第六章 第二十九話「雨降って地固まる」

 千景さんはウィッグを外すと急に恥ずかしくなったのか、私たちの後ろに隠れてしまった。

 小さく縮こまって、頬を赤く染めている。

 そのしぐさを可愛いと思いつつ、私は千景さんの手を握る。


「大丈夫ですよ。千景さんを変に思う人なんて、ここにはいませんから」


 ささやくように耳打ちすると、千景さんは深くかぶった帽子を少し持ち上げ、こくりと小さくうなづいてくれた。



「次は、ばあちゃんっすね……」


 美嶺みれいが言うと、おばあさんが申し訳なさそうに頭を下げる。


「本当にごめんなさいねぇ……」

「いやいや。気にしなくていいっすよ。……役員の先生を呼んでくればいいんすよね? ひとまずアタシがひとっ走りしましょうか?」


 そんな美嶺の提案を聞いて、ほたかさんは腕を組んで考えこみ始めた。


「そうだねぇ……。このまま進んで大平山たいへいざん方向に行けば、前を進む隊と合流できるかもしれないけど……。大平山までの間で誰とも合流できなかったら、最悪だと往復で一時間ぐらいかかると思う。……どうしよう」

「一時間はキツいっすねぇ……。でも、ザックなしなら身軽なんで、走れば四倍ぐらいの速度が出せるっすよ」


 すると、千景さんが私の背後から顔を出した。


「ダメ。濡れた山道を走っては……危険」


 確かに千景さんの言うとおりだ。

 走って転んで山から落ちでもしたら、それこそ大変だ。

 でも、そもそも時間が問題だとすれば、その解決は簡単だった。


「あのぉ……。さっき、あまちゃん先生がいましたよ」

「ど、どこなの?」


 ほたかさんが驚くように私を見るので、さっき通過した孫三瓶まごさんべの頂上方向を指さす。


「孫三瓶の山頂近く。……林に入ったばかりのところです」

「そんなところに……いたか?」

「うん。先生って迷彩服みたいなカッパを着てたから、気づかなくても仕方なかったと思う」


 ほたかさんは地図と周りの地形を見て、大きくうなづいた。


「その場所なら、ザックなしなら往復で二十分ぐらいで行けると思う! ましろちゃん、すごいっ」

「えへっ……えへへっ……」


 なんだか褒められてしまった。

 ちょっとは役に立てたみたいでうれしい。



 △ ▲ △ ▲ △



 あまちゃん先生を呼びに行くのは、ほたかさんと私の二人に決まった。

 そんなに大人数で移動する必要もないし、私はあまちゃん先生の居場所を知っているからだ。

 ザックをみんなに預けて身軽になると、私たちは孫三瓶へ向かって来た道を戻っていく。

 すると、すぐにつくしさんが追いかけてきた。


「わ……私も行きます! 状況の説明をするために、必要だと思うので」


 聞くところによると、最初は五竜さんが「リーダーとしてわたくしが行きます」と言っていたようだけど、靴はあくまでも応急処置なので、待っててもらうことにしたらしい。

 三人になった私たちは、改めて歩き出した。



 雨は止んだけど、岩だらけの地面は濡れていて、滑りやすい。

 慎重に歩みを進めていると、最後尾を歩くつくしさんがつぶやいた。


「あの……。助けていただいて、本当にありがとうございます」


 その言葉を受けて、ほたかさんが笑顔で振り返る。


「気にしなくていいんだよっ」

「いえ、感謝しかないですっ。……それに、ましろさんの言葉がなければ、どうなっていたか……」

「うん。それは本当にそう思う~。ましろちゃんの言葉が空気を変えてくれたんだよ~」


 歩いてる前後から褒められるので、照れくさくて仕方がない。

 私は首を横に振り続けた。


「いやいやいや! 私なんて勢いだけですし、『まず笑おう』って言ってくれたのはほたかさんですよ~。……それに、つくしさんの素敵な言葉がなければ、五竜さんだって話を聞いてくれなかったし……」


