夏風とワンピース
クソクラエス
夏風とワンピース
車から降りると、そこには見慣れた夏の景色が広がっていた。
風にそよぐ青葉に、遠くに見える陽炎。どれをとっても思い出深い場所ではあるが、今年は少し違った。
「涼太、すぐおばあちゃんにあいさつに行くぞ」
運転席から降りてきた父がこっちに向かって言う。毎年この場所に来た時には必ず最初におばあちゃんにあいさつしに行く。
「お前もきちんとあいさつするんだぞ。もう小学生じゃないんだし」
父が僕の肩をポンポンと叩きながら言った。
僕はもう中学生なのだ。こんな田舎に来るのはかなりうんざりしていた。
「お邪魔します」
ギシギシ鳴る古びた扉を開ける。すると奥から腰の曲がった女性が出てきた。おばあちゃんである。
「あら、おかえり」
おばあちゃんはそう言うと、ヨタヨタ歩きながらスリッパを二つ出してくれた。
「あんまり綺麗じゃないけど……」
「そんな気を使わなくても……」
父はそう言って靴を脱いで上がり、僕もそれに続いた。
あいさつ自体はまるで毎年決まった台本があるのかというぐらい去年とさほど変わりはなく、とても退屈なものだった。
それが終わると、僕と父は自分たちの荷物を降ろしに車に戻った。
「涼太、いくらなんでもあいさつの時くらいは退屈そうな態度をとるんじゃない」
父は僕を睨んで叱った。
「……ごめんなさい」
それに僕は父の耳に届くかどうかくらいのとても小さな声で返した。
「よし。じゃあ夕飯まで好きにしていていいぞ」
荷下ろしが終わると、父は僕に向かってそう言った。
「わかった」
家にいても特にやることはない。僕は行く当てもなく、炎天下の外に出た。
ギラギラと太陽が照り付ける中、僕は村の中を歩く。両手に広がるのは田んぼ、時々かかしといった具合で変化も何もないのだ。
しかも今日は予想以上にとても暑いのだ。道の向こうでは陽炎が揺らめき、セミの声がまた意識を遠くさせる。
どこか避暑地を探さないと、そう思ったがここらにそんな場所は……あった。僕は思い出したその場所に向かって確かな足取りで歩き始めた。
案の定、河原の、それも橋の下は風通りもよくとても涼しかった。
僕はそこにゆっくりと寝転がる草と土のにおいがした。
「本でも持ってくるんだったな……」
ぼそっと独り言を言ったが、誰かが聞いてくれるわけでもない。このまま寝よう、そう思い目を閉じようとしたその時、暗い日陰の中に白い何かが見えた。
「ねえ!」
「んん?」
驚いて飛び起きると、そこには白いワンピースに麦わら帽子をかぶった少女がそこにいた。
「君、ここで何をしているの?」
「何って……」
突然の来訪者に戸惑うが、それに構わず彼女は話を続ける。
「そんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
「あ、うん……」
まだ状況が整理できていないが、僕は彼女の忠告通りにそこから起き上がった。
それを見ると目の前の少女はにかっと笑って手を差し出した。
「ねえ、一緒に散歩してよ」
「え、僕と?」
困惑する僕をよそに、彼女は僕の手を引っ張った。
「君、名前は何て言うの?」
彼女は僕を見てそう言うが、女性と手をつなぐことに慣れてない僕はそれどころじゃなかった。
「ねえ、名前は?」
彼女が再度聞いてきたときにやっと我に返り、僕はそっけなく答える。
「西川涼太……」
「へえ、涼太っていうんだ」
彼女は満足そうにもう一度僕の名前を言った。
「私も名前、教えないとね」
彼女の麦わら帽子に付いた白いリボンが風でなびいた。
「ホタル。それが私の名前」
彼女はそう言ってさっきとはまた違うように微笑した。
「東京から来たんだ?」
「うん」
僕と彼女はあぜ道を歩きながら他愛もない話をしていた。
僕自身もこの状況に慣れ始めて、自然と言葉数も増えていった。
「東京にはいろんなものがたくさんあるんでしょ?」
「そうだね、たくさん」
「やっぱそうなんだ!行ってみたいな~」
僕が東京での話をすると、彼女は決まって「行ってみたい」や「見てみたい」などと言っていたので、思い切って聞いてみた。
「じゃあ、行こうよ」
「東京に?」
彼女は目を丸くした。
「無理だよ!私みたいな田舎モンが言っていい場所じゃないよ。それに……」
