。からかうような指先にクラウンは一瞬黙り、軽い調子で頭を掻いて見せた。


「まっじか~! 団長そういう所ほんと格好いいよね!! でもなんか申し訳ねぇ~!!」


「急につなんざ日常茶飯事だろ~、ほれ、さっさと団長に挨拶して荷物纏めてきなぁ」


「あいあい!」


 クラウンは敬礼し、ベレスとハイタッチしてから団長の元へ駆けて行く。


 その心中は、全く穏やかではないのだが。


 クラウンは本心など感じさせない態度でガラの部屋へ飛び込んだ。


「団長!」


「クラウン、悪いな急に」


「いやいや! ベレス先輩から聞いたよ! こっちこそごめんなさい」


 下げられたクラウンの頭をガラは撫でる。道化師はその温かさに息を吐き、ひび割れた顔を上げたのだ。


「じゃあ、また暫くリオリスとレキナリスに留守を頼まないとね〜」


「あぁ。今回の留守はレキナリスとミールだけどな」


「え、なんで!?」


 クラウンは素っ頓狂な声を上げ、オーバーリアクションさえ忘れてしまう。ガラは目元に笑い皺を浮かべ、道化の頭を叩くように撫でていた。


「その仮面を割ったの、聞けばリオリスらしいな。アイツが弁償したいからってミールと留守を代わってもらったらしい」


「えぇ……別にいいって言ったのに。デザート貰ったし……それに副団長いなくて裏方回るの?」


「まぁまぁ、リオリスが買いたいって言ってんだからそうさせてやれよ。それに裏は大丈夫だろ、あのミールが育ててる裏方衆なんだからな」


「そーだけどー……」


 クラウンは少しだけ駄々を捏ねそうになり、止めた。


 リオリスがサーカス団と移動をするならば、相談をする機会が出来ると思ったからだ。


 今の仮定でいけば、事件を起こした犯人は団員の誰かである。


 クラウンの中では、ミールとレキナリスは白だった。


 まずミールについて。彼はクラウンにヒントを与え、声を荒らげ、かつては導きもしてくれた副団長だ。そのようなこと、犯人ならばしないと道化は考えている。贔屓目で見てしまっているのはクラウンも無意識のことだろう。


 次にレキナリスであるが、彼は事件があった日テントで寝込んでいた。クラウンにはその記憶が確かにあり、ピクナルとベレスと共に看病していたのも覚えている。


 その二人がレットモルに残って夜警をするならば、安全だろうとクラウンは踏んでいた。付き人はいなくなるが、犯人が動いているかもしれないと分かった以上ロシュラニオンも警戒の濃度が上がっている。


「……付き人不在なら、あの子も伸び伸び出来るかなぁ」


「おーおーそうだそうだ。王子ももう直ぐ十八歳になるし、お前だって道化として順調だ。久しぶりにリオリスのアートがレットモル以外で見られたら、お客さんも湧いてくれるだろうしな」


 ガラは荷物を箱に詰めて重ねている。クラウンはその作業を見つめ、軽く言葉を並べるのだ。


「そうだね、リオのアート楽しみだしー、買ってくれるって言うなら良い仮面強請ねだってやるぜ!!」


「リオリスも可哀想に」


「なんでさー!」


「いいや、なんでも。つかクラウン。お前も荷づくりしちまえよ。鬼才国には朝イチで出るぞ」


「あいあい団長!!」


 クラウンは軽やかな足取りでガラから離れようとする。


 団長は道化の背中を見つめ、柔らかく笑っていた。


「綺麗になったな、アスライト」


 その声に、クラウンの足が止まってしまう。


「レットモルの外でくらい、踊り子をしてくれても良いんだぞ」


 ガラは荷物を撫で、まるで独り言のように零すのだ。


 道化は仮面を押さえ、独り言に答えている。


「そんな中途半端なこと、しないよ」


 そうして歩き出したクラウンは、ロマキッソを探した。振り返ってはいけないと自分に言い聞かせて。


 ガラは息を吐くと、青い少女を叱りつけた自分を思い出していた。


(……あの時、俺はお前を、抱き締めてやるべきだった)


 そんな大人の心を子どもは知らない。親代わりの想いに子どもは応えられない。


 深呼吸をしたクラウンは、ロマキッソを探す前に荷物をまとめていく。レットモルに立てているテントを畳むことは無い為、移動用の荷台に必要最低限の資材や道具を詰めていくのだ。


