第六章 第六話「苦難を前にして」

「あぅぅ……。この道は、なにごとー?」


 しばらく歩いていた私は、目の前に現れた坂道に驚いていた。

 さっきまでの散歩コースのような山道から、いきなり岩だらけの急な登りに変貌へんぼうしている。

 大きな岩が地面から突き出し、登るものを拒んでいるようにも思えた。


「確かに……これはなかなかハードなコースだな」


 山に慣れている美嶺みれいも険しい顔でみているから、登山道の中でも大変なほうなのだろう。


「これは……弥山みせんの九合目と同じぐらい……かな?」


 初めての山登りで私の前に立ちはだかった試練を思い出す。

 でも千景さんのお店で買った登山靴と一緒だから、とても心強い。

 私は自信をもって足を前に出した。



 △ ▲ △ ▲ △



「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


 額から頬へと汗が流れ落ち、首元を濡らしていく。

 時刻は午前十一時を過ぎてるので、気温もけっこう高くなってきた。


 弥山のときと違うのは、すでに二時間も歩いていること。

 脚の疲労は確実にたまっていて、ザックが重く感じられる。

 この一カ月間、私なりにがんばってトレーニングしてたつもりだけど、まだまだ足りないようだ。


 見上げると五竜さんの後ろ姿が見える。

 リズムよく登っていく姿を見ると、彼女との差を痛感してしまった。


「ましろさん。歩幅は……小さく」


 前を歩く千景さんが、振り向いて声をかけてくれた。


「ボクの歩く場所……よく見てて」

「は……はいっ」


 そう言えば、すっかり忘れていた。

 サブリーダーの千景さんの歩き方や足を置く場所を真似すると、疲れが全く違うことを……。


 太ももを無理に上げるのではなく、小さな歩幅で着実に足を前に出す。

 急な坂道では、靴底のグリップを生かすために、なるべく足の裏全体で地面を踏みしめる。

 そうやって黙々と登っていると、たしかにあまり疲れない。

 千景さんはすごいな、と思った。



八重垣やえがきのみなさ~ん」


 突然、上のほうから声が聞こえた。

 見上げると、つくしさんが私たちを振り返っている。


「そのあたり、石が浮いてるので気を付けてくださ~い」


 そのアドバイスを聞いた千景さんが近くの岩を軽く踏むと、グラグラと揺れているのが分かった。


(つくしさん……。優しい……!)


 大会のライバルなのに、すごい親切だ!

 競争ばかりでうんざりしていた人生の中で、競争相手に優しくされるのは初めてかもしれない。


 私が感謝を噛みしめていると、「あ……」と可愛い声が聞こえた。

 声の主は千景さんだ。

 千景さんはつくしさんを見上げている。


「あり……ありが……」


 絞り出すように声を出してるけど、とても小さいので、聞こえているのは近くにいる私ぐらいだろう。

 きっとお礼を言いたいけど、声を張り上げるのが恥ずかしくて、小声になってるのだと思った。


 私は千景さんの想いに自分の感謝を重ねつつ、大きく声を張り上げる。


「つくしさ~ん。ありがとうございます~!」


 そして、大きく手を振った。

 つくしさんはニコリと笑って、会釈してくれる。


「……なんか、ライバルなのに助け合えるのって、いいですね」

「うん」


 千景さんもコクリとうなづいて笑ってくれる。

 なんか、登山大会ってすごくいい。

 競争なのに、緊迫した空気はまったくなくて、うれしくなってくる。


「山では、助け合いは当然だからな」


 美嶺もすぐ後ろから声をかけてくれた。


「たとえば落石を見つけた時、『ラク』って言って下にいる人に教えるのもマナーなんだ」

「ラク?」

「ああ。『落石らくせき』の『ラク』。教えないと危ないだろ?」

「確かに……。なんか思いやりにあふれてて、登山っていいね……」

「だろ?」


 美嶺はへへっと笑う。

 私もなんだか嬉しくなった。



 すると、背後から風が吹き上げてきた。

 汗ばんだ体が清められるようで、心地いい。

 後ろを振り返ると、林の切れ間からふもとのほうが一望できた。


「わぁ……すごい景色!」

「……お山の景色……。何よりもごちそう」

「そっすね! こういう景色が味わえるから、疲れも吹き飛ぶんすよね」


 ふもとの建物がすごく小さく見える。

 それは、自分の脚で登ってきたことの証でもある。

 一歩一歩の積み重ねが、自分をここまで導いてくれたのだと思った。


「ほたか先輩もどうですか?」


 先輩ならきっと素敵な言葉をくれるに違いない。

 そう思って振り返ると、ずいぶん下のほうで立ち止まるほたか先輩の姿があった。



 ほたか先輩は愕然がくぜんとした表情で私たちのほうを見ている。

 いや、見ているのは私たち三人じゃない。

 その視線をたどると、道の脇の樹に白い袋のようなものがにくくりつけてあった。


(これって……おしっこを我慢してた時に見たのと、同じ!)


 まるでオリエンテーリングの目印のようだなと思っていたものだ。

 白くて、三角柱の筒のようになっている。

 よく見ると『B』と書いてあった。


「これって……なんでしょう?」

「これは……チェックポイントの、印」


 千景さんが説明してくれる。


「……渡された白地図の上で、正確にポイントの位置を示す。審査のための……もの」

「……ポイントの周りの地形を正確に把握して、正解を言い当てるクイズみたいなものっすか?」

「うん」

読図どくず……って、いうの……」


 ほたか先輩が、私たちを見上げながら声を絞り出すように言っている。


「お姉さんが……担当……なの」


 その表情はとても苦しそうだ。

 顔色も悪いし、息も上がっている。

 地面に手をつくまいと、必死に膝をつかんでいる。


「もしかして……バテて……」


 そうつぶやいた千景さんの顔からは、血の気が引いていた。

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