第二章 第十一話「茶房の攻防」
今日の勝利条件はただ一つ。
何事もなく剱さんを店から連れ出すことだ。
しかし、剱さんはジュースを飲み終わっても帰る気配がない。
「
スイーツを注文するならまだしも、午後三時はご飯を食べるには早すぎる時間だ。
ほたか先輩は目を丸くして驚いている。
「アタシって燃費悪いんすよ。二人とも買い物に時間がかかりそうだったし、食う時間ぐらいあるかと思って」
確かに鍛えてる人はお腹が減りやすいって聞いたことがある。
それは別に問題ないけど、さすがに同行者がいるから一言かけて欲しい。
私はそんな文句が喉まで出かかりながら、剱さんが怖いので料理の到着を待つしかなかった。
「アタシのことは気にせず、帰ってくださいよ。買い物終わったんなら、用もないでしょ?」
剱さんは私たちの気持ちなんて知る由もなく、何の悪気もないように言う。
確かに用もないのに残り続けていると、不自然に感じられてしまうかもしれない。
私は何か話題を探そうとするが、剱さんを目の前にすると緊張してしまい、頭の中が真っ白になってしまった。
「ひょっとして、アタシを連れ出そうとしてます? なんかここにいるとマズいんすか?」
いくら剱さんが鈍感とはいえ、ここまで不自然さを
剱さんはいぶかしげに眉をひそめ、振り返って店内を見ようとする。
そしてタイミングが悪いことに、剱さんの背後には食器を片付けている千景さんがいた。
っていうか、知り合いバレが怖いなら、こんなに近くに来ないでくださいよ、千景さん!
剱さんの頭があと五度でも振り返れば、視界にきっと千景さんが入ってしまう!
すると突然、ほたか先輩が剱さんの手を握りしめた。
「美嶺ちゃん! ずうっと部活に出てくれないけど、何か用事でもあるの?」
ほたか先輩の質問はファインプレーと言わざるを得ない。
剱さんの意識を呼び戻せるし、深刻な雰囲気の中で剱さんに話す内容として適切だ。
「いや……。別に、たいした理由はないっす」
剱さんは何かを考えているように沈黙したあと、視線を落としてつぶやいた。
なんか、妙な間があったのが怪しい。
「あぅぅ……。なんか、隠してる?」
「だから、理由なんてないって。気分だよ、気分!」
「気分の問題だったら、一緒にトレーニングしようよ! 筋トレすれば悩みもスッキリ解決するよ!」
さすがは筋肉信者のほたか先輩。
ぐいぐいと迫っていく笑顔の圧力に、さすがの剱さんもひるんでいるように見える。
「むぐ……。……。まあ、別にいいっすよ」
「やったぁ!」
剱さんの言葉を受けて、ほたか先輩は手を振り上げて子供のように喜んだ。
確かに大会に出場する四人がそろってトレーニングできるようになるのだから、さぞやうれしいことだろう。
私にとっては先輩と三人だけの楽しい部活生活が終わってしまうので、心はどんより曇り空だけど……。
すると、剱さんは何かを思い出したように声を上げた。
「……そういえば、大会があるって言ってましたよね? 大会って何するんすか?」
「……あ、そっか。美嶺ちゃんには言ってなかったかも。えっと……じゃあ、六月の初めにあるインターハイ予選について説明するね」
ほたか先輩は姿勢を正して、剱さんを正面から見つめる。
「インターハイというからには日本全国の選手が競うんだけど、それぞれの都道府県の代表を決めるのが予選大会なの。島根の女子登山部はそもそも人数がそろってる学校が少ないから、たぶん二つか三つの学校で競争することになると思うよ」
「へえ、かなり少ない。いきなり決勝戦って感じっすね」
「うん! あと山登りが初めてっていう人も結構いるから、あんまり緊張しなくていいんだよ!」
この情報は初耳だったような気がするけど、私にとってすごく重要なことだった。
ほたか先輩のようなパワフルな人を見ていると私がすごくちっぽけな存在に感じてしまうけど、未経験者が多いということは、そんなに緊張しなくていいのかもしれない。
私は身を乗り出すように、話に耳を傾ける。
「登山の大会はもちろん山に登って体力を競うんだけど、天気や応急処置、登る山の知識についてのペーパーテストもあるから、事前の勉強も大事なんだよ。各チームはいろんな分野ごとに得点を重ねて、最後に一番高得点だったチームが勝ちになるの」
