第三章 第八話「あやしげな剱さん」

 下校のチャイムと共にタイムリミットが来てしまった。

 あんなに楽しみにしていたキャンプが、まさか準備が終わらないという理由で中止になってしまうなんて……。

 とても受け入れがたい現実を前に、私たちは悲しみに暮れていた。



 そんな落胆のさなかに部室の扉が勢いよく開かれ、あまちゃん先生が飛び込んできた。


「はぁ~い。準備は終わったかしら~?」

「あぅ……。あまちゃん先生……」


 暗い顔で先生を迎える私たちの周りにはたくさんの荷物と、中途半端にしか物が入っていないザックが床に並べられている。

 入ってきたばかりの先生もすぐに状況を察したようで、笑顔のまま凍り付いてしまっていた。


「終わっては……ないみたいねぇ」

「あぅぅ~……。先生……キャンプ、できなくなっちゃいました……」


 泣きそうな気持ちを我慢して先生に報告すると、あまちゃん先生は深く深くため息をついた。


「こんなことかなって思ってたのよぉ……。でも、安心していいわ。こんなこともあろうかと、先生は居残りの申請をしておいたのです~」

「先生、いいんですか? 顧問の先生は部活の終わりまで待機する決まりでは……」


 ほたか先輩が申し訳なさそうにつぶやくと、先生は「ふふふ」と笑ってくれた。


「もちろんいいわよぉ。……それに、そもそもキャンプは先生も楽しみにしてるのよぅ」

「あ。もしかして先生も来るんすか?」

「あらあら。部活動の一環なんだから、顧問は当然のごとく同行するのよ? それにキャンプ場までの移動は先生の車を使うのよぉ」


 確かにそれは盲点だった。

 てっきり、ここにいる四人だけでキャンプするのだと思い込んでいたけれど、あまちゃん先生が言うのは至極当然のことだった。


 思いがけない延長戦を許されて、ようやく気分が盛り返してくる。

 ほたか先輩もみんなを奮い立たせようとしてくれているのか、腕を振り上げて「やるよーっ」っと掛け声を上げた。


 すると、あまちゃん先生がおもむろに剱さんの肩を叩いた。


「剱さんはもう帰る時間なのよね。これ以上の居残りは大変でしょう?」

「え、ええ。……まあ」

「剱さんがいない分は先生が手伝うから、大丈夫よぉ」


 剱さんは少し思案した様子を見せた後、先生に会釈する。


「じゃあ、お言葉に甘えて帰らせてもらいます」


 そして、なぜか突然、スカートを脱いでしまった。

 腰から外されたスカートが空気をはらみながら落下していく。

 そして、あらわになった下着姿。

 その引き締まったお尻からは、スラっと長い脚が伸びている。

 剱さんの下着姿はエッチというよりも、かっこよさが際立っていた。


「え、なに? どうしたの?」


 予想外の行動に私は動揺してしまったが、剱さんは事も無げに言う。


「ジャージに着替えるんだよ。アタシはいつも、ジャージで帰るって決めてるんだ」


 そう言われて思い返すと、今週からトレーニングに合流した剱さんは、トレーニング後もジャージ姿のまま帰っていた気がする。


「……トレーニングの日は元々着替えてたから、そのまま帰ってるだけだと思ってたよ。……なんでわざわざ制服から着替えるの?」

「このほうが都合がいいからだよ。……って、急いでるんだから、話かけんな」


 剱さんが相変わらずのぶっきらぼうな口調で話を切るものだから、私はそれ以上は何も聞けなくなった。

 剱さんはバッグの中からジャージを引っ張り出しつつ、制服のボタンをはずしていく。

 しかし、上着を脱ごうとして、はたと止まってしまった。


「あ……、そうか。これを着ちゃってたか……」


 小さな声で独り言のようにつぶやくと、部室のすみっこに行ってしまった。

 そして服の前面を私たちに隠すように制服の上着を脱ぐと、慌ててジャージに着替えていく。

 もしかすると、制服の下に変なデザインの服でも着てたのかもしれない。


「じゃあ、スイマセン。アタシはこれでっ!」


 ジャージを着こんだ剱さんは制服をスクールバッグに詰め込むと、走って部室を出ていった。



 気を取り直して荷物の準備を再開した時、ほたか先輩が壁際に何かを見つけた。


「あれ、これはうちの部のものじゃなかった気がするけど……。心当たりはある?」


 それは小さな水色のポーチで、隅についている金具には青い棒状の金属が付いている。


「……このホイッスル、美嶺さんが買ったもの」


 千景さんの話を聞いてから棒状の何かを見てみると、確かに筒状になっている。

 思い起こせば先日の土曜日、確かに剱さんはクマよけのホイッスルを買っていた。


「剱さんの忘れもの……かな?」


 さっき慌てて帰り支度をしていたから、その時落としたのかもしれない。

 そう思いながらポーチを手に取ったとき、私には中身がわかってしまった。

 柔らかい袋の中に硬い板状のものが入っている。

 大きさ、形、そして重さ……。

 これはスマホに違いがなかった。


「あぅぅ……。剱さん、勝手に開けちゃって、ごめんっ!」


 ここにいない剱さんに謝りつつポーチを開けると、やはりと言うか、中には青いケースに包まれたスマホがひとつ、入っていた。


「どうしよう。……明日は休みだから学校に取りに来れないし、剱さんもさすがに困りますよね?」


 先輩たちにスマホを見せると、あまちゃん先生が言った。


「ふむ。じゃあ空木さん。そのまま帰っていいから、剱さんを追いかけて届けてくれるかしら? 準備は先生たちで責任もって終わらせるので、心配しなくてもいいですよぉ~」

「あ……。はい。でもまだ献立決めが……」

「大丈夫だよ、ましろちゃん。さっき決めたメニューで問題ないなら、お姉さんたちが買い物するから!」

「え……でも、悪いです」

「じゃあね、あとで先生からご自宅の電話番号を聞くから、帰ったら打ち合わせしよっ?」


 そう言えば、入部届と一緒に先生に渡した書類に、緊急連絡先として自宅の電話番号を書いていた。


「あ……はい。じゃあ、お願いします……」


 その時、千景さんは魅惑のプリンを二つほど保冷用のケースから取り出すと、容器が割れないようにタオルに包んで渡してくれた。


「プリン。一つは美嶺さんに、渡して」

「あ、ありがとうございます! じゃあ、あとはお願いします!」


 私は急いで鞄にプリンをしまうと、剱さんの忘れ物をつかんで部室を飛び出した。



 部室を出た私は、昇降口に向かう。

 下校するなら靴に履き替えるだろうし、そこで捕まえれば終わる話だ。

 ……しかし昇降口に着いた時には剱さんの姿はなく、靴箱には上履きしか残っていなかった。

 とっさに外に出てあたりを見回すと、裏門の方向に走っていく剱さんの後ろ姿が見える。


「おーい、剱さーん!」


 大声をはりあげて呼んだが、まるで気が付いていないように走り去っていってしまった。


 裏門と言えば、学校の裏山に続く出口だったはずだ。

 裏山は課外授業で行ったことがあるけど、うっそうと茂った雑木林が続いており、街へ抜ける道なんてなかった気がする。

 不思議に思いながらも、私も靴を履き替えて裏門に向かった。



 △ ▲ △ ▲ △



「え……? おうちに帰るんじゃないの……?」


 裏門にたどり着いた私が見たのは、山の雑木林を分け入っていく剱さんの後ろ姿だった。

 林は木々が密集していることもあり、あっという間に剱さんの姿が見えなくなってしまう。

 本当なら今すぐ剱さんに電話して呼び止めたいところだけど、肝心の剱さんのスマホは私の手の中だ。

 林の奥は薄暗く感じられ、恐ろしい空気が満ちているように感じられた。


 む、無理して追いかけないほうがいいのかな?

 スマホがないと不便だろうけど、どうせキャンプで会えるのだから、無理して追いかける必要はないかもしれない。

 しかし、なんだか嫌な予感が私の胸に渦巻いているのも事実だった。


 剱さんは本当に家に帰ろうとしているのだろうか。

 なんで夕方のこの時間に、山に入っていくのだろうか。

 今すぐ追いかけないと、まずい気がする。


「……すぐ追いつけるかもしれないし、行こうかな」


 私は剱さんのスマホをなくさないように鞄にしまい込むと、裏山に足を踏み入れた。

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