第四章 第二十一話「ぬいぐるみへの想い」
「おい! ましろ、起きろ!」
「ほたか、目を覚まして」
体が揺さぶられ、暗闇の底から意識が引っ張り上げられていく。
うっすらと目を開けると、まぶしいヘッドライトの光と心配そうな三人の顔が見えた。
ほたか先輩も「んん……」と艶めかしい声をあげながら目を開ける。
周囲を見渡すと、ここは夜の学校。中庭のど真ん中だった。
どうやら気絶した場所から動いていないらしい。
「あぅぅ……。なんか、すっごく怖いものを見た気がする……」
上半身を起こし、霞んでいる意識をはっきりさせようと、頭をブンブン振る。
すると、千景さんが私の横に座り込んだ。
「ましろさん。……宿直室の人影の正体、わかった」
そして、何かを指さしている。
その指し示すほうを目で追うと、そこには白い影が立っていた。
「オ……オバ、オバケ……」
「ち、ち、千景ちゃん……。オバケが付いてきてるよ……」
「違う。これは
千景さんがヘッドライトの光を白いオバケに向ける。
光に照らされて浮かび上がったのは、白いTシャツを着た陽彩さんだった。
ポニーテールをほどいているので、長髪の日本人形のような髪型になっている。
「脅かしちゃった感じになって、ごめんね! もう引退した身だから顔を見せるつもりはなかったけど、みんなが中庭を通るのが見えたから挨拶しようと思って出てきたんだよー」
そう言って、陽彩さんは申し訳なさそうに笑った。
「相変わらず、ほたかちゃんは怖がりだなあ」
「なんで陽彩先輩がいるんですか……? 下校時間の後は入ってこれないはずなのに……」
「あー。うーんと……。先生、説明してもいいんですか?」
陽彩さんは困った顔をしながら、あまちゃん先生のほうを振り返った。
いったい何があったのだろう。
すると、先生は気まずそうにため息をついた。
「秘密にしたかったけど、仕方ないわぁ……。元々、先生が呼んだのよぉ。……いろいろと助けてほしくて」
「あぅ? 助ける?」
「炊飯のコツを教えたり、夕飯のお鍋を作ったりだよ。あまちゃんって、料理が全然できないのに生徒の前でカッコつけようとするから、こんなことになるんだよなー。私には宿直室に隠れて出てこないようにって念押しするし、本当に困った先生だよー」
確かに、ご飯を炊くときに長時間いなくなっていたのは気になっていた。
それに、いつの間にかできていたミルフィーユ鍋も、思い出せば不思議だったかもしれない。
「あの……。ごめんなさいね」
「あぅ? あまちゃん先生って、お鍋でご飯を炊くのに慣れてるって言ってたよ?」
「……あのね、確かに昔はお鍋で炊いてたの。……でもほら、人間って忘れることもあるでしょぉ? これは仕方のないことなのよぉ……」
なんだかいつもの余裕たっぷりな先生が、今はずいぶんと小さくなっている。
すると、陽彩さんが先生に話しかけた。
「たまたま私が帰省のついでに挨拶に来たからよかったものの、そうじゃなかったらどうしたんですかー?」
「それはもう、先生のマズい手料理をふるまうしか!」
「その被害者は私の代までで十分です! ……はぁ。引退して、最後の心残りが料理とは……」
陽彩さんの苦渋に満ちた顔をみると、先生の料理が恐ろしくなってくる。
いったいどれだけのマズさなのかはわからないけど、陽彩さんに救われたことは確からしい。
「あのお鍋、陽彩先輩が作ったの? すっごく懐かしい味で、美味しかった!」
「ほたかちゃん、ありがと! ま、あのぐらいは誰でもできるよ」
「ボクはすぐ気づいた。大葉を入れるのは、陽彩先輩のこだわり。……あのお鍋、ボクたちが一年生の時の……初めてのキャンプでのご飯と、同じ」
