第二章 第十六話「眠りの森の千景姫」

 夜の七時。

 太陽は西に沈み、空は暗い藍色あいいろに染まってしまった。

 通りに立ち並ぶお店には明かりが灯っており、伊吹アウトドアスポーツもその並びで煌々こうこうと光をたたえている。


 お店が休みでなくて、本当によかった。

 確か営業時間は八時までだし、余裕もある。


 私は入り口から中の様子を伺う。

 すると、商品棚の間を黒いリボンと銀色の髪の毛が弾むように動いているのが見えた。

 店員モードの千景さんだ。

 恥ずかしさのあまりにお店に出ていない可能性もあり得ると思っていたが、少し安心した。千景さんのお仕事の邪魔までしているとしたら、あまりにも申し訳ないと思っていたのだ。

 私は小桃ちゃんにもらったお菓子をスクールバッグに詰めると、わき目もふらずに黒いリボンめがけて走り寄る。


「千景さん!」


 私が呼びかけると、銀色のかつらウィッグを身に着けた千景さんが、にこやかな笑顔で私を見上げる。


「いらっしゃいませ、なのです」


 四日ぶりに見た千景さんは相変わらず可愛らしく、フレア状にふんわりと広がったエプロンドレスのスカートを揺らしながらお辞儀をしてくれた。


「あ、あ、あの。千景さん。今日は千景さんとお話がしたくて来ちゃいました!」

「ヒカリなのです」

「あぅ?」


 唐突に聞きなれない単語が飛び出し、勢いがそがれてしまう。

 なんのことか分からないので、私は千景さんの言葉を待つしかなくなった。


「申し遅れましたのです。ボクの名前はヒカリ。……千景は家で寝てるのです」

「えっと。……いや、千景さんですよね? そうじゃないと、今まで千景さんが隠れてたことに説明がつかないですよ?」

「ボクはヒカリなのです。……あと、ここは登山用品のお店なのです。店員とおしゃべりするお店ではないので、失礼しますのです」


 そう言って、千景さんは背中を見せて去って行ってしまった。

 取りつく島がないとはこのことかもしれないけど、そんなことよりも衝撃的な謎が降りかかってきた。


 ヒカリさん……って、どういうこと?

 やっぱり双子?

 それとも別人格なんですか?


 千景さんの遠ざかる背中を呆然と見つめてしまうが、私は必死に頭を横に振った。

 他の誰でもない。千景さんと友達であるほたか先輩が言っていたのだ。

 あの銀髪の店員さんは千景さん自身で、演じているだけなんだって。


 だったら疑うべくもない。

 銀髪の店員さんは間違いなく千景さんなのだ。そしてどうやら、あの姿の時は「ヒカリ」と名乗っているらしい。


 千景さんがあくまでも「店員ヒカリさん」を演じるつもりなら、店員さんとしての普通の対応はしてくれるということでもある。

 だったら商品について質問攻めにする中で千景さんの心の悩みを解き明かし、適切な言葉と熱い私の気持ちをぶつけて癒すのだ!

 私は呪いをかけられた姫を救う王子様の気持ちで、商品が何百と並ぶこの「千景姫が御座眠りの森」を進んでいくのだった――。



 △ ▲ △ ▲ △



 ダメでした。


 私ごときの浅はかな知識では、千景さんの内面を引き出すようなナイスな質問なんて、できるわけがありませんでした。


 だいたい、あんなに悩んでる千景さんを癒せる適切な言葉ってなに?

 そんな言葉がほいほい出せるなら、今ごろ私は世界に羽ばたくセラピストですよ。

 私が自分の無能さに肩を落としているのに、千景さん……いや、ヒカリさんはさわやかに微笑んでいる。……あんなにたくさんの商品について質問したにも関わらず、である。

 道具の使い方に始まり、メーカーごとの特徴やうちの登山部へのオススメ品の紹介、果てはプロ仕様ならではの特徴についてなど。わかりやすく丁寧に教えてくれたにも関わらず、私の脳のスペックでは全く処理が追い付かず、だいたい忘れてしまった。

 さすがに営業妨害かもと心配になったけど、ヒカリさんは「大丈夫なのです」と笑顔で答えてくれるのだった。


「あぅぅ……。もう、大丈夫です。……ありがとうございます」

「そうなのですか。何か知りたいことがあれば、いつでも質問してくださいなのです」


 そう言って、ヒカリさんは丁寧にお辞儀をしてくれた。

 ヒカリさんはまだまだ余裕といった様子で、完全に私の完敗である。

 するとその時。

 ザックのコーナーでさっきから何かを探していたもう一人の店員さんが、ヒカリさんを呼んだ。

 ヒカリさんと同じ制服を着ている。

 見た感じの印象だと、私よりも年上っぽい女性の店員さんだ。

 栗色のロングヘアをたなびかせながら、困った表情で駆け寄ってくる。


「あの、ヒカリさん! ちょっとバックパックを探してて! 電話のお客様から、ミレーのバックパックで色違いの在庫はないのかとご質問をいただいちゃったんです~」

「詳しく教えてくださいなのです」


 そう言って、二人はなにやら紙きれを見つめてやり取りしている。


「その色なら倉庫にあるのです。バックパックの棚の左奥、上から二番目にあるのです」

「さっすがヒカリさん! ありがとうございます~っ」


 そう言ってお店の奥に走り去っていく店員さんに、ヒカリさんが慌てて声をかける。


「終わったら鍵をしっかりかけておいてくださいなのです! 昨日も開いたままでしたので!」

「きゃーっ、ごめんなさいっ。ちゃんとします~!」


 そう言ってロングヘアの店員さんは走っていってしまった。 

 二人のやり取りが終わった後も、私は呆然とヒカリさんを見つめてしまう。


「あぅぅ……。ヒカリさん。もしかして、商品の場所も全部覚えてるんですか?」


 その問いに、ヒカリさんは事もなげにうなづいてみせる。


「当たり前なのです。それが仕事なのですから」


 そう言えば、部活初日の自己紹介で千景さんは言っていた。

 要領が悪いから、全部覚えようとしてるだけ……だと。

 それでも、お店の商品全部の知識、果ては倉庫の中の位置までとは尋常ではない数だ。


「千景さんは知識をとっさに使えないとおっしゃってましたけど、全然そんなこと、ないじゃないですか! すごいですよ!」


 しかし、ヒカリさんは急に表情を曇らせてしまう。


「……すごくないのです。いつも使えるわけではない力なんて、何の意味もないのです」


 珍しく冷たい口調でそう言い放ち、プイっと顔をそむけたかと思うと、お店の奥に立ち去っていってしまった。

 いつも使えるわけではない力……。

 よくわからないが、その言葉が無性に気になってしまう。

 その時、店内放送で音楽が流れ始めた。

 これは『蛍の光』……つまり閉店の合図だ。

 周囲を見渡すと、他のお客さんもいなくなっている。


 とっさに腕時計を見ると、時計の針は七時五十分。

 ……つまり、あと一〇分で千景さんとの話ができなくなることを示していた。

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