第六章 第三十話「そして山百合は咲きこぼれる」

「あぅぅ……。この登り、今までで一番大変じゃないですかぁ~?」


 私はどこまでも続くような坂道を、途方に暮れながら眺めていた。

 今は午後一時半。

 私たちは三瓶山さんべさんの中でも一番大きな『男三瓶おさんべ』への登山にチャレンジしていた。



 あの救助劇のあと、孫三瓶まごさんべ女三瓶めさんべの間にある大平山たいへいざんという低い山で本隊と合流し、昼食をとった。

 その時聞いた話によると、怪我をしたおばあさんはその後、県警の協力もあって無事に下山できたらしい。

 付き添っていたあまちゃん先生は、そのままゴール地点の三瓶さんべセントラルロッジへ向かったらしい。

 おばあさんの無事を聞いて、五竜さんが一番ほっとしているように見えた。



 大平山から先は、選手全員が一列になって歩く『隊行動』だ。

 出発した後は女三瓶を通過して男三瓶に向かったのだけど、さすがに七時間ぐらい歩き続けていたので、ヘトヘトに疲れ果てていた。

 今歩いている縦走路は何年か前の崩落によって通行止めになっていたらしく、去年の今頃に復旧したばかりらしい。

 この道を通れない場合は、ふもと近くまでいったん降りてから登りなおすことになったらしい。そう考えると、今の辛さもかなりマシなものだと感じられた。


 雨は止んだものの、まだまだ雲が多いので頭上以外の景色は隠されている。

 景色に癒されることもなく、私は黙々と足を動かし続けていた。


「ましろちゃんっ。腰を曲げて歩くと、腰が痛くなっちゃうよ~」

「う。そうでした……。気を付けなくっちゃ」


 ほたかさんの指摘で気が付き、背筋を伸ばす。

 ザックの重さの分だけ重心を前に傾けたほうがいいのだけど、背骨を丸めると痛めるということで、曲げるなら足の付け根がいいらしい。


「重かったらアタシに分けるか?」

「大丈夫っ。美嶺みれいはいっぱい背負ってるから、私も頑張るよ!」


 みんなにお世話になりっぱなしなので、最後まで自分の脚で歩けるように踏ん張る。

 無心になって足を動かしていると、いつの間にか歩調に合わせて脳内で音楽が流れ始めた。

 これはお気に入りのアニソンの……イントロ部分だ!