 クラウンはジャグリングやイリュージョンに必要な小道具や、カラフルな衣装をまとめていく。慣れた手つきで箱を部屋の隅に積んだ道化は、入口に立った白に気が付いた。


「ロマ」


「く、クラウン、どう? 荷物、まとまった?」


 立っているのは、両耳を握り締めているロマキッソ。クラウンは跳ねるように少年に近づき、入室するようジェスチャーしていた。


 ロマキッソは赤い瞳を揺らし、静かに扉を閉めている。


「準備は出来たよ。明日出発する準備も――君の話を聞く準備も」


 ロマキッソは目を見開いて口を結ぶ。


 クラウンはベッドに座って横を叩き、俯きがちの少年もゆっくり腰を下ろしていた。


 部屋の外では団員達の喋り声がしている。


 鬼才国に寄ったら常連の店に行こう。貿易の話も出来たらいいな。次に公演する国は寒いらしい。温かい衣装を持って行こうか。


 耳から手を離したロマキッソは、音を全て拾ってしまう。誰かの話し声。一人一人の足音。降り続ける雨音。既にレットモルから離れた雷鳴も、ロマキッソには聞こえてしまう。


「いいよ、ロマ。耳を塞いでて」


 クラウンは足を揺らしながら呟いている。


 ロマキッソに届いた言葉は穏やかで、だからこそ白い少年は――泣きたくなったのだ。


 白い耳を握り締め、背中を丸めたロマキッソ。彼の肩は小刻みに震え、クラウンが話を切り出すことはなかった。


 団員達の笑い声がする


 必要な道具を荷台に乗せていく声もする。


 本当ならばそれを手伝った方が良い時間。ロマキッソとクラウンは無言で過ごし、明日のことなど考えていないのだ。


 これから話すべきは過去のこと。終わってしまったこと。やり直せないこと。


「クラ、ウンは……イセルブルーの、犯人……誰か、分かった?」


 小刻みに揺れた声がクラウンに投げられる。


 道化師は玉乗りに顔を向け、頭を上げられない少年を見つめていた。


「誰かって特定は出来てない。ただ……団員の誰かだとは思ってる」


 ロマキッソの呼吸が早くなる。眩暈がしそうな少年は汗を浮かべ、喋る全てに自信がなさそうだ。


 クラウンはそれを責めない。促さない。焦らせない。そうしたところで良い結果にはならないと知っているからだ。


 また、雨の音がする。サーカス団内の天気読みによれば、明日の朝には雨も遠のく予想らしい。


 ロマキッソは肩で息をし、視界は滲んでしまうのだ。


「ごめん、ごめんなさい、ごめん、クラウン」


「……何がだい、ロマキッソ」


 クラウンの手が、静かにロマキッソの背に添えられる。


「僕、知ってた、知ってたんだ、誰が犯人か。誰が種を撒いたか。誰がアスライト達を襲って、誰が、ロシュラニオン様から記憶を奪ったか、知ってたんだッ」


 ロマキッソが両手で顔を覆う。


 下を向いたままの彼は、自分が口にする言葉を恐れ、自分の記憶を恐れ、聞いてしまった事実を恐れている。


 クラウンは口を結び、揺れる少年の背中を撫でたのだ。


「聞こえたんだ、あの城の中で。あの時、ニアさん達と一緒に、避難してる時」


 ロマキッソの両目から雫が流れていく。それは指の間を抜けて床にも落ち、彼は必死に目元を拭った。


 自分の泣き声がうるさい。自分の心音がうるさい。自分の言葉がうるさい。自分の呼吸がうるさい。


 自分が出す音全てを嫌悪して、ロマキッソは両手を握り合わせてしまう。祈るように指を組み、懺悔するようにこうべを垂れて。


「許すよ、ロマ」


 だから。


 その言葉で。


 その言葉だけで。


 ロマキッソの息が、出来てしまう。


「八年、抱えてきたんだろ?」


 ロマキッソの頬を大粒の涙が伝っていく。


「今日、勇気を出してくれたんだろ?」


 クラウンはロマキッソの髪をく。


 その指には、怒りも落胆も無いから。


 ロマキッソは顔を上げられる。


「それで十分だ」


 少年の胸に溜まっていた感情が、溶けていく。


 震えは続き、嗚咽おえつが零れ、涙が止まらなくても。


 許されると言う行為が、ロマキッソの肩の荷を下ろしていく。


 白い彼は、八年間沈黙を通してきた。


 青い彼女は、八年間自分を殺してきた。


 伝えたい相手に伝えられないまま成長した二人は、似ているのだ。


 黙り続ける苦しさを知っている。謝れない閉塞感を知っている。暴れる感情の熱さを知っている。


 俯くロマキッソは涙を何度も拭う。手の甲は濡れており、震える奥歯が音を立てた。


 クラウンは彼の頭に顔を寄せ、背中を一定のリズムで叩いてやる。


 ロマキッソとクラウンの年齢は一つしか違わない。年上なのはロマキッソであるが、引っ込み思案な彼は王子達と遊ぶと言うことをしなかった。


 ただいつも遠くから見つめて、話しかけることはなく、手を差し出されても取らないで。


 彼は怖かった。怖くて怖くて、いつも不安の中に立っていた。


 それでも今だけは、今日だけは、勇気を出せと奮い立たせて。


