第六章 第九話「バックパックガールズ」

「ほたか先輩。自分のことを『お姉さん』っていうの……やめにしませんか?」

「ましろ……ちゃん?」


 私が真剣な顔で言うので、ほたか先輩は驚いていた。


陽彩ひいろさんの前では、一人称は『わたし』でした。ほたか先輩って、元々は自分の事を『お姉さん』だなんて言ってなかったはずなんです」


 私が言うと、美嶺は感心するようにうなった。


「ましろ、よく覚えてるな……。伊吹いぶきさん、どうだったんすか?」


 美嶺に話を振られた千景さんは、深刻そうにうつむいた。


「千景ちゃん。それは言わない約束……」


 ほたか先輩が懇願こんがんするように言うが、千景さんは首を横に振る。

 観念したように目をつむるほたか先輩を前に、千景さんは口を開いた。


「……ほたかは、部長になった時から……『お姉さん』になると、言った」



 やっぱり思ったとおりだった。

 きっと、ほたか先輩は責任感がとても強いのだ。

 そして、率先して大変なことを引き受けようとする。


 誰よりも重い荷物を背負い、誰よりもたくさんの役割をこなそうとして。

 自分のことを『お姉さん』と呼び、自分の気持ちをいつも後回しにして。


 体力をつけてきたのも、不器用さをカバーするためのものだったかもしれない。

 でも、そんなの絶対に無理が生じる。

 このままだとほたか先輩が壊れてしまう。


 現に、目の前のほたか先輩はとても弱っている。

 寝不足であることを打ち明けることもしないで、無理をし続けていたのだ。


「ほたか先輩は『お姉さん』を辞めるんです。私も……『先輩』って呼ぶの、やめます!」

「ましろちゃん……」

「これからは……『ほたかさん』ですっ!」


 ほたかさんにとっての『お姉さん』という言葉がみんなを守るための言葉であるように、『先輩』という言葉も先輩と後輩という立場を明確に分ける象徴だ。

 私はいつまでも『後輩』というゆりかごの中で守られているわけにはいかない。

 もっと頼れる存在になって、ほたかさんを助けていきたい。


「なんでも抱え込まないでください。考えすぎてたら、楽しくないですよ。山が好きなはずなのに、山の中で笑顔じゃないのは、ほたかさんらしくないですよ!」

「でも、お姉さんは部長だから。しっかりとしなきゃ……」


 かたくなに『お姉さん』と言うほたかさん。

 私はこれ見よがしに力こぶを作ってみた。


「次に『お姉さん』って言ったら、ムキムキマッチョを目指しちゃいますよ!」

「ええ……。それはやだよぉ~。ましろちゃんはフワフワがいい~」


 ようやくいつもの感じに戻ってきた。

 好きな事や楽しいことに一直線でいてくれたほうが、ほたかさんらしい。


「無理にしっかりする必要なんて、ないんすよ。アタシに山を楽しもうって言ったの、誰だか忘れたんすか?」

「おね……。……わたし、です」

「だいたい、部長っていうのは指示する人のはずっすよ。なんでも仕事を引き受けるのは部長がやることじゃないっす」


 美嶺みれいはいいことを言う。

 裏表なく、まっすぐに真理をついてくるのが美嶺の良さだと思う。

 千景さんも大きくうなづいた。


「ボクたちを……信じて」

「でも、わたし……。指示は不得意だし……。指示して失敗したら不安だし……」


 確かにキャンプの準備のとき、ほたかさんは考えがまとまらず、全部自分で抱え込んでいた。

 でも、適当でもいいので仕事を振ってくれれば、失敗しながらでも色々と身についていく気がする。


「失敗してもいいじゃないですか。私たちにもちゃんと責任を背負わせてください。一緒に……背負いたいんですっ!」


 私はほたかさんの手を握りしめた。


 すると、その手にいくつもの雫が落ちてくる。

 それはほたかさんの涙だった。

 声を押し殺すように泣いている。


「あぅ……。そんな……泣かないでください……」

「違うの。嬉しいの。……たぶん、ましろちゃんは気付いてないけど、その言葉は何度もわたしを救ってくれてたんだよ」

「私、そんな特別なこと、言いましたっけ……?」


 よくわからずに驚いていると、ほたかさんは涙を浮かべながら、太陽のような満面の笑顔を見せてくれた。


「一緒に背負いたいって言葉。……わたしが抱え込んで潰れそうになった時、何度もその言葉に救われた。だから……ましろちゃんのこと、好きになったんだよ」



『一緒に背負う』


 ……そうか。

 これって、登山部にピッタリの言葉かもしれない。

 荷物はなにも物だけじゃない。

 役割や想いだって背負うことができる。

 私たちはお互いに荷物を背負いあい、苦難を超えていく女の子。

 言うなれば『バックパックガールズ』なのだ。



 それにしても、なんてきれいな笑顔……。

 そして『好き』という直球の言葉が私の胸に突き刺さる。


 知ってる。

 ほたかさんの『好き』は『ラブ』のことだ。


 みんなの目の前で言われるなんて、不意打ちすぎる。

 頭がクラクラしてきた。


「ええっと……その、きっかけの話って、もっと別だったんじゃ……?」


 ほたかさんが私を好きになったきっかけは、確か、閉じこもってしまった千景さんを助けたときのことだと言っていた。

 でも、ほたかさんは微笑みながら首を横に振っている。


「本当はこれだったの。……背負ってくれるって言われて、すごく安心してるわたしがいた。でも部長でお姉さんだから、その言葉に甘えちゃダメだって……自分に言い聞かせてた。だから言えなかったの……」


 錯覚だろうか。

 ほたか先輩の瞳の中にハートが見える……気がする。


「好き。好き。大好きっ!」


 剛速球ストレートの言葉が、私の胸を貫いた。

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