第二章 第二十話「ヒカリ届かぬカゲの世界」

 小桃ちゃんのケーキによって元気を取り戻した千景ちかげさんは、再び銀髪のかつらウィッグをつけてしまった。

 冷静になれたことで、棚の奥で絡まっていた毛先を外すことができたのだという。


「お見苦しいところを見せてしまったのです。忘れてもらえると嬉しいのです」


 銀髪の「ヒカリさん」に変身した千景さんは、にっこりと笑った。



 学校での千景さんを知っている私としては、ヒカリさんを見ていると複雑な気持ちになってしまう。

 鬱モードの千景さんは確かに見ていられなかったけど、それでも心の中に閉じ込めていた本音を知れて、実は少し嬉しかった。

 だけど、ヒカリさんは「見苦しいから忘れて」と言って、自分の弱さに蓋をしている。

 自分の正体がバレると恥ずかしい……そんなリスクを背負ってまでもヒカリさんを演じて、本来の自分を隠そうとしているのだ。

 千景さんの心の壁の分厚さを前にして、私はくじけそうになっていた。


 小桃ちゃん……応援してくれたのに、ごめん。やっぱり、無理かもしれない……。


 お菓子が入っていた紙袋の中で、桃印のシールが寂しそうに私を見ている気がする。

 その時、包装紙の内側にピンク色の丸い紙が入っていることに気が付いた。

 取り出すと、それは桃の形をしたメッセージカードだった。



 小桃ちゃんの字で「自分に自信を持つのだよ!」と短く書かれている。


 自信を持つ……。

 それは、中学校の頃から小桃ちゃんによく言われていた言葉だった。



 私はオタク趣味を恥ずかしいと思っていたことがある。

 オタク趣味自体は今に至るまでずっと同じなのだけど、中学時代はそのことを隠していた。

 オタク趣味とは正反対っぽい「普通の人たち」と友達になるために、「普通の人のふり」をしていたのだ。

 表面上はオタク趣味全般を否定しながら、家では隠れるようにどんどんとディープな世界にハマっていく。そんな生活を続けていると、自分が恥ずかしい人間に思えてきて、どんどん卑屈になっていった。

 でも、小桃ちゃんは私の趣味を知ったうえで言ってくれた。


『恥ずかしいことなんて、絶対にない。ましろに強い思い入れがある時点で、それはとても価値があるのだよ。だから、自分に自信を持つのだよ!』


 ……そう言われた時、なんか救われた気持ちになった。

 だって、小桃ちゃんは私自身を全面的に肯定してくれたってことだから……。



 そのことを思い出したとき、ハッとした。

 ……もしかして、千景さんも同じなのだろうか?


『自分自身とのギャップが大きくて恥ずかしいって、千景ちゃんは言ってたの』

 そう、ほたか先輩は教えてくれた。


 あの時は、「知り合いにバレるのが恥ずかしい」からなのだと思い込んでいた。

 でも、違うかもしれない。

 知り合いバレが恥ずかしいのは当然だけど、それ以上に、それこそ致命的に「自分自身を恥ずかしい人間だと思っている」からなのかもしれない。


 千景さんがもし本来の自分を否定したうえで「ヒカリさん」という仮面をかぶっているのなら、中学時代の私のようにおかしくなってしまう。



 私は確信に近い予感を胸に、千景さんに歩み寄った。


「ヒカリさん。……いや、千景さん」

「どうしたのですか? ……怖い顔をして」


 そんなに怖い顔に見えるのだろうか。

 でも、怖いと思われてもかまわない。

 そんなことよりも、千景さんを放っておいてはいけない予感が胸に渦巻いている。


「そのウィッグ……。着けるの、やめませんか?」


 ヒカリさんは驚いたように目を見開いたかと思うと、かつらウィッグを手で押さえて後ずさった。


「ダ……ダメなのです!」

「少なくとも今、ここには千景さんと私しかいません。もうバレる心配なんて必要ないので、ヒカリさんのふりをする必要はありませんよ」

「千景のままでは何もできないのです! 倉庫から出れない状況なのに、不安で震えるばかり。……あんな奴、ヒカリの『影』でしかないのです!」


 影……。

 その言葉を聞いて愕然としてしまった。

 明らかに「影」を、「ヒカリ」より悪いニュアンスで言っている。

 そもそも店員さんモードの時の名前を「ヒカリ」と名付ける時点で、確かに違和感があった。

 千景さんは自分が嫌いなのだ。



 ……私の悪い予感は、完全に確信に変わってしまった。


「千景さんもヒカリさんも、どっちも同じ千景さんです。ヒカリさんにできることは、千景さんにもできますよ」


 私が抑えた口調で伝えると、千景さんは言葉全てを否定するようにブンブンと首を振った。


「できなかったのです! 学校でも頑張って試しましたが、できなかったのです。……ほたかにもいっぱい迷惑をかけたのです」


 この言葉を聞いて、ようやくヒカリさんが言っていた事が理解できた。


『いつも使えるわけではない力』

 ……それはヒカリさんを演じた時に発揮される「完璧な店員さんモード」のことなのだろう。


 ほたか先輩は言っていた。

 「必死に頑張った結果、別人みたいに変身できるようになった」のだと。


 きっとこのお店が千景さんにとって特別大切な場所だから、その場所を守るために、お店という場所限定で変身できるようになったに違いない。

 だから、学校だけではなく、お店の外では変身できないのだ。


 千景さんは苦しんでる。私は千景さんを助けたい。だったら、必死に考えるんだ!

 こんな時、小桃ちゃんは……私の一番の親友は、何をしてくれるんだろう。

 小桃ちゃんのことを考えた時、私を包み込んでくれた太陽のような温かさを思い出した。


 そうだった。全部、小桃ちゃんが教えてくれてたんだ!

 抱きしめる。

 そして、私の想いをまっすぐにぶつける。

 ……それだけだ。



 私は思いを乗せて、一歩を踏み出した。

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