 そう言った時、つくしさんが顔を伏せってモジモジしはじめた。


「……ん? つくしさん、どうしたのかな?」

「……うう~~っ。は、恥ずかしい……。私、すっごく恥ずかしいこと言ってましたよね?」

「恥ずかしいことなんてないよ? 五竜さんが好きなんだよね?」


 ほたかさんが単刀直入に言うので、つくしさんの顔はボンと爆発したように赤くなった。


「ああぁ~っ! わ、忘れてくださいっ! 忘れてぇ~っ!」


 つくしさんは顔を覆って悲鳴を上げる。

 にぎやかな山道はやっぱり楽しい。

 五竜さんと出会ってからいろいろあったけど、松江国引高校のみんなとも仲良くなれて、とてもうれしくなった。



 笑いながら歩いていると、不意に目の前に人影が現れた。

 緑色の迷彩模様の雨カッパを着込んだ女性。

 見間違えるはずもなく、それはあまちゃん先生だった。


「あらぁ? みなさん、どうしたのぉ?」


 時刻を見ると十時半。

 さっき出発したのが六、七分ぐらい前だったから、予想よりも早く先生と合流できた。

 私たち八重垣やえがき高校が最後尾ということもあり、私たちが通過した後に、近場のチェックポイントの印を回収しながら歩いていたらしい。

 先生に状況を伝えると、あまちゃん先生はいつになく真剣な表情になるのだった。



 △ ▲ △ ▲ △



 みんなの元に合流すると、ケガをしたおばあさんを中心に、全員がひとつに固まっていた。

 なんかアルミホイルみたいな銀色のシートを広げてくるまっているので、遠目から見ると怪しげな団体に見える。


「あぅぅ? みんな、何やってるの?」

「このアルミシートってすっごく保温性があるんだよ。伊吹さんが出してくれたんだ」

「うん。うちのシートと、松江国引のシートをつなげてる。……じっとしてると、濡れて寒いから」


 美嶺と千景さんが教えてくれる。

 さすがは千景さん。彼女のザックはなんでも入ってるのかもしれない。



 あまちゃん先生はおばあさんの元に駆け寄り、心配そうなまなざしを向ける。


「お怪我の具合はいかがですか?」

「本当にみなさんによくしてもらいました。そこの金髪のお嬢さんの手当てもよくてね。……おかげで痛みが和らいでるのよぉ」


 その言葉を聞いて、美嶺は恥ずかしそうに照れている。


 先生はおばあさんと話した後、無線機でどこかに連絡を取り始めた。

 きっと大会本部に連絡を取っているのだろう。



 指示がもらえるまで暇を持て余すので、みんなで行動食を食べることにする。

 私たちはビスケット、五竜さんたちはドライフルーツだ。

 おばあさんも交えてみんなで分け合い、ワイワイとしゃべりながらお菓子をつまむ。


「そういや、五竜のやる気がみなぎってるんだよな」

「何をおっしゃいますか。……わたくしはいつもやる気に満ちていますよ」

「そうは言っても、つくしさんの話になると鼻息が荒くなるんだ。わかりやすいんだよな~」


 美嶺と五竜さんは意外にも打ち解けている。

 二人が話している様子が見れて、うれしくなった。


「ましろは笑ってる場合なのか?」

「あぅ?」

「負けたら五竜のために絵をかくし、校長の猛特訓でマッチョになる約束だろ?」

「うわーーっ、忘れてたぁ……」


 そういえばそうだった。

 この大会で負けたら、五竜さんにプロデュースされて百合作家としてウェブでの活動を始める約束だし、校長先生からはクマと戦えるほどの筋肉をつける特訓を受けることになってしまう。

 っていうか、二人とも五竜さんだ。私って、五竜一族と因縁があるんじゃなかろうか……?


「アタシも頑張るけどさ……。五竜はさっきから大会の得点計算の話を交えて、アタシらの勝ち目はないって冷静に言ってくるんだよ……」

「あぅぅ……。お願いだから、手加減してぇ~」


 私が頭を抱えていると、五竜さんは不敵に笑う。


「しませんよ。わたくしも、つくしさんとの全国がかかっていますからね」


 なんというか、全く手加減してくれる気配はなかった。



 そうこうしているうちに、あまちゃん先生は無線を切ってやってきた。


「みなさんの適切な行動は、ちゃ~んと本部に伝えておいたわぁ。県警からも救援が来ますし、ご婦人の付き添いは先生がやるので、大丈夫よぉ~」


 あまちゃん先生はウインクしてくれる。

 おばあさんはふもとまで降りられることがわかり、ほっとした表情を浮かべた。


 そして、大きな事故ではなかったことから、大会も続行されるらしい。

 この区間の歩行タイムは基準から随分と遅れてしまったけど、仕方のないトラブルだったと判断され、しっかりと考慮して採点されることに決まったということだ。


 大会本部とうまくやり取りしてくれたことがわかり、あまちゃん先生には感謝しかない。



「八重垣高校の皆さん。本当に……ありがとうございます」

「当たり前のことをしただけですよっ。楽しいのが一番ですっ」


 ほたかさんはにっこりと笑い、私たちもつられて笑う。

 雲の間から差し込む光は、仲良くなった私たちを祝福してくれているようだ。


「つくしさん。なんだか……ずいぶんと長い時間、ここにいた気がしますね」

「そうだね。いろいろあったし、私はきっと忘れない」


 つくしさんと五竜さんは感慨深げに周りを見渡した後、地面を踏みしめて歩き出す。

 その後姿を見ると、まるで別人のように穏やかな空気をまとっているように見えた。


 雨降って地固まる。

 いろいろと大変なこともあったけど、だからこそ生まれた絆なのかもしれない。


「じゃあ、わたしたちも楽しく歩こっか!」


 まだまだ登山は続く。

 ほたかさんの掛け声に、私たちも「おぉ~っ」と気合を入れるのだった。

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