第一章 第十話「岩フェチって……変なの?」

 気が付くと、私はほたか先輩のロープさばきによって縛り付けられていた。

 あんな一瞬で縛ってしまうなんて、尋常じんじょうじゃない!

 ほたか先輩は、投げ縄の得意なカウガールなんじゃなかろうか?


「ふぇぇ……。なんで縛ったんですかぁ……?」

「それは……ここにちょうどザイルがあったし、逃げないでほしいなぁって思ったからっ!」

「ザイルって、このロープのことですか?」

「……うん」

「ザイルがあったって、人を縛っちゃダメですよぉ~っ!」


 私が半泣きになっていると、先輩はうるんだ瞳で私の膝にすり寄ってきた。


「ましろちゃん……。お姉さんとインターハイを目指そっ! たった一言、『入部する』って言って欲しいの!」

「縛られてるのにオッケーする人、いるわけないですよぉ!」

「そんな……。でも、もう縛っちゃったし、仕方ないよぉ」


 そして、なんとほたか先輩は必死に土下座しはじめた。


【挿絵】

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「……お願い! お姉さんの一生のお願いだからぁ」

「あぅぅ。開き直らないでくださいよぉ……」


 本物の土下座を見るのは生まれて初めてだし、自分には絶対にできない。

 ここまで必死になるなんて、登山部はほたか先輩にとって、そんなに大切なんだろうか?

 私はその必死さの理由が知りたくなってきた。


「……あの。山の楽しさって何でしょうか?」


 私が素朴な疑問を口にすると、ほたか先輩は顔を上げ、目を輝かせた。


「ましろちゃん! やっぱり興味を持ってくれたの?」

「な、なんというか……。女の子なのに登山部にここまで必死になるって、珍しいなぁって……」

「……そんなに珍しいかな?」

「えっと……。洋服やお化粧とか、男子に興味を持つのが普通なのかなって……?」

「ましろちゃんも?」

「いやっ! 私は全然そういうのに興味はないです! もっぱらマンガやアニメばっかりで……」


 いけない。つい話がそれてしまった。

 気を取り直して、ほたか先輩に質問する。


「ほたか先輩は山の何が好きなんですか……?」


 すると、ほたか先輩はおもむろに立ち上がり、力強くこぶしを握りしめた。


「お姉さんが大好きなのは日本アルプス。中でも、北アルプスの森林限界なの!」


 日本アルプスという言葉は聞いたことがあった。

 確か、長野や群馬あたりの山の名前だったと思う。

 でも、もう一つの言葉は聞きなれないものだった。


「しんりん……げんかい?」

「森林限界っていうのは気温や水源、地質の関係で高い木が育たないような環境のことでね、日本だと高い山や北の地方にある場所のことなの。高い木がないから、本当に遠くまで見渡せてね! 何よりもあの険しくかっこいい岩肌を堪能たんのうできるのが、もう、最高……!」


 ほたか先輩は怒涛どとうのようにしゃべりながら、だんだんとうっとりとした表情になっている。


「か、かっこいい岩肌……ですか?」

「そう! 特に北アルプスは露出した岩、切り立った崖が美しいの。天空を貫くような槍ヶ岳やりがたけ、氷河をまとった剱岳つるぎだけ。そしてなによりも、お姉さんの名前の元になった穂高連峰ほたかれんぽう! 奥穂高おくほたか、大キレット、ジャンダルム……。あの雄々しく、巨大で、人の世界なんて意にも介さないぐらいの厳しい岩の世界……。はぁ、はぁ、はぁ……」


 ほたか先輩は前のめりになって、息を乱している。


「あぅぅ。興奮しすぎです。お話はもう十分ですよ……」

「えぇ……。だって、まだ山の魅力を少しも語れてないよ? 本番はこれから……」

「……ほたか先輩の趣味はちょっと特殊すぎて、ついていけないというか……」


 私はすっかり置いてけぼりになっていた。

 ほたか先輩は山の魅力を力説してくれたみたいだけど、よくわからなかった。


 そういえば先輩は私を見つけた時も、近道だからってだけで崖を登ってきた。

 さらに私が逃げようとすれば縛ってくるし、好きなことになると異常に熱くなるし……。

 もしかすると、登山部に部員が入らないのは先輩のこういう変なところのせいかもしれない。


 私がドン引きしていることが分かったのか、ほたか先輩の表情はみるみると曇っていく。


「うう……。やっぱりそうだよね。……今までもね、山の魅力を伝えようとするたびに、みんな嫌そうに逃げちゃうの」

「それは、そうですよぉ……」

「……みんな、お山に興味がないのかなぁ。岩が嫌いなのかなぁ」

「……いや、山に興味がないからというより、ほたか先輩が変だからなのでは……」

「へ……へん?」


 ほたか先輩は目と口を開いたまま、止まってしまった。

 ショックを受けてしまったのか、とても悲しそうな眼をしている。


「かっこいい岩が好きって……そんなに変なのかな……?」


 落ち込んだようにつぶやくほたか先輩を見て、私はやってしまった、と思った。

 理解できないからと言って、人の趣味や人格を否定するなんて、オタクの流儀に反している。

 私は前言を撤回しようと、必死に首を横に振った。


「ち、違うんです! ただの勉強不足で、お話が十分楽しめなかっただけでして……。変って言ったのは、崖を登ったことについてで……」

「クライミングは変な事じゃないよぉ。岩を全身で感じられる最高の競技なのに……」

「うわー! 違う、言い間違えでした!」


 これも地雷だったとは!

 でも、岩を感じるなんて、上級者すぎませんか、先輩?

 何をどう言えば、この場をつくろえるんだろう。

 私は必死に思考を巡らせる。

 ほたか先輩は変な人だけど、悪い人じゃない。

 傷つけるのは本意じゃなかった。


(あぅぅ……。なんにも思いつかない!)


 何を言っても、ほたか先輩の心の地雷を踏んでしまいそうだ。

 私は言葉に詰まってしまった。


 気まずい沈黙が部室の中を支配する。



 その時、チャイムが鳴り響いた。

 はっとして窓の外を見ると、空は朱色に染まっている。

 さっきのチャイムは部活の終わり。……つまり下校の合図だ。


「あ、あのう。……もう下校しないと」


 私は恐る恐る伝えたが、ほたか先輩は無言のまま、首を横に振る。

 どうやら、本気で解放してくれる気がないらしい。


 私はこのまま監禁されてしまうのだろうか?

 美少女の手で閉じ込められてお世話されるのには少し興味があるけど、夜までに帰らなければ深夜のアニメが観られない。

 ほとほと困り果てていた時、部室の奥で何かが動く気配があった。

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