 なぜかイントロの先に進まずループしているので、じれったくなって強引に歌詞部分に思考をずらす。

 するとその時、美嶺が後ろから話しかけてきた。


「それにしても……登ってる時ってさ。同じ曲が頭の中でグルグル、ずーっと再生されることってないか?」


 なんと。まさかの美嶺も同じ状態だったようだ。

 二人でシンクロしていたようで、ちょっと照れてしまう。


「あるある~。今もまさに音楽が流れてるよ。……まあ、私の場合はアニソンばっかりなんだけど」

「やっぱアニソンだよなっ! しかもサビの部分のヘビーローテーションで、全然曲が進んでくれないんだよ~」

「ぷっ」


 そこまでシンクロしてるなんて思わなかったので、ちょっと笑ってしまった。


「お~い、笑うなよぉ~」

「違う違う。私も一緒だから、偶然すぎて笑っちゃっただけ―っ」


 美嶺といると本当に面白い。

 こうしておしゃべりしていると、なんだか疲れが気にならなくなってきた。


「そういえば五竜さんと美嶺。いつの間にか打ち解けてたけど……何を話してたの?」

「あ……。そ、それはなぁ……」


 美嶺が口ごもっていると、前を歩く五竜さんが振り向いた。


「わたくしが百合漫画について熱く語っていたところ、やけに食いつきがよくてですね……」

「い、言うなよぉ……」

「まさか美嶺さん。意外にも漫画やアニメがお好きだと分かり……。せっかくなので、オススメの作品を紹介していたのですよ」


 美嶺の顔を見ると、頬を赤くしてうつむいている。

 なるほど……。意図せずにオタクバレしちゃったんだね。

 美嶺が自分から自白しちゃったのなら、仕方がない。

 私はやれやれと苦笑した。


 笑いながら歩いていると、千景さんの静けさが気になってきた。

 そう言えば、いつもにも増して口数が少ない気がする。

 ふと横顔を見ると、少し頬が赤らんでいるように見えた。


「あれ? 千景さん、顔が赤いけど大丈夫ですか?」

「ヒ……」

「ひ?」

「……ヒカリの、こと。思い出すと……死にそう」


 千景さんはそう言って、深くかぶった帽子をいっそう深くかぶろうと縁を引っ張る。


 そうか、なるほど……。

 五竜さんを助けるためとはいえ、みんなの前でヒカリさんに変身したことはさすがに恥ずかしかったのだ。

 大会中だから、さすがにテントや寝袋に隠れるわけにもいかない。

 この勢いだと、帽子に隠れようとして上を突き破ってしまいそうだ。


「だ、大丈夫ですよ! ヒカリさんも千景さんも素敵ですのでっ」

「隠れたい……」

「あぅぅ……」


 うまい言葉が出てこない。

 五竜さんたちの目の前で変身したので、どうにも隠せそうになかった。

 すると、五竜さんが再び振り返る。


「安心してください。我が校のメンバーに秘密を漏らすものなどおりません」

「あ、ありがとう……」

「……それに、美少女の二面性とは美味しい設定。わたくし、すっかりファンになりました」

「――っ!」


 千景さんは少し安堵した様子のあと、思わぬ追撃を食らって、再び帽子の中に顔を隠してしまった。


「ご、五竜さん。千景さんをいじっちゃダメーっ」

「ふふふ。これは失礼いたしました。秘密を守るのは本当です。……出雲に行った時には、お店に寄ってもいいですか?」


 五竜さんにはまったく困ったものだ。

 ただ裏表がないことだけは分かるので、慣れてみれば彼女との会話も楽しいのかもしれない。

 私と同じことを考えているのか分からないけど、千景さんも帽子から目を出し、小さくうなづいた。


「ぜひ、ご来店……ください。……なのです」



 △ ▲ △ ▲ △



「うひゃぁっ!」


 突風と共に一瞬まわりが真っ白になり、気が付くと右から左へ白い塊が流れていった。

 唖然あぜんとしながらその塊を見送って、しばらくして雲だったと気付く。


「さっきのって……雲の中ですか?」


 ほたかさんを振り返ると、笑顔で大きくうなづいてくれた。


「うんっ。ちょうど雲の高さを歩いてるんだねっ」

「これも山ならではの体験……。すごかったです」


 あたりを見渡すと、風に乗って雲がどんどん動いていく。

 まるで天国を歩いている気分になった。


「ましろちゃんが知らないことは、まだまだいっぱいあるよ~。例えば雲海とか!」

「うんかい……ですか?」

「雲の海って書くの。朝の気温が低い時間帯は雲が低い場所にたまってるんだけど、たか~いお山から見下ろすと、海みたいにどこまでも真っ白な平原が見えて、素敵なんだよ~」


 そのうっとりとした表情を見ると、私も胸がドキドキしてくる。

 いつかその景色を見たいと思った。



 そしてその直後、視界が一気に広がる。

 広い広い草原と大地。

 男三瓶の山頂だ。

 その山頂の向こうに広がる景色に、目を奪われた。


「……すごい」


 風と共に雲がカーテンを開くように流れ、雲の切れ間から見渡す限りの海が見える。

 雲間から光が差し込み、海上をスポットライトのように照らしている。


 視界の右には私の住む街も見えた。

 弓なりに伸びる海岸線の先にある山は、みんなとの初めてのキャンプで登った弥山みせんだ。

 弥山からこの三瓶山を見た記憶がよみがえり、懐かしさを覚える。


 きらめく光景をみると、それだけで疲れが癒される。

 がんばった私たちを祝福してくれているようだった。



 後ろを振り返れば、この二日間で登ったいくつもの山頂が一望できる。

 クレーターのように真ん中がくぼんだ大きな山を、この脚で確かに一周したのだ。


「全部、自分の脚で歩いたんですね……」

「うんっ」


 感慨深く景色を見つめ、ほたかさんも大きくうなづく。


「こんな……こんな高い場所まで来たんですね!」

「うん……うんっ」

「って、ほたかさん、泣いてるんですかっ?」


 横を見ると、ほたかさんは指で目をぬぐっていた。


「うれしいの……。みんなと一緒にここまで来れて、こんなに素敵な景色を見れて……」

「ほたか。……ずっと一緒に、登ろう」


 千景さんも微笑んでいる。

 美嶺ももちろん、歯をニカッと見せて笑っていた。


「そっすね。山はまだまだいっぱいあるんで、すごい景色はいくらでも見れますよ」


 笑顔を見るだけで、なんだか胸がいっぱいになってくる。

 みんなで一緒に、同じ景色を分かち合えている。

 これって、なんて素敵なんだろう。


 松江国引高校のみんなを見ると、彼女たちも同じように景色を見つめていた。

 五竜さんとつくしさん。そして両神姉妹がそれぞれ手を結んでいる。


 山頂を見渡せば笑顔がいっぱい。

 まるでたくさんの花が咲いたように見えた。



 たとえばヘリコプターでここまでぴょーんと来ただけじゃ、絶対にこんな気持ちになれないと思う。

 この気持ちは、自分の脚で歩いて、みんなと一緒に過ごしたからこそのものだ。


「登山って……いいものですね!」


 私は爽やかな空気を胸いっぱいに詰め込んで、大きく伸びをした。

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