彼女はそこまで言うと、口を濁した。
「それにって……」
それについて聞こうとしたところで、彼女は無理やり笑顔を作った。
「ううん!何でもない」
彼女のその言葉の後、セミの声だけが響いた。
夕方になり、日が西に沈んでいく。
「じゃあまた明日、橋の下で!」
「うん」
僕は彼女と明日また会う約束をして別れた。
白いワンピースが夕日に赤く染まっていた。
翌朝、朝食を済ませ、僕はすぐにあの場所へと向かった。
「何をそんなに急いでるんだ?」
父が僕に聞くが、ただ一言だけ
「釣り!」
と言って家を出た。釣り道具はもちろん持って行かなかった。
橋の下に着くと、すでに彼女はそこにいた。
「お、早いね」
彼女はそう言うと立ちあがってこちらに来た。
「ねえ、今日はさ」
彼女はそう言うと草むらから何やら取り出してきた。
「釣りしようよ」
一度釣り道具を取りに帰った僕を、父は怪訝な目線で見ていたがそんなに気にしなかった。
「じゃあここら辺でのんびりと」
彼女はそう言って、その場所に腰を下ろした。
僕は彼女のワンピースが汚れないかなど変な心配をしたせいでバランスを崩し、尻もちをついた。
「大丈夫?」
彼女が笑い交じりに聞いてきた。
僕はジンジンと痛むお尻を抑えつつ、笑いを作って「大丈夫」と答えた。部活を辞めたせいで運動能力が落ちたのだと実感した。
幼いときはよく父とここに釣りに来ていたのだが、ここ最近はもっぱら一人で行くことが多くなっていた。
「ねえ、東京の学校は楽しい?」
彼女が準備をしながら聞いてきた。
「まあまあ……かな」
僕はそれに曖昧な返事をする。
それに彼女は麦わら帽の位置を調節しながら続ける。
「君、剣道やっていたんでしょ?」
僕は予想外からの彼女の質問に度肝を抜いた。
「何でそれを……」
僕はしばらく彼女の横顔を見ていた。暑さにやられたわけではない。
それでも彼女は何ともない風に「なんとなく、かな」とだけ答えた。
「でも、今はやってないよ」
僕は平然を取り繕うと話を続けた。
「辞めちゃったんだ?」
優しい声音で聞いてくる彼女に僕は「うん」とだけ答えた。
「ずっと母さんに褒められたいがためにやってきてたんだ。だけど……」
自然と言葉が口から溢れる。僕はその流れに身を任せた。
「去年の冬、母さんは……」
溢れてきたのは言葉だけではなかった。涙がはらはらと頬をつたう。
それを彼女はただ「うん」とか「そうか」とだけ相槌を打ってくれた。
一通り話し終わったときには、胸のうちはすっきりとしていた。
「なんか……ごめん」
頬を流れる涙を拭きながらそう言う僕に、彼女はハンカチをくれた。
「謝らなくていいんだよ」
僕は彼女の優しさに甘えた。そしてその甘さなら許してくれるだろうと、内に秘めたる自暴自棄な考えも喉まで迫っていた。
「こんなことで挫折するなんて。俺にこれから生きていく価値なんてあるのかな……」
僕はここできっとまた慰めの言葉を期待していた。「大丈夫だよ」とか「そんなことないよ」などの類の言葉を。
だけど滲んだ視界が晴れたときに見えた彼女の顔は、もはや女神の微笑みではなかった。
「どうして……そんなこというの?」
真剣な面持ちでこちらをみる彼女。
「え?」
思わず情けない言葉が漏れたが、それに構わず彼女は僕の肩をつかむ。
「ねえ、もう絶対にそんなこと言わないで。君には未来があるんだから」
彼女も涙を流していた。
僕は気迫に圧倒されてすぐに「うん……」と小さな声で言った。
お互いにそれ以上何も話さなかったし、昼前には別れてしまった。
僕はずっと考えていた。どうして彼女は急に真剣な面持ちになったのだろうか。
「あれ?早かったな」
家に帰ると父が庭で雑草を抜いていた。
僕は「あまり釣れなかった」とだけ言って部屋の中で本を読んでいた。
部活を辞めてからというもの、本を読む機会が増えた。その分僕はそれだけ自分の世界に閉じこもり、他者を拒絶するようになっていったのかもしれない。
しばらくして首に手ぬぐいを巻いた父が部屋に入ってきた。
「涼太、今日の夜は二人で出かけるから準備しておけよ」
そう言うと父は部屋から出ていきそうになったので、僕は慌てて「何で?」
と聞いた。父は振り返って言った。
「蛍を見に行くぞ」
日も沈んだというのに、辺りには昼間の暑さがまだ残っていた。
「まだ暑いな」
前を歩く父が汗を拭きながらそう言う。
僕はその後ろを空を見上げながら歩いていた。
しんと静まり返った村には時々ぽつんと小さな家の光があるだけで他にはなにもなく、時々吹く夏風にのってほのかに夏の匂いが香った。
「ここらへんだな」
父がこちらに振り返ってそう言うと、河原の草むらを指さした。
草むらの上には小さな光が弱々しく飛び交っており、そこに星空を作っていた。
「今年は数が少ないな」
父が頭を掻きながらそう言う。確かに少ない気がしないでもない。
だけれど僕はその中で一匹ひと際心惹かれる蛍を見つけた。それは他の蛍とは違い、一匹だけど力強く存在感を放っていた。
僕は急にその蛍をもっと近くで見てみたいと思うようになった。
「父さん。もうちょっと近くで見てくるよ」
そう父に言い残し、僕は草むらへと近づいて行った。
草むらに近づくにつれて川の音がどんどん大きくなっていく。僕は時折足に絡みつく草を気にせず真っすぐに進んでいった。
蛍に連れられ草むらを進む。進むにつれて僕はだんだんと去年のことを思い出していった。
母さんの妊娠が分かったのは去年の夏前だった。だいぶ年の差がある妹ではあったが、僕はとてもうれしかったのを覚えている。
来年は四人でここに来られるねなんて話していたっけ。だけどそれは叶わなかった。
その年の木枯らし吹く秋の日。母さんは死んだ。もちろんお腹の中の妹も。
僕の時間はあの日から止まってしまったままだ。竹刀を持つことをやめ、学校でもほとんど話さなくなってしまった。みんな憐みの目で僕のことを見ていたが、そんなのも気にしなかった。
蛍に連れられて僕はさらに歩いた。歩いて歩いて歩いて……。
「待って!」
後ろから声をかけられてはっと我に返る。ふりむくとそこにもホタルがいた。
「ねえ、危ないよ」
彼女はこちらに寄ってきて腕を引っ張った。気づくと僕は膝のところまで水に浸かっていたのだ。
「蛍に連れられて死んじゃうなんて、笑い話にもならないよ」
彼女は苦笑いしながら僕の腕を引っ張った。
陸に上ると、彼女はこちらに振り返った。
「君、明日にもう帰っちゃうんでしょ?」
「うん」
僕は何も考えずに答えた。
「昼はごめんね。でも、どうしても……」
彼女は僕の手を離さない。むしろもっと力強く握ってきた。
「あのさ」
彼女は続ける。
「君はさ、あの日からずっとふさぎこんでるじゃない?でもそろそろ外の世界にも目を向けなきゃ」
彼女は僕の目を見て話す。夏風に白いリボンと、ワンピースが揺れた。
「きっと君ならうまくやれる。絶対に」
握られた手の甲に一滴、落ちる。
「だからさ、そんなに暗い顔しないでよ」
涙でぐしゃぐしゃだったが、彼女はそう言って笑った。
ふっと手の力が弱まると、彼女は再び背を向けて歩き出した。
僕はもう彼女とは会えない気がしてその手をつかもうと一歩踏み出すが、届かない。
「ねえ、また会える?」
懸命に声を振り絞って彼女に聞いた。
彼女は少し振り返って笑って言った。
「当たり前じゃん。お兄ちゃん」
最終日。僕と父と祖母で山の上にある墓参りにきていた。
「去年の冬以来か」
なみなみ水の入った桶を両手に父がそう言った。
手入れされてない墓石の中に一つ綺麗なものがある。あれが西川家の墓だ。
「母さん会いに来たよ」
父は持ってきた水を墓石に掛けた。その間に祖母が線香の準備をする。
僕は墓石に刻まれた名前を見ていた。もっとも新しいところに母さんがあるはずだったが、違っていた。
「涼太」
呼ばれて振り返ると、父と祖母は準備が終わったようだった。
僕ら三人で墓の前で手を合わせて、僕はこの夏にあったことを報告した。
「よし、また来るからな母さん」
そのあと僕らは後片付けをして、その場所を後にした。
昼下がり。父と僕は村を出発した。
結局あの娘が誰なのかなんて知ろうとするまでもなかったし、きっとそんな重要なことでもないのだろう。ただ僕は今、しまっている防具と道着、そして竹刀を探すことだけを考えていた。
助手席の窓から夏風が吹き込んできた。
夏風とワンピース クソクラエス @kusokuraesu
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