第二章 第十七話「もっと向こうへ!」

 あぅぅ……。

 何もできてない。

 せっかく小桃ちゃんが元気づけてくれたのに、これで終わっちゃうの?


 閉店の音楽が流れる中で、私は自分の無力さに打ちひしがれていた。


 お店の奥を見ると、ヒカリさんはモップを持って清掃し始めている。

 入口のほうを見ると、ロングヘアの店員さんがシャッターを下ろす準備をしていた。

 私は歯を食いしばり、頬っぺたを両手で思いっきり叩いた。


 ダメ!

 ここで帰っても、何も変わらない。

 千景さんは店員さんとしてしかお話してくれないし、自分のことを悪く言い出すし……。それはきっと、明日だって同じなんだ。

 ……このままじゃ、らちが明かない!


 最後に残していた切り札はたった一つ。

 それは、ほたか先輩がやったことと同じ……自分の秘密の告白だ!

 お互いの秘密を共有することで、一蓮托生いちれんたくしょう……恥ずかしい目に合うなら運命を共にするって約束を掲げるのだ。


 私は肩から下げているスクールバックから一冊のバインダーを取り出す。

 これは『妄想ノート』……。

 私の努力と煩悩ぼんのうの結晶。誰にも知られたくない秘密の書だ。


「千景さんだけが恥ずかしいわけじゃ、ないんです!」


 一気に駆け寄り、その禁断のノートを掃除中のヒカリさんの目の前で思いっきり開く!


「わ、わ、私だってこういうものを描いてますし!」


 私が鼻息荒く迫ると、ヒカリさんは驚きながら後ずさる。

 でも、その眼は妄想ノートに釘付けになっている。

 みるみると顔が紅潮し、顔を手で覆い隠す。でも、きれいな指の隙間からは吊り目がちな瞳がのぞいていて、私の恥ずかしい作品たちをしっかりと凝視している。

 私はあまりの恥ずかしさに心が折れそうになるところを、頑張って踏みとどまった。


「ここ、こ、これだけじゃないんです! ……私、実は……」

「ダメなのです!」


 ヒカリさんはぎゅっと目を閉じ、私の隙を見つけて走り出した。


「ボクはそんなの聞きたくないのです! ほたかも……ほたかの時だって、そんな風に言ってきたのです! 勝手に色々話してきて、聞いてるほうが恥ずかしいのです!」


 とっさにヒカリさんの手を掴もうとするが、小さな体は私の手をすり抜けるように逃げてしまった。

 妄想ノートを見せたのに、逃げられるわけにはいかない。

 私も必死に追いかける!


「でも、ヒカリさん……いや、千景さん! ほたか先輩の話を聞いたから仲直りしたんですよね? 私の話も聞いてください!」

「聞きたくないのです!」

「聞いて!」

「わーっ! わーっ! 聞かないのです!」


 ヒカリさんは両手で耳を塞ぎ、私の声をかき消そうと叫び始める。

 そして、ついにレジの横の扉に入ってしまった。

 扉には英語で「スタッフオンリー」と書かれている。



 あぅぅーっ! ずるいよ、千景さん!

 さすがにお店のバックヤードに勝手に入ってはいけない。

 私の中に残っている良識が、必死に私を踏みとどまらせる。

 その時、小桃ちゃんの応援がよみがえってきた。


もっと向こうへプルス・ウルトラ! 頑張れ、ましろ!』


 頭の中がカァッと熱くなり、次の瞬間、私は扉の中に突撃していた。



 △ ▲ △ ▲ △



 扉の奥は小さな休憩室と、さらに奥に続く扉があった。

 休憩室のロッカーやイスの下、些細ささいな隙間にも目を光らせ、そこにヒカリさんがいないことを確認する。

 だったら行き先は奥の扉の向こうしかない!

 まるで自分が獲物を追う肉食獣ハンターにでもなった気分で、細い通路に体を滑り込ませていく。

 大小さまざまな大きさの段ボールの間を通り抜けると、行き止まりにはもう一つの扉。

 扉には「倉庫」と書かれていた。

 鍵はかかってない。

 何の躊躇ちゅうちょもなく、私はその扉を開いた。


「……ましろさん」


 か細い声の主は、いくつも立ち並ぶ大きな棚の奥でうずくまっている。

 銀髪の少女は、まるで小さな子ウサギのようだ。

 彼女は私を見つけると、袋小路にも関わらず、さらに身を隠そうと棚の中に上半身を滑り込ませた。

 ……まったく往生際おうじょうぎわが悪い。

 私は荒ぶる呼吸を抑えきれないまま、ゆっくりと歩を進めた。


「うへへ……もう、逃げられませんよ」


 じたばたと暴れる小さなお尻を、私は両腕で羽交はがめにする。

 彼女の体は軽い。

 何の抵抗もなく、棚から引きずり出すことができた。

 しかしその頭部の色は、さっきまでの銀色ではなかった。

 黒髪のショートヘアの少女が私の腕の中にいた。


「ウィ……ウィッグが、挟まった」


 短く切りそろえた黒髪のおかっぱ頭。そして顔を隠すようにかぶさっている前髪からは、左目だけがのぞいている。

 どうやら棚の奥で銀髪のかつらウィッグが挟まって、とれてしまったらしい。


「ま……ましろさん。見ないで」


 語尾の「なのです」が消えて、か細くつぶやくような口調に変わっている。

 ひょっとして、銀髪が変身のスイッチなのだろうか。

 声を震わせながら、頬を赤く染めてうつむいている少女が、そこにいた。


「はぁ……はぁ……。千景さん……」


 懐かしささえ覚えるその顔を見て、私も感激のあまりに震えてしまう。



 その時、ガチャリという音が背後の扉から響いた。

 扉は開いていない。

 しかし、嫌な予感が私の背筋を駆け上る。


「鍵をかけ忘れてました! これで大丈夫ですっ!」


 倉庫の扉の外側から、さっきのロングヘアの店員さんのものと思われる声が響き、そのまま足音が遠のいていく。

 そしていくつかの鍵をかける音が響いた頃、私はようやく何が起こったのかを察することが出来た。


「あぅ……。鍵、かけられちゃった……」

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