「ゴールした順位とか、倒したライバルの人数とかじゃないんすか?」
「そんな危ないこと、しちゃダメだよぉ。美嶺ちゃんは知ってると思うけど、山道ってけっこう狭いでしょ? 無理に追い抜くのも危ないよ~」
「……まあ、けっこう狭い道はあるっすけど……」
「うん。だからね、登山大会はあくまでも、安全登山をするための技術を競う大会なんだよ!」
「ええ~」
剱さんがつまらなそうに声を上げる。
「じゃあ、アタシの拳が役に立つ場面は来そうにないっすね」
「えへへ……。あのね、誰も殴っちゃ、ダメなんだよ?」
「あ、クマ相手なら!」
「クマちゃんに会ったら、お姉さんと一緒に逃げようねっ」
話を横から聞いていると、だんだん剱さんへの印象が変わってくる。
今まではケンカっ早い不良だと思い込んでいたけど、どっちかというとヤンチャな小学生男子のように思えてきた。
「でも、美嶺ちゃんの体力には期待してるんだ! お姉さんの目はごまかせないよ~。美嶺ちゃん、かなり鍛えてるでしょう!」
「ええ、まあ」
「やっぱり山登りは体力が大事だからね! 重い荷物を持てば仲間もそのぶん楽になるし、体力点は一番多いから大事なの! 体力に余裕があれば、テントを張るのも料理をするのも、余裕をもってできるしね」
ほたか先輩は満面の笑みで腕に力こぶを見せる。
半袖のシャツからのぞいている白い腕には、力強い隆起が顔を見せた。
剱さんがその力こぶを感心したまなざしで見つめているのを横目に見ながら、私は部室で先輩から聞いた説明を思い出す。
テントと料理についても、なにか審査があると言っていた。
「ほたか先輩。テントと料理の審査って、何をするんでしたっけ?」
「テントは一〇分以内に建てられるかの審査で、料理はカロリー計算した献立を計画通りに作れているか、そして衛生的なのかを審査されるんだよ。料理とテントは百点満点中で配点が五点ずつ。あわせて一割を占めるから、すごく大事になるの」
「一〇分以内に建てる……」
私はテントを建てる場面を想像してみるが、経験がないので何もイメージできない。
「あぅぅ……。一〇分以内って言われても、やったことがないので大変さがわかりません……」
「建ててみればいいだろ?」
私が歯切れ悪くつぶやいていると、剱さんは何をもじもじしてるんだ、とでも言いたいようにスッパリと言った。
「部でどんなテントを使ってるのかは見ておきたいし、一〇分で建てる必要があるなら、練習すればいいだけだろ」
「わぁっ! 美嶺ちゃん、いいね!」
ほたか先輩の口調が急に熱を帯びた。
「じゃあ、次の週末にみんなでキャンプしようよ! テントの練習をやったり、山の道具を使って料理もしてみるの!」
「いいっすよ」
「ましろちゃんは?」
笑顔で訪ねるほたか先輩の言葉に対して、拒む理由なんてない。
ましてや、ようやくアウトドアの部活っぽいイベントがやってきたのだ。
「はい! キャンプしたいです!」
「やったぁ! あとで千景ちゃんにも確認しておくね。あ~ウズウズしちゃう! ガスボンベは足りるかな。献立も考えなきゃ……」
ほたか先輩はキャンプが楽しみで仕方がないようで、そわそわしながら立ち上がる。
「ちょっと、お店を見てきていいかな! 足りないものを確認したいの!」
そう言って、ほたか先輩は私の返事を待たずにお店に飛んで行ってしまった。
剱さんが男子小学生だとすれば、ほたか先輩もまた、同じかもしれない。
みるみると小さくなっていく背中を、私は見送ることしかできなかった。
そして、肝心なことを思い出す。
ほたか先輩……。千景さんをまもるってこと、忘れちゃいましたね?
このままでは、剱さんを私一人でけん制しなくてはいけない。
やれやれという諦めの気分で私は剱さんに向き直る。
すると、剱さんの表情が妙に深刻なものになっていた。
「……二人きりに……なってしまったな」
明らかに空気が変わった剱さんが、そこにいた。
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