千景さんの言葉を受けて、ほたか先輩は感慨深げに目を細めた。
「だから懐かしかったんだ……。お姉さんが部活を楽しめる様にって、みんなで食べれるお鍋を作ってくれたから……」
ほたか先輩はほっと安堵したように微笑んだ。
よかった。
どうやら肝試しの緊張もすっかり和らいだようだった。
すると、唐突に美嶺が頭を下げた。
「
「いいんだよぉ~。お姉さんも強がっちゃったわけだから」
「あの……そもそも、キャンプは大丈夫なんすか? 夜の森は真っ暗っすよ?」
「えっとね……。怖いんだけど、誰かと一緒ならなんとか我慢できるの。あと、光があれば……」
そう言えばキャンプ場の夜。私が美嶺を探しに行こうとした時も、ほたか先輩はテントから動かなかった気がする。
あの時は気にしなかったけど、もしかすると暗闇が怖くてテントから離れられなかったのかもしれない。
「ほたかちゃん、立てる?」
陽彩さんが手を差し伸べるが、ほたか先輩は首を横に振った。
「こ……腰が抜けちゃったみたいです」
「仕方ないなぁ。私がおんぶしていくよ」
「あ……ありがとうございます」
そう言ってほたか先輩が陽彩さんの手を握った時、先輩が胸に抱きしめていた包みの布がほどけてしまった。
そして包みの中からは、予想通りのぬいぐるみが出てきたのだった。
「あれ……。そのぬいぐるみって……」
陽彩さんがつぶやいた瞬間に、ほたか先輩はとっさに布で包みなおして隠してしまう。
おかげで美嶺や千景さん、あまちゃん先生には見られずにすんだ。
慌てた様子を察したのか、陽彩さんは私とほたか先輩に小声でささやいた。
「ましろっちにそっくりだけど、モデルになってもらったの?」
「あぅぅ……。そういうわけじゃないですよ! あくまでも
ほたか先輩の説明を思い出して、懸命に弁解する。
先輩もウンウンと大きくうなづいた。
しかし、陽彩さんはなぜか腑に落ちない顔をしている。
「でもさ。そのぬいぐるみのシマシマパンツ、ましろっちのお気に入りと同じだよ? 確かに部室で着替えるときに見えるだろうけどさ、ぬいぐるみで再現しちゃうのは心配だなぁ」
陽彩さんはさすがの観察眼で、ぬいぐるみのパンツの柄までチェックしていたらしい。
私のシマシマパンツと同じ……。
それは衝撃の事実だった。
確かに私はシマシマが好きで、よくはいている。
ということは、このぬいぐるみのモデルは確実に私だということだ。
ほたか先輩はこのぬいぐるみをお守りがわり抱きかかえて、暗闇の恐怖を必死に耐えていたわけだ。
私はもう、思考がオーバーヒート寸前だった。
私がほたか先輩の心の支えになっているなんて、意味が分からなかった。
憧れの先輩が私に想いを寄せているなんて、信じられない。
胸が高鳴り、唇がなんだかムズムズしはじめた。
横目でほたか先輩を見ると、先輩も頬を赤らめてうつむいている。
「ましろっち。なんか顔が赤いけど、熱がある?」
「ほたかも、赤い」
「う~ん。気絶してたし、無理に歩かせないほうがいいかもねぇ」
陽彩さんは私たちの顔色を確認すると、美嶺のほうを向いた。
「剱さん。見たところ、かなり筋力あるよね。どっちかを背負ってテントまで戻れる?」
「あ、はい。余裕っすね。……じゃあアタシはましろを背負います」
「オッケー。じゃあ、私はほたかちゃんね」
陽彩さんと美嶺は私たちを背負うと、歩き出した。
久しぶりの美嶺のたくましい背中。
その温かさを感じながら、心の中ではほたか先輩のことばかりを考えてしまう。
なんだか、美嶺と千景さんに申し訳なくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます