第二章 第八話「店員さんの、そふとたっち」

「ひゃぅんっ」


 自分の口から、思いもよらない変な声が出てしまった。

 これまでの人生で靴を色々と選んできたけど、今までの靴選びでは一度も感じたことのない感触が足全体を刺激していた。


 銀髪の店員さんの指が、私の素足を包み込んでいたのだ。

 白くて細い指が私の足をくまなく撫でまわしている。


「あうぅ? な、なにをしてるんですかぁ?」

「ご、ごめんなさいっ! くすぐったかったのですか?」

「くすぐったくは……ありますけど。……な、なぜ触るんでしょう?」

「足の形を計っているのですっ! 足は長さばかりが重視されるのですが、足の幅や甲の高さ、指の形まで人それぞれなのです。足に合っていない靴で山に登ると、靴擦くつずれやつま先を痛める原因にもなるですし、疲れも全然違うのですよ」

「な、なるほど……。でも、触るのって普通なんですかぁ?」


 私の心臓はさっきから激しく高鳴り続けている。

 靴選びなのに足を触られてビックリしたのは当然だけど、まさかこんな可愛い店員さんの指で触られるとは思ってもみなかったのだ。

 私なんかの足に、こんなきれいな指が触れるなんて……。

 なんて背徳感なんだろう。


「実は、触ると正確な形がわかるのが特技なのです。足に合うメーカーを絞り込むのにとても便利で……。あの、勝手に触れて、ごめんなさいなのです」


 店員さんはとても申し訳なさそうに委縮いしゅくして、手を引っ込めてしまう。

 私は慌てて引き止めた。


「大丈夫です! 触ってください……じゃなかった。計ってください!」


 ついつい本音が出てしまって、私は自分の口をふさぐ。

 店員さんは私の言い間違いに気が付いてないようで、再びそのきれいな指で触れてくれた。


 足全体を両手で包み込んでくれたと思えば、土踏まずや足の甲に指先を滑らせる。果ては足の指一本一本を丁寧につまんでくれた。

 気持ちよさと背徳感で興奮しすぎて、私の頭はオーバーヒート寸前になる。


 しばらくすると、店員さんは確信を得たようにコクリとうなづいた。


「足の形が分かったのです。甲が高くて幅も広め。メーカーとしてはシリオ、マムート、モンベル、キャラバンあたりが足に合うと思うのです」

「あぅぅ……。そうですか……」


 たくさんの横文字が一度に並び、放心状態の私の頭では処理しきれない。

 覚えられなかったので、むしろ見た目で気に入った靴が店員さんオススメのメーカーと一致するのかを確認したほうが早いのかもしれない。


「あ、ちなみにお客様が登山初心者だと考えると、歩きなれていない分、硬すぎる靴は避けたほうがよいと思うのです。革靴はお山に慣れてからにするのですよ」

「革靴は上級者向け……。あぅ。わかりました……」


 私はふわふわとした幸福感に包まれたまま、立ち上がることすらできなくなってしまった。

 店員さんのきれいな指を見るだけで、頭の中では千景さんの姿がちらついてしまう。


「だ、大丈夫なのですか?」

「す、すみません。大丈夫ですよ、ちか……」


 千景さんのことを考えていたせいで、千景さんの名前を呼ぼうとしてしまった。

 その名前を最後まで言わなかったのは、目の前の店員さんが驚いたように止まってしまったからだ。

 そして、少し離れた場所ではほたか先輩もまた、硬直していた。


 私は、何かまずいことを言ってしまったのだと察した。


「ちか……ちか……くに、トイレはありますか?」


 とっさに適当な言葉を続けると、再び時間が動き始めたように店員さんとほたか先輩が息を吹き返した。

 店員さんはトイレのほうを指さして教えてくれると、そのまま隠れるようにどこかに立ち去ってしまう。

 その小さな背中を見つめながら、放心していた私の脳が急速に動き出した。


 「ちか」って言葉に反応するのって、怪しい……。

 あの店員さん、絶対に千景ちかげさんだよ!


 私は裸足のまま、どこかに行ってしまった店員さんを探す。

 すると、ほたか先輩が両腕いっぱいに赤色の登山靴を抱えて駆け寄ってきた。


「ねぇねぇ、ましろちゃん! 早く選ぼうよ! 靴下履いて!」


 ほたか先輩は明らかに慌てている。

 早く靴を選んで、さっさとこの店を出てほしいみたいだ。


「……さっきの店員さんって、千景さんですか?」


 私が単刀直入に尋ねると、先輩は急に震えだした。


「なな、なに言ってるのかなぁ? ぜぜぜんぜん違うよ!」

「動揺しまくってるじゃないですか……」


 ほたか先輩の反応を見るだけで、答えは明確だった。

 銀髪の店員さんは千景さんなのだ。


 私の目は、どうしても店内のどこかにいる千景さんを探してしまう。

 すると突然、ほたか先輩は私の両肩を掴み、壁際に押し付けた。


 視線を塞ぐように迫ってきて、私を見つめる。


「ほ、ほたか先輩?」


 私が驚いて目を丸くしていると、ほたか先輩は私の背中にある壁に「ドン」という音と共に手を突いた。


「こ、これは怒ってるとかじゃないんだよ。か、壁ドンごっこをしたくなっちゃっただけなの」

「壁ドンの用法を間違ってますよ! 本来の壁ドンはうるさい隣人を黙らせるために壁を叩く行為でして……」

「えええ~。そ、そうなの? お姉さん、ちょっと壁ドンに憧れてたのに……」

「憧れてたんですか? でもこの状態だと、ほたか先輩が男役ですよ?」

「え? 何かお姉さん、変だった?」

「間違ってないんですか!」


 突然の男役宣言。

 それは同時に、私と先輩のカップリングまでも宣言されているも同然だった。


 私は愛を告白されたような気分になってしまい、ほたか先輩の瞳をまともに見ることが出来なくなってきた。

 私が動揺していることに気が付いてくれたのか、ほたか先輩はちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「ご、ごめんね……。話が脱線しちゃってたみたい!」


 ほたか先輩は私に迫ったままの姿勢で囁くようにつぶやいた。


「あのね、こっそりお話がしたいことがあるの。……聞いてくれるかな?」


 ほたか先輩は今までに見せたことのないような圧倒的な威圧感を放っている。

 私は無言で、ただ首を縦に振ることしかできなかった。

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