第30話

「違うの、違う……」




何の弁解なのか分からない。



今何を話せばいいのかも分からない。



自分の口から出たのは、

たったそれだけの言葉だった。





「渡辺、」





榊原が口を開く。




こんなにまっすぐ目を見たのは、

一体いつぶりだろう。



去年の文化祭実行委員が終わってからは、何の接点もなくなり、話すことさえも無くなった。



運よく同じクラスになってから1か月経っても、喋る機会はほとんどない。



渡辺と榊原では席が遠すぎるというのも、疎遠になった一つの原因なのだろう。




……いや、仮に席が近くても、私は話しかけることができないし、榊原だってわざわざ話しかけには来なかった。



文化祭実行委員が終わってからは、もう、私たちは目を合わすことすらなくなっていた。



私たちの関係性なんて、まだ築く段階にさえいない、それくらいのものだったのだ。




そんな榊原が、

私だけをまっすぐ見ている。



榊原の瞳には、私しか映っていない。



それだけで胸がはちきれそうだった。





榊原がだんだんと距離を詰めてくる。



理由は分からない。



刃物を持って身をひそめていた私を責め立てるつもりだろうか。



ゆっくり、ゆっくりと、

私のもとへ近づいてくる。



言いようのない恐怖が私を襲った。



一体、榊原は何を……





そんなことを思った時。






《B組31番 藤田花音ふじたかのんさんの好きな人は……》






「ごめんな、渡辺。」






榊原の彼女の放送が始まると同時に、

グッと、自分の喉元に圧力を感じた。




息をするための気道がふさがって、

上手く呼吸が出来ない。




なんで?



どうして?




どうして榊原が私の首を絞めるの?



それも、そんな泣きそうな顔をして。




今の自分の身に起きている状況がよく分からなくて、また涙がこぼれ落ちた。






《C組15番 榊原悠人さかきばらゆうとくんです》






私は死ぬの?



今ここで私を殺しても、

榊原には藤田花音がいるのに。



彼女がいるのに。




私を殺す理由なんて……




そんなことを考えている間にも、

どんどん息が苦しくなっていく。



目の前にいるはずの榊原が、

ずっと遠く遠くに感じる。




抵抗、しなきゃ。




それこそ、今手に持っている包丁で榊原を刺せば、ミッションコンプリートじゃないか。



私の首を絞めるために両手を使っているうえに、脇ががら空きだ。



心臓だって、狙える。



今やれば、確実に殺せる。



しかも、正当防衛という理由付きで。




自己保身ばかり考えている私には、

ぴったりの殺し方じゃないか。




今だ。



今、やれ。






《そんな榊原くんの好きな人は……》






私は右手に持った包丁を強く握りなおした。




これで、榊原を。





覚悟を決め、目を瞑って包丁を振ると、

小さなうめき声と共に首が解放された。





「ハアッ、ハアッ……」





必死に息を取り込むと、

白ばんでいた視界が色を取り戻し始める。




私の目に映った榊原は、

左腕を抑えて泣いていた。





「ごめん、渡辺……本当にごめん……」



「榊原、なんでこんなこと、」



「ごめん……」






《そんな榊原くんの好きな人は、

C組42番 渡辺瑞季わたなべみずきさんです》


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