 もう、家族が傷つく声など聞きたくないと叫び出したくて。


 泣き続けるロマキッソは、クラウンの服の裾を握り締めた。


「クラウン、君はきっと、犯人を知ったら傷つくよ」


「いいよ」


「迷ってしまうかも、しれないよ」


「覚悟してる」


「もう、その人と、家族に戻れないかもしれないよ」


「――戻れないさ、きっと」


 クラウンの声は震えていない。


 家族の中に犯人がいると思った時から、クラウンは決めていた。


 どんな理由があろうとも、自分は犯人を許せない。例えそれが家族であっても。


 いいや、家族であるからこそ許せないのだと。


 許すつもりなど毛頭ないと。


 クラウンはロマキッソの背中を叩き、白い少年は奥歯を噛み締めた。


「あの、事件の時……ロシュラニオン様の部屋に、クラウン以外の、誰かが入る音を聞いたんだ」


 クラウンの肩に微かに力が入る。


 ロマキッソはその感覚に気が付きながら、言葉を止めることはしなかった。


「助けに行ったんだって思った。きっと、クラウンを――アスを手伝いに行ったんだって」


 ロマキッソの手に力が籠り、クラウンの衣装を握り締める。


 道化の手は止まっており、玉乗りの背中に添えられ続けていた。


「でも、あの時、出てきた足音は一人だった。アスが殴られたのも、ロシュラニオン様が驚いたのも、ちゃんと聞こえてた。二人を置いて、犯人は出て行ったんだ。駆け付けた時、アスもロシュラニオン様も、倒れたままだったからッ」


 ロマキッソが顔を上げる。


 クラウンは濡れた赤い瞳を見て、自分の脈が早まっていたとそこで知った。


「アスライト」


 ロマキッソの目がクラウンを射抜いている。


 少女は息を詰め、口を開く少年を見つめていた。


 誰だと頭の中で叫び、もう戻れないと知っていて。


 だからこそ。


 突如テント中に響いた甲高い音に、二人は殺気を放ってしまうのだ。


「クラウン!! いる!?」


 部屋に飛び込んできたのはピクナル・ドール。


 クラウンもロマキッソも彼女に殺気を向けてしまい、息を切らせた花形は肩を揺らした。


「な、なによ二人して!!」


「……ナル先輩、今すごーく大切な話をしてたわけだけど……さっきの音、なに?」


「ッ、大事な話でも後にして! 大変なのよ! クラウン、ロマも! 手を貸してちょうだい!!」


 ピクナルは体を微かに沸騰させる。クラウンは奥歯を噛み締め、ロマキッソは長い耳を立てていた。


「ッ、副団長」


 焦って立ち上がったロマキッソ。ピクナルは頷き、クラウンも反射的に立ち上がった。


「待って、副団長に何かあったの?」


 クラウンの指先が痙攣する。


 頭の中にはミールの姿が浮かび、ロマキッソの顔からは血の気が引いた。


「足場が崩れたのよ。照明器具を下ろしていたのに、ッ、今までこんなことなかった」


 ピクナルは顔を歪め、ステージに向かって走り出す。


 クラウンとロマキッソも走り出し、ステージに駆け上がった。


 そこには団員達が早急に鉄製の足場を退かしている姿があり、クラウンの全身から冷や汗が溢れた。


「クラウン! 手を貸して!!」


 叫んだリオリスに駆け寄り、クラウンは少年と共に足場を持ち上げる。


 照明器具を下ろす為に使用される足場は、作りがしっかりしている。その為重さもあり、荷の支度や戻って来た時の再設置でしか使用はされていない。


 それが崩れたことなど今までなかった。


 なかったからこそ全員が慌てた。


 ベレスは足場や照明器具をガラと共に投げるように退かし、クラウンとリオリスは足場を支えて持ち上げる。


 下敷きになっていたミールの額からは血が流れ、フィカとリューンが急いで引き摺り出していた。


「副団長!」


「起きて! 副団長!」


「おい、ミールッ!! しっかりしろ!」


 誰もがミールを囲い、アスライトの心臓が早くなる。


「副団長……」


 隣に立つリオリスの声は揺れ、クラウンは少年の手首を掴んでいた。


 それに驚いたリオリスは目を見開いてしまっている。


「リオリス、足場が崩れる時、見てた?」


「いや、見てないんだ……俺は暗幕の方を片付けてたから」


 リオリスは悔し気に眉を寄せてしまう。クラウンも奥歯を噛み、ミールの黒い四つの翼を見るのだ。


(……は?)


 クラウンの思考が停止する。


 彼女はミールの目が微かに開いたのを見て、駆け出した。


「副団長ッ」


「……くら、うん」


 ミールは翼を動かし、クラウンの頭を撫でる。黒い羽根を掴んだ道化は、副団長の瞳を見つめていた。


「……うらむ、だけ、では、だめだ」


 ミールの嘴が揺れる。


 気づいたクラウンは奥歯を噛み、ミールの翼を握り締めていた。

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